「おちょやん」に伊勢谷友介にそっくりな歌舞伎役者が登場 「片岡松十郎」の苦節20年

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上方歌舞伎塾の第1期生

 本名は石垣壮一郎(46)。身長は176センチ。神戸市東灘区のサラリーマン家庭の出身だそうだ。

「サラリーマンになると普通に考えていたそうですが、近畿大学商学部に在学中、阪神・淡路大震災に遭って、考えが変わったとインタビューに答えています」

〈「就職して普通に金もうけして80年くらい生きて、と人生プランを立てていたのが、今日あす死ぬかもしれないと初めて考えました」
 ボランティアで出会った人たちにも刺激を受けた。
「ネパールでボランティアをしてきた人やお坊さん、学校の先生……。視野が広くて自由に生きている人が多かった。それまでサラリーマンになることしか考えてなかったけど、なんの仕事に就いても生活していけるんだなと思いました」〉(読売新聞:2006年8月21日大阪夕刊)

「96年、松竹は上方歌舞伎の役者を育成するため、『上方歌舞伎塾』の開講することを発表しました。当時、歌舞伎界に役者は280人ほどいましたが、そのうち上方歌舞伎の継承者は40人にも満たなかったからです。研修期間は2年で、授業料は無料、と募集の記事が新聞各紙に掲載されました。それを彼に紹介したのが、歌舞伎好きのお母さんだったそうです。ただ、本人は、それまで一度も歌舞伎を見たことがなかったそうです。近大ではアメフト部だったそうですから、歌舞伎とは全く無縁の世界で生きてきたのでしょう」

 97年、大学4年になると第1期生として入塾する。1期生は15歳から24歳までの8名だった。

「99年2月に卒塾式が行われ、初舞台は大阪松竹座で上演された『仮名手本忠臣蔵』。松十郎にまだ芸名はなく、本名での出演でした」

 その時の緊張の様子も記事になっている。

〈「演技とか役作りとかの前に、まず衣装の着方や化粧のしかたが役者のレベルに達していないのを痛感しました。松の廊下で判官を抱きとめるシーンでは、長袴を踏んだらどうしよう、ちゃんとさばけるか、そんなことばかり気になってしまって……」と、石垣壮一郎さん(23)はいう。〉(産経新聞:1999年6月7日東京朝刊)

「卒塾した年末に、片岡仁左衛門さんに入門が決まり、片岡松次郎を名乗りました。その後、修行を続け、11年には日本俳優協会賞の奨励賞を受賞。授賞理由には、〈与えられたワキの役々で存在感を際だたせている点が、まさに奨励賞に相応しい〉と。そして翌12年には名題に昇進し、松次郎改め松十郎となりました。その後も、塾生の同期と『あべの歌舞伎 晴の会』を結成し、創作歌舞伎など積極的に取り組んでいます」

 とはいえ、演劇評論家の目は、そんなにやさしくない。

「『晴の会』では主役級の役もやっていますが、まだ東京では、仁左衛門一門の芝居には出ても、役らしい役はない。東京の歌舞伎好きにもノーマークの存在だったのですから、朝ドラへの出演は大抜擢と言っていいでしょう。劇中劇なのですから、いわゆる“なんちゃって歌舞伎”にしても問題はないはずなのに、ドラマ本編では、女将の元カレというしっかりした役どころでした。大阪NHKのプロデューサーに、この人を売り出したいという気持ちを持った人がいるんでしょう」

「おちょやん」に話を戻そう。18日の放送で、千秋楽を終えた延四郎は、女将と20年ぶりの再会を果たす。互いに礼を言って別れるのだが、ひと月後、女将の元に訃報が届く。実は、重い病を患っていた延四郎は、今生の別れを言いに来ていたのだ――。

 たった1週間で亡くなってしまった延四郎を演じた松十郎に、SNSでは悲鳴にも似た声が上がっている。

〈NHKの朝ドラ「おちょやん」に出演されていた、歌舞伎役者、片岡 松十郎さん、かっこええなああああ。歌舞伎30年近く観てましたが、全然知らんかったわあああ…。〉

〈松十郎さんが本当に素敵。素のお芝居も切なくて。これを機に歌舞伎以外でも見れたら嬉しい!〉

〈歌舞伎役者“早川延四郎”を演じた片岡松十郎さん、素敵だったー。舞台上や楽屋などの歌舞伎にまつわるシーンはもちろんだけど、延四郎さんのラストシーン、シズさんが背中を向けたあとの表情がもう切なくて切なくてたまらなかった。歌舞伎でも現代劇でも、またお姿拝見したいな。〉
 
 前出の演劇評論家は言う。

「延四郎は『ここらが潮時や』と言っていましたが、松十郎にとってはここからが“ウリ時”です。『半沢直樹』(TBS)で全国区の人気となった片岡愛之助のように、彼もこれからの上方歌舞伎を背負って立つ人気者になってもらいたいですね」

週刊新潮WEB取材班

2020年12月22日掲載

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