「Switch対PS5」の今振り返る「ゲーム機」興亡史 日立やパナも参戦していた

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ファミコンの革命

 ファミコンは8ビットで値段は他社製品と同程度だったが、無駄な機能を排したため、ゲーム機としての性能を高められた。

 なにより、カセットが次々と発売されたことが人気に繋がった。まず「ドンキーコング」など3本のカセットを本体と同時に発売。すぐに「五目ならべ 連珠」と「麻雀」がラインナップに加わり、ほどなくキラーソフト「マリオブラザーズ」も発売された。

 任天堂は他社にゲーム開発の門徒を解放し、カセットを作らせ、自分たちはロイヤリティーを受け取るという方法を採用した。これが見事に当たった。

 タイトーやコナミ、カプコンなど大手ゲームメーカーがファミコンのゲームを開発。最終的には約60社がゲームを作り、本体の売り上げを牽引した。

 ファミコンの累計販売台数は国内外で約6100万台に達し、家庭用ゲーム界のガリバーとなる。

 1985年、セガが打倒ファミコンを目指して発売したのが、「セガ・マークⅢ」(1万5000円)。画像の美しさなどの性能でファミコンを上回ることに成功する。

 だが、瞬く間に強大なブランドと化したファミコンの牙城は崩せなかった。敗因を当時の経済記者たちは「ゲームセンター向けのビジネスをしてきたセガと家庭向けビジネスを展開してきた任天堂の差」などと分析した。

 長らく花札やトランプを作ってきた任天堂は家庭内での遊び方をよく知っていた。

 1987年、NECホームエレクトロニクスがハドソンと「PCエンジン」(2万4800円)を共同開発。

 ファミコンと同じ8ビット機ながら「16ビット機並みの性能」と評され、画像や音声でファミコンを凌駕した。半導体メーカー・NECの面目躍如だった。

 また、家庭用ゲーム機としては世界で初めて光学ドライブを搭載。CD-ROMをゲームソフトとして採用した。これに惹かれたメカマニアも多かった。

 累計で600以上のソフトが販売されたこともあり、ファミコンに次ぐシェアを獲得する。

 1988年、勝負を諦めなかったセガが、「メガドライブ」(2万1000円)を発売。国産機では初の16ビット機で、他社製品を寄せ付けぬ高性能を誇った。

 周辺・関連機器も数多く発売された。それを使えばCD-ROMのソフトで遊んだり、電話回線を使ってゲームの配信を受けたり、離れた人と対戦したりすることなども出来た。ネットニュースの配信も受けられたから、画期的な家庭用ゲーム機だった。

 カセットも「北斗の拳 新世紀末救世主伝説」「尾崎直道のスーパーマスターズ」など数多く出たことからヒット商品となる。ファミコン、PCエンジンに次ぐ座を得た。セガが一矢報いた。

 1990年、任天堂も16ビット機に参入、商品名は「スーパーファミコン(スーファミ)」(2万5000円)。ファミコンの名を残した。

 性能はファミコンより格段にアップした一方、使い勝手の良さやカセットの種類の多さはそのまま。スーファミも圧倒的シェアを獲得する。

 売り上げはファミコンにこそおよばなかったものの、国内外で約4900万台以上。家庭用ゲーム機界における王者の座は揺るがず、任天堂は他社にとっては壁だった。

 1994年、セガとNECホームエレクトロニクスがそれぞれ32ビット機を出す。スーファミの先手を打った。その製品は「セガサターン」(4万4800円)と「PC-FX」(4万9800円)。

 どちらの本体もゲームマニアやメカマニアの間では評判が高かった。だが、やはり任天堂には勝てなかった。この構図は1980年代におけるビデオデッキの「VHS対ベータ」のシェア争いと似ていた。敗れたベータも性能は高評を得ていた。

 半面、ソフト面ではスーファミのほうが圧倒的に勝っていた。VHSのソフトが充実していたのと同じだ。

 ソフトの数はスーファミが1447本、セガサターンは1057本、PC-FXとなると、62本であり、比較にならなかった。数だけでなく、両社は人気ゲームが不足していた。

 同じ1994年、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)が参入し、やはり32ビット機の「プレイステーション(PS)」(3万9800円)を出す。

 徹底した研究と準備を重ねた上での発売で、家庭用ゲーム機で初めて本格的な3Dグラフィックを実現したほか、「リッジレーサー」など魅力的なソフトを次々と出した。

 任天堂の一強体制が揺らぎ始める。

王者・任天堂の苦悩

 1996年、スーファミがまだ売れている中、任天堂は64ビット機の「NINTENDO64」(2万5000円)を発売する。性能面においてプレイステーションを追従するのではなく、先行しようとした。無論、3Dゲームにも対応した。

 ところが、販売面で苦戦。ソフトを作るメーカーが不足し、魅力的なゲームがなかなか生まれなかったのが原因の1つ。「64ビットでは容量が大きすぎる」としてPS陣営に移っていったメーカーもあった。

 やむなく任天堂は本体の値下げに踏み切る。1997年に1万6800円、翌98年には1万4000円に下げた。任天堂にとって初の試みだった。王者の苦悩が垣間見えた。

 1998年、セガがインターネット通信用のアナログモデムを標準搭載した「ドリームキャスト」を発売。オンラインゲームやインターネットを楽しめたが、価格は2万9800円に抑えることに成功。まさに夢のゲーム機と思われた。

 だが、販売面では惨敗を喫する。やはりソフトの不足とマニアックな操作性などが理由とされている。懸命に売っている最中の2000年、ソニーが64ビットの演算ユニットが2つある高性能機「PS2」(3万9800円)を出したのも痛かった。

 この敗北によってセガは2001年、家庭用ゲーム機市場から撤退する。NECグループもPC-FXの失敗が響き、2000年に市場から消えた。家庭用ゲーム機市場は弱肉強食の世界だ。

 一方、ソニーの「PS2」は国内外での販売台数が約1億5500万台に。ファミコンを超え、最も売れた家庭用ゲーム機となる。

 ソニーの攻勢を任天堂が黙って見ているはずがなく、2006年には「Wii」(2万5000円)を発売。2017年には「Nintendo Switch」(2万9800円)を出した。Switchのキャッチフレーズは「携帯型ゲーム機としての利用もできる据置機」だった。

 片やソニーは今年11月に「PS5」(4万9980円)を出した。基本スペックは2013年発売の「PS4」(HDD容量500GB、2万9980円)より圧倒的に上だった。

 PS5は超高速SSDを搭載。インストールされたゲームをほぼ瞬時に読み込み、ほんの僅かな待ち時間でプレイを楽しめる。4Kテレビ(フルハイビジョンの4倍高精細なテレビ)にも対応している。

 まだまだ進化は続くだろう。今後も「家庭用ゲーム機三国志」は終わらない。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2020年12月27日掲載

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