韓国の「慰安婦像」にナゾの著作権で“ボロ儲け”する人たち

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40分遅刻した武藤大使の第一声

 2011年12月、ソウルの旧日本大使館前に慰安婦像が設置され、それ以降、韓国内や米国、ドイツなど、100体をはるかに超える慰安婦像が作られた。加えて、反日団体は、韓国で徴用工と呼ばれている旧朝鮮半島出身労働者像の建立を画策する。

 韓国では、偉人の顕彰など伝統的に碑石や祠堂が建てられてきた。

 それが朴正煕政権下の60~70年代、「愛国烈士彫像建設委員会」が“英雄”の像を建てたのが契機となって、銅像ブームが広まった。

 そして、挺対協(現・正義記憶連帯、以下、正義連)は2011年12月14日、在韓日本大使館の道路を挟んだ向かい側に慰安婦像を設置した。

 当時の武藤正敏大使は同日、ソウル市内のホテルで開かれた日本人会主催の年末パーティに遅刻した。

 パーティは大使の冒頭挨拶に続いて開宴する。

 大使が出席できないときは、総括公使が出席し、大使、公使とも出席できないときは次席の大使館員が大使挨拶を代読するのが通例だが、ともあれ遅刻は異例である。

 40分ほど遅れて会場入りした武藤大使の第一声は、慰安婦像設置を阻止できなかったことに対する詫びだった。

 武藤大使は65年の日韓国交回復以後の駐韓大使のなかで唯一人、韓国語が堪能で、親韓派といわれてきた人物だ。

 正義連はその武藤大使の在任中に慰安婦像設置を強行、翌年の李明博大統領の竹島上陸と相まって、親韓大使を嫌韓大使に宗旨替えさせるに十分な“蛮行”だった。

“美しい景観”を乱す像

 日本大使館は2015年7月、建て替えのためオフィスビルに移転したが、集会どころか像を設置するスペースもない。

 その後、建て替え計画は事実上白紙となり、正義連はその空き地の前で慰安婦像を囲んでいる。

 2015年12月、日本と韓国が慰安婦問題合意を交わした直後に釜山総領事館前に慰安婦像が設置され、日本政府は長嶺安政大使と森本康敬釜山総領事を帰国させた。

 全権大使の不在は12週間に及んだ。

 今年7月、ソウル郊外の「韓国自生植物園」が慰安婦とその前で土下座する人物の像「永遠の贖罪」を設置し、一部メディアが謝罪像は安倍晋三首相(当時)がモチーフだと指摘すると日本政府は反発、韓国外交部の報道官が「外国の指導者は礼遇すべし」と遺憾の意を表明。

 植物園側は安倍首相がモチーフではないと言い訳したものの、除幕式を中止した。

 一方、韓国最大の観光地である景福宮前の光化門広場には2つの像が建っている。

 まずはハングル文字を作った世宗大王の座像で、国粋主義の象徴だが、あるメディアはその像に疑問を呈している。

 広場から光化門の瓦屋根と青瓦台、北岳山を望む “美しい景観”を巨大な像が乱しているというのだ。

 そしてその正面には、李舜臣将軍像が世宗大王像に尻を向けるようにして建っている。

 文禄・慶長の役で水軍を率いて秀吉軍を翻弄した韓国の英雄だが、その像もまた観光地の景観には似つかわしくないという声がある。

 ソウル市中区の奨忠壇公園には、三一運動“烈士”の像が並んでいる。

 1900年、大韓帝国の高宗が、日本公使館が襲われ、皇后閔妃が暗殺された乙未事変で殉じた忠臣を祀る目的で祠堂を建立したものだ。

 1919年、日本統治政府が公園を整備し、その後に伊藤博文を祀った博文寺と日本軍人の銅像が建てられた。

 日本軍人像が撤去された公園内には、現在、李儁(イ・ジュン)の銅像が立っている。

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