【2020年に旅立った著名人】「時をかける少女」の大林宣彦監督、癌と闘いながら描いた「反戦」への想い

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 映画監督の大林宣彦さんは、大人になっても今の自分であり続けよう、と18歳の時に自分に約束したという。実際、歳を重ねてもすれてゆくところがなかった。(「週刊新潮」2020年4月23日号掲載の内容です)

 若さゆえの心の揺れや不安はあっても、未来を信じて生きようとすることが大切と考えていた。新しい試みに挑みながら、過去と故郷を忘れることもない。

 1938年生まれ。広島県尾道で育つ。生家は代々医師の家系である。

 慶應義塾大学の医学部を受験するが、医師以外の未来もあるのではと試験を途中で放棄してしまう。成城大学に進み、自主映画を撮り始めた。1学年下の恭子さんに求婚、彼女の卒業を待ち62年に結婚した。64年、長女の千茱萸(ちぐみ)さんを授かる。

 自主映画作品が注目され、テレビコマーシャル作りを打診された。物を売るための映像と軽視されていた時代だが、自由に演出ができると快諾する。チャールズ・ブロンソン、ソフィア・ローレン、カトリーヌ・ドヌーブといった錚々たる顔触れを演出。60年代半ばから70年代半ばを中心に2000本以上のコマーシャルを手がけ、第一人者となった。収入は自主映画作りに惜しみなく投じた。

「こんな映像表現もできると実験精神にあふれ、評価されても自慢などしない。前衛的だが温かみも感じました。映画を作るのが面白くて仕方がない、という喜びも伝わってきた。遊び心を生涯持ち続けていました」(映画評論家の佐藤忠男さん)

 77年、「HOUSE/ハウス」で商業映画監督としてデビュー。千茱萸さん原案の、家が人を食べてしまうというホラーだ。東宝の依頼だったが企画は難航する。助監督から監督というコースを歩んでいないのは邪道だと反発が出たのだ。

 この作品の面白さを伝えようと自ら動き出す。映画より先にラジオでドラマ化。

 ニッポン放送の元社長、亀渕昭信さんは思い出す。

「オールナイトニッポンの番組枠を使った4時間生放送のドラマです。私も現場を手伝いました。ラジオは怪談のような怖さの表現が得意ですが、映画で表現するものを、映像抜きで伝えてみようとする柔軟な発想に驚きました」

 ラジオドラマの成功は映画化を後押しし、この作品は若者を中心に絶賛された。

 作風は多彩だ。小林聡美、尾美としのりが主演の「転校生」(82年)、原田知世主演の「時をかける少女」(83年)、富田靖子主演の「さびしんぼう」(85年)は故郷の尾道を舞台に撮影、尾道三部作と親しまれる。

 人はいつまでも誰かの心の中に、その人への想いとともに生き続けている、というテーマを浮かび上がらせ、共感を呼んだ。

 黒澤明監督の映画「夢」(90年)の製作過程を記録し、作品にまとめてもいる。

 黒澤監督の助手として活躍した野上照代さんは言う。

「大林さんはとても愛想がいい。ふたりの作風は違います。けれども、黒澤さんは普段より気を遣って話していたのではないでしょうか」

 テーマとして持ち続けてきた反戦を、この10年ほどはっきり描くようになった。

 2016年、肺癌で余命3カ月の宣告を受けたが、「花筐/HANAGATAMI」の撮影を続け、翌年公開。抗癌剤が効いたとはいえ凄まじい気迫だ。さらに新作「海辺の映画館――キネマの玉手箱」を転移する癌と闘いながら完成させた。

「大林監督の反戦の思いが詰め込まれています。過去を変えることはできないが、若者は未来を変えることができる、と語りかけているかのようです」(映画評論家の北川れい子さん)

 公開予定は4月10日だったが新型コロナウイルスの感染拡大により延期された。

 奇しくもその4月10日に82歳で逝去。旅立った当日も自宅で恭子さんと話ができた。大学時代から約60年、プロデューサー役の恭子さんに支えられ、一心同体で映画に向き合えた幸せ者だ。

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