ついにヒトラーと言われ始めた文在寅 内部対立激化で「文禄・慶長」が再現
韓国の保守系紙が文在寅(ムン・ジェイン)大統領をヒトラー扱いし始めた。泥沼に陥ったこの国の左右対立を、韓国観察者の鈴置高史氏が読む。
「無法時代」を告げた総長への懲戒
鈴置:驚きました。文在寅大統領をヒトラーと見なす記事が韓国の保守系紙に載りました。大統領側が報復に出るかもしれません。載せた中央日報は政権と全面対決する覚悟を固めたのでしょう。
筆者は同社コラムニストのチョン・ヨンギ氏。政治部長、編集局長を歴任した韓国を代表する記者の1人です。
12月16日早朝、法務部の懲戒委員会は尹錫悦(ユン・ソギョル)検事総長への停職2か月の懲戒処分を決め、大統領も直ちにそれを認めました。翌17日、尹錫悦総長は懲戒処分の執行停止申請と、処分の取り消し訴訟を起こしました。
問題の記事「<チョン・ヨンギのパースペクティヴ>尹錫悦への迫害に加勢…『宗教が権力に仕えてはいけない』」(12月17日、韓国語版)はこの事件を論じたものです。第1段落のポイントを訳します。
・昨日の法務部による尹錫悦検事総長の懲戒は、無法時代の開幕を告げるものだ。
・「共に民主党」政権の人々は尹錫悦を切って捨てたうえ、監獄に送ることまで可能にする高位公職者犯罪捜査処(公捜処)改正案も通過させたと祝杯を上げているようだ。さて、本当にそうなるのか。
・権力が無法時代を創り出せば、その被害は権力こそが被る。最後に悲惨な横死を遂げるのは支配者だ。まず、民心が離れる。その抵抗により力を使い尽くす。
・国内の分裂と憎悪が、敵に対する時以上に激しくなる。外国から侵略されても壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時のように助けてくれる国民が出てこない。
チョン・ヨンギ氏は「無法時代の開幕」と断じました。懲戒委員会の決定は法理上からも手続き上からも無理筋と、韓国の保守は主張します。そもそも法務部長官が検事総長を懲戒委員会にかけること自体が検察の中立性を損なうと彼らは強調しています。
ヒトラーと握手する神学者
――見出しの「宗教」とは?
鈴置:このくだりの後に「宗教」が出てきます。それがこの記事の個性的なところです。第2段落は旧約聖書の引用です。
・戦争をしたくてしかたない王に気に入られようと、400人もの偽預言者が「進軍なさい。勝利は王さまのものです。神もその城を王に手渡すでしょう」と告げた。
・戦争に反対したのはたった1人の真の預言者だけで、怒った王により牢につながれてしまった。結局、王は戦いに敗れ、自身も戦死した。
チョン・ヨンギ氏は韓国でも同じことが起きた、と嘆きます。文在寅政権が、その中枢への捜査をやめない尹錫悦総長を排除しようと検察改革に乗り出した。すると、韓国のカトリックの司祭らが一斉に検察改革を叫んだからです。
チョン・ヨンギ氏の筆はナチス時代のドイツに及びます。ヒトラーが政権を握ると、3年前まで全体主義的なナチ党への入党を信者に禁じていたドイツのカトリック教会は180度、態度を変え、禁止令を撤回したうえ「正当な権威への服従」を呼びかけたと言うのです。
ヒトラーに忠誠を誓ったドイツのカトリックと、文在寅大統領にゴマをする韓国のカトリック――。ヒトラーと文在寅氏を重ねて描いたのです。写真も「ヒトラーと握手するドイツの神学者」を使っています。
ナチス型の全体主義と通底
さらに、文在寅政権の民主主義破壊はヒトラーの全体主義と通底する、とも指摘しました。宗教者の言葉を借りてですが。以下です。
・カトリックとプロテスタントの人々が行動を共にする。文在寅政権になって始まった民主主義の破壊現象が、ヒトラーのドイツ型全体主義やチャベスとマドゥロのベネズエラ型動員社会主義の要素を一部に持っていると見る何人かの信者により、連帯が始まった。人権と法治、個人の自由と三権分立など、民主主義の基本的な価値を守ろうとの精神を共有する。
・12月10日にgoogleのリンクを通じ「検察改革に名を借りて権力の侍女に転落した偽りの宗教人を糾弾する」声明書の草案が回覧されるや否や、3日間で1485人が実名と所属教会を明らかにして署名に参加するという爆発力を見せた。
民主化を主導した韓国紙
――チョン・ヨンギ氏は宗教者への批判を隠れ蓑に「文在寅=ヒトラー」と訴えたのですね。
鈴置:「隠れ蓑」とまでは言い切れません。韓国では日本とは比べものにならないほどキリスト教の勢力が強く、宗教の弊害を説く人も多い。
チョン・ヨンギ氏は見出し通り「宗教は権力にゴマをするな」とも主張したかったのだと思います。ただ、「文在寅=ヒトラー」と指摘したのも事実です。
これは政権を相当に怒らせる記事です。韓国紙の政府批判は厳しいけれど、大統領をヒトラーと決め付けることはまずない。
私が驚いたのは、中央日報が文在寅政権と闘う姿勢を明確に打ち出したことです。韓国は1987年に民主化したことになっています。
ただ、その後も政権は様々な経路を通じ、メディアに圧力をかけてきました。この記事も中央日報社が覚悟を固めて載せたと思います。
1987年の民主化運動の最後のひと押しとなったのは、警察による大学生の拷問死事件を中央日報と東亜日報がすっぱ抜いたことです。これにより国民の怒りは頂点に達し、政府も民主化に向け譲歩を迫られました。
当時の全斗煥(チョン・ドファン)政権は現在とは比べものにならないほどの強権を振るっていました。両社とも潰されることを覚悟しての特ダネでした。
[1/3ページ]