「ビートルズはこれで解散!」と聞いたけれど、書かなかった「星加ルミ子」かく語りき

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ジョージが興味を示した振り袖は

 日本人で初めてビートルズの単独インタビューを行った星加(ほしか)ルミ子(80)。彼女はダメ元でビートルズのマネージャー宛に取材依頼の手紙を送り、当初は「絶対にムリ」と拒絶されたインタビューがひょんなところから実現した。本人が語りつくすビートルズ取材秘話、今回はその後編をお送りする。

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 インタビューもそろそろという段になり、ジョンが話しかけてきた。

「ルミ、日本に相撲レスラーっているだろう? アートスクールに通っていたとき、写真集で観たんだ。すごい綺麗なまわしをつけた相撲レスラーが写っていた。もし日本に行くチャンスがあったら、僕は相撲レスラーに会いたいな」

 ジョンの言葉に星加は相撲力士の手形を思いついた。色紙に彼らの手形をなぞり、グラビアに載せた。サインとイラストも付けて実物大で読者が自分の手を重ね合わせられるようにレイアウトした。

「レコーディングで疲れていただろうに、嫌な顔もせず付き合ってくれました。わたしはにわか(笑)ビートルマニアになりました。会うまでは本当に大変だった。でも会って癒された」

 時計の針は午後8時を回っていた。ブライアン・エプスタインが玄関まで見送ってくれた。

 ジョージが興味を示した振り袖は日本を発つ一週間前、日本橋の三越で買ったものだ。

「何でもいいから着物一式買います! って呉服売り場に飛び込んだんです。帯は結べないからあらかじめ結んであるものでパチンとはめればいいものを(笑)。右左だけはわかるようにお願いしますって言って」

 派手なのは恥ずかしいから地味な生地を体に当てると、だったら帯は派手がいいわよと呉服売り場の年配の女性が選んでくれた。

「ロンドンから戻って、ビートルズと一緒の着物の写真を見せに行ったんです。呉服売り場のお姉さんたちみんながワーッと集まってきて、ビートルズに会ったの! って喜んでくれると思ったら、彼女たちはビートルズを知らないんですね。『あら、嫌だ、あなた私が教えたとおりに着ていないじゃない』って叱られた。おかしな着付けに散々文句を言われました(笑)」

「ジャパニーズ・フォーク・ソング」

 ビートルズ来日はロンドンでの出会いからちょうど一年後の1966年6月末だった。

 単独取材は「ミュージック・ライフ」だけが許可された。

 絣の着物を着て行った星加に、ジョンは「去年会ったときもルミはちっちゃかったけど、今年もちっちゃいね。いくつになったの?」と微笑んだ。

「今度日本に来るときはポリスメンに頼んで外に出してもらうんだ」

 東京ヒルトンのスイートルームで彼は民謡のレコードを繰り返し聴いていた。

「ジャパニーズ・フォーク・ソング」と印刷されたジャケット、A面のラストの曲だった。

♪エンヤートット、エンヤートット♪の囃子言葉に、星加は(これって、斎太郎節?)と思った。東北・牡鹿半島で舟を漕ぎながら歌い継がれる民謡である。

「このレコードはロンドンに持ち帰るぞ!」ジョンが興奮気味に言った。

 2年後にリリースされたアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」に収録されている「アイ・アム・ザ・ウォルラス」を聴いて、星加はピンときた。エンディングには日本の民謡のようなリズムの謎の掛け声が繰り返されていたのだ。

「ジョンの頭のどこかに斎太郎節のフレーズが残っていたんだ。絶対そうだ!」

 曲名「ウォルラス」とは「セイウチ」の意味。海に生きる動物をタイトルに入れた楽曲に日本の漁師歌がアレンジされて使用されていたということだろうか。

「日本のキッズは何に興味あるんだい?」とジョンが訊いてきた。着物姿の星加は、咄嗟に赤塚不二夫の「おそ松くん」に出てくるイヤミの「シェー」のポーズをとった。片腕を垂直に、手首を直角に曲げ、脚を挙げて片足で立って「シェー」。
 タバコを手にしたジョンが面白がってそのポーズをとり、ポールも真似を。20世紀を代表する“レノン&マッカトニー”が「シェー」の揃い踏みとなった。

 賑やかな雰囲気が一変したのはジョンが飲んでいたジュースを掲げたときだった。

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