世界選手権10連覇「中野浩一」が語る“天才のペダリング”(小林信也)
10連覇を前に落車
「6連覇の後、どうやってやめるのが一番格好いいか考えた。いつか負けて終わるか、勝ったまま終えるか」
自らの美学と、自転車競技の未来の両方を思案した。
「ロンドンから帰る飛行機の中で、映画『ロッキー』をやっていた。ロッキーは一度負けたあと復活してドラマを作る。それもありだなあ……。けど、オレは負けたくない。よし、勝ったまま終わろう。10連覇を区切りにすると決めたんだ」
なぜ10? 「巨人のV9を超える数字だから」……。
86年、10連覇を前に試練に見舞われた。5月の高松宮杯直前の練習で落車。
「あばら骨を7本折った。1本は肺に刺さっていた」
医師、トレーナーらの医療チームが短期間での復帰を可能にしてくれた。中野は世界選手権200メートルタイムトライアルで10秒57の世界記録を樹立。スプリントでも快勝し、見事10連覇を果たした。
「初めてチームのありがたさを知った。これからは科学とチームの力が必要だ」
いま中野は東京五輪に向けた自転車日本代表の強化委員長を務めている。海外からヘッドコーチを呼び、彼に任せる方針を貫いているのはその経験のためだ。
92年に引退。人前で涙を見せない中野が、約250名の報道陣を見て泣いた。
「うれしかった。競輪選手・中野浩一の葬式にたくさんの人が集まってくれた」
“自転車”が世間に認められた証だった。
[2/2ページ]