「正義中毒」が蔓延する社会をいかに変えるか――中野信子(脳科学者)【佐藤優の頂上対決】
激化する不倫バッシングに、些細な失言をあげつらっては炎上させるネット空間。そしてコロナ禍の中で現れたマスク警察や自粛警察。平穏な日常が失われた時代に、他人を叩く「正義」が跋扈している。いまや怪物と化したこの「正義」を制御する方法はあるのか。脳科学研究からの提言。
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佐藤 帯に「自伝」とある最新作『ペルソナ』を拝読しました。
中野 ありがとうございます。
佐藤 ただ、これは一般的な自伝ではないですね。
中野 そうですね。現在から過去へと遡る形で書いていますし、思考にフォーカスしていますから、時代が前後したり、何があったのか具体的なことには触れずに、その時に感じたことだけを書いているところもあります。ですから自伝といっても「内面の自伝」なんです。
佐藤 別の言い方をすると「精神の歴史」ですね。中野先生の生い立ちを追ったり、成績表を見つけたりしてきても、中野さんの心の中までは書けませんから、それを書き残しておくことは大切です。でも自分のことですから、なかなか書きにくかったでしょう。
中野 しんどかったですね。
佐藤 本の中で、人間というものは、確固たる一貫したものがあるのではなく、さまざまな要素を寄せ集めたモザイク、キメラ(ライオンの頭に山羊の体、蛇の尻尾を持つギリシア神話上の怪物)だという部分には非常に共感しました。
中野 脳から見れば、一貫している方がおかしいんです。脳は毎晩、夢を見ながら再構成される。いわば、人間は毎朝生まれ変わっているようなものです。よく中野信子は何者かわからない、と言われますが、日々、変わっているわけですから、そんなことを言われても困る(笑)。
佐藤 脳から見れば、キメラでない人はいないわけですね。
中野 とくに私たちの世代は、ロスト・ジェネレーションですから。公害まみれの1970年代に生まれ、凄絶な校内暴力の只中で学生時代を送り、過酷な受験戦争にも晒されてきました。それを勝ち抜いて入った大学を卒業したら、就職氷河期。「失われた世代」である私たちは、自我を確立させすぎないことによって、環境に合わせる能力を温存し、生き延びてきたんじゃないかと思うんです。
佐藤 日本全体がどんどん失速していった時代でした。
中野 そうでしたね。「団塊ジュニア世代」という言い方もありますが、人数が多いというのは、多数の中に埋没することが運命づけられているということです。集団と個の関係も、かなり意識させられてきました。
佐藤 中野先生は書く仕事、大学で教える仕事、研究する仕事に加えてテレビ出演と、ほんとうに多方面で活躍されています。当然、それぞれで見せる顔も違っていますよね。
中野 かなり違うと思います。今年はコロナもあって、やはり書く仕事が増えました。パソコンの画面に向かっている時間がほとんどでしたね。そのためなのか、世界の手触りが変わってきたという感覚があります。
佐藤 どういうことですか。
中野 日本人の多くは「不安遺伝子」を持っていて、自分をネガティブな方向に寄せていく傾向があります。自分が考えているよりももっとダメだと思うことで、何が起きてもたじろがないよう準備をしている。
佐藤 自己防御ですね。私にもその傾向があります。ネガティブに考えておくことで、自分を守るわけですね。
中野 そうです。でもネガティブに寄せていくと、ほんとうに自分が自信を持つための最後のよすがまで消してしまうことがあります。だから人は他の人に会うことで、本来の自分の基準はここだとキャリブレーション(較正(こうせい)・調整)しながら生きている。でも外に出て人とコンタクトする時間が減りましたから、較正の機会が失われてしまった。それで世界の見え方が変わってきたのだと思います。
佐藤 確かに人と会うことで、自分の立ち位置ははっきりしますね。
中野 人と直接会わなくても、LINEなどSNSでやりとりすればいいじゃないか、と言う人もいますが、そうしたやりとりって、コミュニケーションじゃなくて「自問自答」なんですよね。
佐藤 そう思います。あの短さの中で自分をどう表すかですから。
中野 Zoomでやりとりしている時も、相手の顔を見ているのではなく、そこにある自分の顔を見ている人が多い。
佐藤 Zoomでは、コミュニケーションは深まりませんよ。すでに知っている学生や作家、編集者が相手なら補助手段になりますが、それは前からの関係があるからです。初対面の人だと難しい。
中野 変な喩えですが、蟹を食べたことがあれば、カニカマを食べても本物の蟹の味を思い出しますが、食べたことがなければわからない、ですね(笑)。
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