伊吹衆院議長の名言 眞子さまの父親と皇嗣であることの「相克」に耐える秋篠宮さま

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「皇位が今後も安定的に継承されることを示す意味を持つ」立皇嗣の礼

 政府は平成30(2018)年に譲位(退位)や即位等に供えた「式典準備委員会」を設置し、式典のあり方について有識者4人からヒアリングを行った。

 このうち、元内閣官房副長官の石原信雄氏は「皇太子ではなくとも、皇太子と同様のお立場になられ、皇太子と同様の御活動をしていただくのだから、 そのようなお立場になられたということを明らかにするための儀式は行うべきだ」と述べている。言い換えれば、皇太子と同様の地位や身分で同じ活動をしていただくのだから、そういう立場にあるということを敢えて明らかにする儀式が必要だということになろうか。

 さらに、東大史料編纂所教授の本郷恵子氏は「明治以降初めて、直系ではなく兄弟間の継承が行われることになる。親から子への継承に比べると、それほど一般的とはいえないケースなので、慎重に準備する必要があるだろう」とした上で、「上記を踏まえれば、今回の儀式は、天皇位が今後も安定的に継承されることを広く示す意味を持っているので、特に重要である」と述べている。つまり、今回は天皇から皇子(天皇の男子)への継承ではないが、それだけに、これからも皇位継承が安定的に行われるのだということを国民に向けて示す意味があるのだという。確かに一般国民の多くは、今回の立皇嗣の礼を、そうした意味合いを感じて前向きに受け止めたのではないだろうか。

 また、同じヒアリングに於いて、元最高裁判事の園部逸夫氏は「秋篠宮殿下がなられる皇嗣は、皇室典範が定める皇嗣であることに加え、『皇太子の例による』特別な皇嗣であるから、秋篠宮殿下が皇嗣であることを公に告げられる儀式は国の儀式として行われることが望ましい」と述べている。

 さらに京都産業大名誉教授の所功氏は次のように主張した。「今回皇嗣となられる文仁親王殿下は、内廷皇族でなく、秋篠宮家の当主を続けられるとすれば、身位が安定しない。まして生まれながらの皇太子である徳仁親王殿下ですら、父君の即位後(平成3年2月23日)「立太子の礼」を行っておられる。従って、秋篠宮文仁親王殿下は、兄君の即位後(例えば新元号元年の11月30日の御誕生日)、父君や兄君と同様、「立皇嗣宣明の儀」「参内朝見の儀」を「国の儀式」として行われ、その際、兄君から「壺切の御剣」を受け継がれる必要がある」。

 各識者とも、立皇嗣の礼を行うこと、しかも国事行為として行うことの意義をわかりやすく説いている。それが単なるセレモニーではないことがよくわかる。

 ところで、宮内庁は大嘗祭や宮中祭祀を含む皇位継承儀式の総称を「大礼」という伝統的な表現で呼んでいる。宮内庁長官をトップとする「大礼委員会」を設置し、上皇さまの譲位、そして天皇陛下の即位に続く一連の皇位継承儀式の最後に立皇嗣の礼を入れた。

 あまり注目されなかったが、実は今上天皇が平成3(1991)年2月のお誕生日に臨まれた「立太子の礼」はこの大礼に含まれていなかった。一連の皇位継承儀式と切り離した独立した式典として位置づけていた。今回はなぜ立皇嗣の礼が大礼に含まれたのか。宮内庁幹部は「そういう組み立てになっただけ」としか言わないが、元幹部の一人は「立皇嗣の礼を広い意味での皇位継承儀式と位置づけ、秋篠宮さまが次の天皇となるべき方であることを国民に知らしめたい思いがあったのではないか」と話す。

天皇が壺切御剣を親授されたことの重みと新嘗祭での皇嗣の役割

「立皇嗣の礼」では、宮殿の鳳凰(ほうおう)の間に於いて皇室行事としての「皇嗣に壺切御剣親授」が行われ、皇太子という身位の「しるし」として受け継がれてきた壺切御剣を陛下が秋篠宮さまに授けられた。親授とは天皇が直接授けるという意味で、恒例行事としては文化勲章親授式などがある。長さ約1mの御剣の鞘(さや)は漆塗りで、銀の装飾が施されている。古文書には平安時代前期の寛平5(893)年、後の醍醐天皇となる敦仁(あつぎみ)親王が父の宇多天皇から授けられたとされる記述が残っている。途中で中断や紛失もあったが、いわゆる皇太子相伝の剣として伝えられてきたと言われる。

 秋篠宮さまは今回の立皇嗣の礼を終えるまでは、宮中祭祀の決まりによって宮中三殿では皇嗣となってからも昇殿はできなかった(1990年のご成婚時の拝礼を例外として)。他の皇族方や参列者と同じく庭上からモーニングを着て拝礼されていた。立皇嗣宣明の儀と壺切御剣の親授を経て、ようやく昇殿が可能となり、立皇嗣の礼当日の「賢所皇霊殿神殿に謁するの儀」では、御剣を捧持する侍従を従えて殿上で拝礼された。

 それから二週間後の11月23日、皇居では特別な宮中祭祀である「新嘗祭」が行われた。この日は皇居や全国の神社等で五穀豊穣を神々に感謝する新嘗祭が行われる「祝祭日」だったが、戦後の昭和23年に「勤労感謝の日」となって今に至っている。

 新嘗祭とはごくごく簡単に言うと、皇居の神嘉殿(しんかでん)という社殿に於いて、天皇陛下がご自身で皇祖神の天照大神や神々に新米の御飯や山海の幸をお供えして五穀豊穣を感謝するとともに国家・国民の平安を祈られ、ご自身もそのお下がりを召し上がるというものだ。その間、庭では篝火(かがりび)が灯され神楽歌が静かに奏される。陛下は夕刻から未明にかけ、板間に正座したまま約一時間半の所作を二度繰り返されるが、宮内庁関係者は「ご夕食と朝食をそれぞれ差し上げて丁重にもてなされるイメージで捉えればわかりやすい」と説明する。

 その間、秋篠宮さまは、壺切御剣が置かれた隔殿(かくでん)と呼ばれる板間で正座してじっと控えられ、陛下のご所作を拝することはできない。これが新嘗祭での皇嗣のお役目であり、今上天皇も皇太子としてそれを続けてこられた。皇太子だった2014年の歌会始では、こんな御歌を詠まれている。

 御社(みやしろ)の静けき中に聞え来る歌声ゆかし新嘗の祭

 歴史学者の所功氏は著書『天皇の「まつりごと」 象徴としての祭祀と公務』(日本放送出版協会)の中で、「その座から正殿の御座はご覧になれないが、静かな薄明かりの中で新嘗祭の真義をおのずと感得されるのであろう」と記している。

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