【2020年に旅立った著名人】「レツゴー三匹」正児さん 相方二人を引きたてた名人芸
漫才トリオ「レツゴー三匹」はすぐにお客を引き込む力があった。「じゅんでーす」「長作でーす」と左右の二人が威勢よく名乗り、中央にいる正児さんが「三波春夫でございます」とうやうやしく挨拶する。そして両側から叩かれるのだ。(「週刊新潮」2020年10月15日号掲載の内容です)
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「決まり文句なのに笑わずにはいられませんでした」
と、演芸評論家の相羽秋夫さんは振り返る。
「トリオは音楽を使った芸やコントではうまくいっても、しゃべくり漫才では3人の役割の配分が難しい。基本的には正児さんがツッコミ、じゅんさんがボケて、長作さんは臨機応変。緻密で多様な芸を練る中心にいたのが正児さんです」
1940年、香川県の琴平町生まれ。本名は直井正三。大阪市立市岡商業高校に進む。卒業後、関西汽船に就職。お笑い界で活躍したルーキー新一は兄で、正児さんも自分を試したくなる。
勤めを数年で辞し、最初に漫才コンビを組んだ相手は横山やすし。だが、やすしの要領の良さになじめず、1年ほどしか続かなかった。
68年にじゅんさん、長作さんと3人での「レツゴー三匹」が動き出す。翌69年から松竹芸能に所属した。ネタは多彩だ。テレビの「アップダウンクイズ」をネタにした時には、「赤色と白色ではどちらが白いですか」「白」「正解です」などとクイズとは思えないやり取りで笑わせ、正児さんとじゅんさんが長作さんの体をだんだん高く持ち上げ、最後に落とす動きも面白い。
「松竹芸能で、正司敏江・玲児と並ぶ筆頭格の人気を誇りました。正児さんは的確なツッコミで、じゅんさん、長作さんをさらに輝かせて笑いを増幅させた。自分はちやほやされなくても構わないのです。手抜きもない」(放送作家の保志学さん)
73年に栄誉ある上方漫才大賞を受賞。
「大物なのに、威張ったり見栄を張ることがない。庶民的で、自転車によく乗っていましたね」(放送作家の古川嘉一郎さん)
しゃべくり漫才の名手として評価が高い「幸助・福助」の福助さんは、80年代から正児さんの弟子だ。
「漫才は、ひとりでもお客を嫌な気持ちにさせてはいけない、客席を見渡して言葉に気をつけて、わかりやすい漫才を心がけなさいと言われました」(福助さん)
90年代以降、じゅんさんは俳優、長作さんは音楽芸と、個人活動が主に。正児さんは漫談に加え講演がうまい。
70代半ばを前に異変が。
「普段通りの舞台で、途中で母校の校歌を歌い始めて、そのままオチもなく終わってしまった。ネタなのか調子が悪くなっていたのか、私達にもすぐにはわからなかった」(同世代の漫才師の若井ぼんさん)
「10分の漫談で話が飛んだり繰り返して40分経っても終わらない。責任感が強く、オチを思い出そうとされたのでしょう」(相羽さん)
「文藝春秋」の2014年11月号で同年6月に認知症と診断されたと告白した。
「昔から地頭が良い人だっただけに、気の毒でした。言いにくいことでもきちんと説明するあたりが正児さんらしい」(メディアプロデューサーの澤田隆治さん)
その後も仕事の依頼が来た人気者だ。家族が中心となり介護を続けた。長男はテディくまだの名で、演出家、劇作家として活躍している。
9月29日、肺炎のため、80歳で逝去。3カ月ほど前に体調を崩し入院していた。
14年にじゅんさんが脳出血で急逝。18年には長作さんが肺癌で亡くなっている。
「棺に師匠が大好きだった芋焼酎をまきました。せっかくのお花の香りがしなくなったと御家族から大顰蹙と大爆笑が。師匠らしく明るく見送りました。でも、もっと長生きして欲しかった」(福助さん)