「ビートルズはこれで解散!」と聞いたけれど、書かなかった「星加ルミ子」かく語りき
「ルミ、今は書くな」
「ビートルズはこれで解散!」といきなり大声をあげたのだ。
あたりが静まりかえった。
ブライアン・エプスタインが部屋の奥からすっと横に来て、耳元で囁いた。
「ルミ、今は書くな」
星加はジョンの言葉を書かなかった。
「書いてしまうと、ビートルズの解散が現実になってしまうと思ったんです」
日本公演前年は2回目の全米ツアーだった。
1ヵ月、30日間で25回の公演という強行スケジュール。当時アメリカは揺れていた。
前年にケネディが暗殺され、ベトナム戦争が悪化。時代を鋭敏につかみ取り、それを音楽で表現するのがアーティストである。当然ビートルズもその実相を見つめていた。
全米ツアーは警察も対応できないほどのヒステリックな熱狂と混乱を極めた。
シェアスタジアムでは55,600人で埋め尽くされた中にヘリで舞い降りた。
演奏しても誰も聴いていない。モニターの音はかき消され、互いの演奏も聞こえない。ファンの熱狂とは裏腹にやるせなさと徒労感が漂った。
その年12月にリリースされたアルバム「ラバー・ソウル」では内省的な作品を収録し、彼らはリスナーを未知の世界へ誘う深く詩的な方向へ舵を切った。“シー・ラブズ・ユー”を連呼するだけのバンドではなかった。
解散はまだ先のことだったのだが、この頃からビートルズの活動は大きく変化する。66年6月の日本公演から2ヵ月後、彼らはコンサート活動に終止符を打ち、スタジオに籠る。そして、翌67年6月に世界初のコンセプトアルバムともされる「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を発表する。
動から静へ。コンサートからスタジオへ。
「ビートルズは、これで解散だ!」と大声をあげたジョンの発言は、こうした変化を暗示しているかのようだった。
レノン・マッカートニー作詞作曲を間近で
「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のリリース後、ブライアンは32歳でこの世を去る。
アスピリンの過剰摂取だったが、ビートルズがコンサート活動を止めたため、自分の居場所に悩んだとも言われた。
ラブソングから始まった彼らの音楽世界が啓示的な内容に変わっていった。
しかし、その後も星加は毎年のようにロンドンに通った。
「ちょうど『フール・オン・ザ・ヒル』のレコーディングの日だったんです。『君はロンドンに住んでいるの?(“You live in London?”)』『まだよ(“Not yet”)』なんて喋りながらポールがピアノに座った。胸ポケットからくしゃくしゃの紙きれを取り出して譜面台に置き、ピアノを弾き出したんです。紙に書いてあるのは歌詞だった。するとジョンがスタジオに入ってきてポールの隣に座るとその紙にペンで手を入れ始めたんです。『こう直してみたけど、どうかな?』とジョンがポールに問いかけ、『いいね』とポールが応え、歌詞を完成させていった。そのうちにジョージとリンゴも現れ、4人揃ったところでポールが歌詞のメモを歌い出した。『間奏に何か他の楽器を入れよう』『ブルースハープだと寂しいな』『そうだ、リコーダーにしよう』」
リコーダーはヨーロッパを起源とする古楽器でアイルランド民謡でもよく演奏される。
「なんとも切ない響きでした。こうやって曲をどんどん豊かにしていく。世界一有名な『レノン・マッカートニー作詞作曲』を間近で観ることができました。プロデューサーのジョージ・マーティンが、『じゃあ、録って行こう』と言ったのをきっかけに退出したんですが、それからこの『フール・オン・ザ・ヒル』を納得いくまでテイク50まで録ったと聞いて驚きました」
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