ビートルズ解散50年、ジョンの死から40年 日本人で初めて取材した「星加ルミ子」インタビュー

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「お嬢さん、取材はNGですよ」

 アンカレッジ経由でドイツ・ハンブルクに立ち寄った星加はシルバー・ビートルズと名乗って、スタークラブなどのライブハウスに出演していた頃の彼らの足跡を取材、その後パリでカメラマンと通訳と合流、フレンチポップスのフランス・ギャルとシルビー・バルタンに会ったり、現地のラジオにもゲスト出演したりした。

「はるばる日本からジャーナリストが来たっていうんで面白がられて。ちょうど“SUKIYAKI(「上を向いて歩こう」)”が世界中でヒットしていて、私のテーマソングみたいにかかってね。日本にいてもこの曲を熱心に聴いたわけではないのに(笑)」

 そしてロンドンに乗り込んだのが1965年5月の終わり。

「ミニチュアの兜とかおもちゃの日本刀のお土産、あと自分が着る着物でパンパンのスーツケースが5つ。カメラマンもありとあらゆるカメラを用意してきたから、何しろバスに乗れない。大きなクルマを呼んでホテルでチェックインを済ませると、その足でブライアン・エプスタインに会いに行ったんです」

 ブライアン・エプスタインは人生のすべてをビートルズに捧げ、人気者に育て上げた人物である。その彼自ら星加の一行をにこやかに迎えてくれたが……。

「お嬢さん、取材はNGですよ。せっかくロンドンまで来てくださったのですが、ダメなものはダメ」

 二日後、星加は再度彼のアポを取り付ける。彼女には秘密兵器があった。おもちゃの日本刀の束に忍び込ませていた正真正銘の「真剣」である。

「エビ―(エプスタインの愛称)、あなた、黒澤明の映画って観たことある?」

「オー! “セブンサムライ”(七人の侍)!」

 ブライアンは若き日に俳優を志したことがあり、ロンドンの王立演劇学校に入学していた。

「その映画でジャパニーズ・スウォード(日本刀)、観たでしょ」

「ああ、カッコよかった」

「実は、それと同じものを持ってきました」

「私はビートルズに会うまでは帰りませんよ」

 星加はしずしずと刀を差しだした。そしてブライアンの瞳がきらっと光ったのを見逃さなかった。

 彼の机の後ろには世界地図があり、ビートルズが公演した都市が赤くピンナップされていたが、ブライアンはその地図を外し、日本刀をうやうやしく飾り始めたのだ。

「しめた!」星加は心の中で叫んだ。「これで会わせてもらえる!」

 先方の広報から電話があったのは翌日だった。

「いつロンドンを発つのかとブライアンが知りたがっていいます」

「いつ発つかって? 私はビートルズに会うまでは帰りませんよ」

「そうですか。では、もう一度オフィスにいらしてください」

 オフィスで待つブライアンに「ビートルズに会うまでは帰れない」と念押しする。

「彼の背後に飾られた日本刀をわざとらしくチラチラ見ながらね(笑)」

「でも、一応あなたにもスケジュールってものがあるでしょう」とブライアンが言った。

 ここで、星加はホラを吹く。

「できれば、6月30日には発ちたいと思っています。ニューヨークでサイモン&ガーファンクルとプレスリーとのアポが入っているから」

 サイモン&ガーファンクルとの約束は本当だったが、プレスリーは真っ赤な嘘だった。

「会えなければドーバー海峡に身を投げます」

「わかった、わかった。とにかく電話するから」

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