【2020年に旅立った著名人】コメディアン「小松政夫」さん、師・植木等も認めた人間観察力
「おまえは人の細かいところをよく見ているね。いいことだ」
コメディアンの小松政夫さん(本名・松崎雅臣)は、師の植木等さんにこう励まされたことを、生涯忘れなかった。小松さんが流行らせた言葉は枚挙にいとまがない。「知らない、知らない」「おせーて」「どうかひとつ」「ながーい目で見て下さい」「何を裕次郎、島倉千代子」などなど。いずれもサラリーマン時代に職場や酒場で出会った人々の、口癖やしぐさがもとである。(「週刊新潮」2020年12月24日号掲載の内容です)
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長年親しかった喜劇作家、演出家の滝大作さんは言う。
「口先ではなく全身を使って表現していました。単に笑わせればいいとは考えておらず、世の中からはみ出した者のおかしさを自然に伝える力があった。口うるさいと言われるほどこの仕事に誇りを持っていて、妥協しない人でした」
伊東四朗さんとともに大ブームを巻き起こした「電線音頭」や「しらけ鳥音頭」の熱演は今も語り草だ。悪ふざけではなく全身全霊で演じる姿が心に響いたのか、屋外収録にファンが殺到して警察が出動したことも。小松さんは、狂気を秘めた普通人、と呼ばれもした。
1942年、福岡市生まれ。父親は教師から菓子店の経営に転じたが、小松さんが中学生の時に病気で他界。多額の借金が判明して裕福だった生活は一変する。
働いて家計を助けながら高校を卒業。役者への志を断てずに上京。仕事を転々とするうち、コピー機の実演セールスで訪れたトヨタ車の販売会社から、営業の才能があると引き抜かれた。
1カ月に20台以上を売るトップセールスマンに。幼い頃から物売りの口上のものまねがうまかったせいか、相手をその気にさせる盛り上げ方を心得ていた。
憧れの植木等さんが付き人兼運転手を募集していると知って挑戦。64年、約600人の中から採用された。
植木さんをオヤジさんと呼び、滅私奉公。植木さんは小松さんの意気と人柄を認め、付き人時代から『シャボン玉ホリデー』に出演する機会を与えた。採用から4年弱が経った頃、大手芸能プロへの入所を手配するなど独り立ちの手筈を整えてくれた。小松さんは男泣き。
伊東四朗さんと共演した「笑って!笑って!!60分」と「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」で、人気は不動のものとなる。
メディアプロデューサーの澤田隆治さんは思い出す。
「出て来ただけで笑いが起こるタイプではありません。一生懸命演じる人でした」
ひたすら突き抜けた笑いとは、違ったのかもしれない。目立たず、隠れずがモットーだったが、注目され、俳優としても重宝された。
高平哲郎さんが演出した一人芝居は反響を呼んだ。
「器用で何でもできる。人間の弱さを表現するのもうまいのです。ひとりで部屋にいる男の日常のひとコマを演じ、そういうことってあるね、とクスッと忍び笑いを誘うこともできた」
高平さんの紹介で小松さんは、上京して間もないタモリと会い意気投合している。
映画出演も多く、降旗康男監督の「居酒屋兆治」ではタクシー運転手を好演。主役の高倉健による指名だったという。
長年、舞台やラジオドラマなどで共演してきた女優の中村メイコさんは言う。
「小技が実に上手なのです。照れ屋で九州男児らしい意地っ張りなところもありました。スターになっても、自分に厳しい。もっと肩の力が抜けたような演技を目指していたのかもしれません」
昨年11月に肝細胞癌が見つかり治療をしながら仕事を続けていた。今年10月にはラジオに出演、公開を来年に控える映画もある。
「電話が好きで話が長い。11月の入院前にも話したばかりです」(高平さん)
12月7日、78歳で逝去。師の植木さんは2007年に亡くなったが、自分を世に出してくれた恩義を、生涯語り続けていた。