妻の記憶障害がわかった が、悪いことばかりでもない──在宅で妻を介護するということ(第15回)

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しまむらと100均に感謝

「在宅」を始めてから、衣類・雑貨を購入する機会が増えた。パジャマ、タオル、夏掛けぶとん、シーツ、枕、スリッパの類で、ひいきのお店は自転車で5分ほどのところにある、ファッションセンターの「しまむら」。都心部にはあまり見かけないが、郊外に行くとどこにでもある日常普段着にシフトした大型チェーン店だ。

 しまむらは、“お年寄りの銀座”といわれる巣鴨地蔵通り商店街をほうふつさせる品ぞろえの店である。ターゲットは中高年。センスはお世辞にも最先端とは言えないが、何より値段がとびきり安く、家で普段着使いするには最適な衣料・雑貨がそろっている。

 寝たきりの人間を抱えていると、大事なのは質よりも量。安くて惜しみなく何度も洗濯できるものが一番いい。スーパーの婦人服売り場などにはさすがに入りにくいが、しまむらにはメンズも置いているから恥ずかしくない。

 まさしく介護者御用達の店。ユニクロにはない柄物が豊富にあるのもいい。最近はいい買い物ができると、看護師さんに見せて自慢するほどの“しまラー”になってしまった。

 もう一つ、私たちの生活に深く入り込んできたのが、ご存じ100円均一ショップの「ダイソー」だ。

 食器、文具、カレンダー、ちょっとした生活雑貨など、なんでも100円で入手できて有難いことこの上ない。最近は品質も普及品と遜色なくなってきた。スーパーの2階にあるこの店に私は、感謝を超え畏敬の念すら覚えている。

 そんなわけで、私が“主夫”の役割を担うようになってから、わが家はしまむらと100均グッズに席巻されつつある。若いころブランド志向が強かった女房が元気になったら、ひと悶着起きるのは必至だろう。

10分前の出来事が思い出せない

 桜の開花予想が行われるころになった。週2回のリハビリ空しく、いまだ女房の両脚に脳の指令は届かない。足指をピクッと動かすのが精一杯で、膝が持ち上がる気配は全くない。足が立たなければトイレは無理だ。全介助状態を脱することはしばらく難しいだろう。

 最低でも週に1度は車いすに乗せ、テレビを見る時間をつくった。座位を長くとることで姿勢を保持する筋肉に力が働くという。しかし、相変わらずベッドに戻ると吐き気を催すため、デイサービスへ連れていく日は延び延びになっていった。

 身体に比べて、頭の方は順調な回復を見せた。このころになると、日常会話レベルの「話す」「聞く」はほとんど問題なくできるようになった。ワイドショーの中身をほぼ理解し、ラジオから流れる昔のヒット曲を一緒に口ずさむことも多くなった。

「スーパーの前にマクドナルドができたよ」

「あらそう、いつから……」

 介護者にとって、何気ない言葉のやりとりができるほどうれしいことはない。それだけで私の介護ストレスは半分近く軽減された。ただ、話ができるようになって初めて分かったこともあった。

 ある日、訪問看護師が帰って1時間ほどして、目が覚めた妻に「とても親身になってくれる看護師さんだね」と話しかけたときのことである。「えっ、今日来たっけ?」と真顔で言う。全く覚えてないらしい。アルツハイマー型認知症の人によく見られる「記憶障害」だ。

 そういえば、お風呂に入ったことを忘れているような日もあった。「やはり脳にダメージを負ったか」と悔しい思いはしたが、薄々感じていたことなので大きなショックはなかった。

 医師に相談したところ、「記憶をつかさどる海馬に近いところをやられているので仕方ないでしょう。ただ、アルツハイマーではないので、今後進行することは考えにくい」と言われ、胸をなでおろした。

 面白いことに記憶があやしくなるのは直近の出来事で、10分くらい前に言ったことをもう忘れている。一方で古い記憶、例えば若いころの旅行先とか、仕事でお世話になった人などはだいたい覚えているのだ。

 それでいいと私は思った。もしもこれが逆で、昔のことをすっかり忘れてしまっていたとしたら、これほど悲しいことはない。夫婦が長く連れ添うことの意味はそこにあると思うからだ。

 お互いの若いころを知っていて、当時の思い出を語りあうことができる。楽しかった日々、苦しかったあの頃のことを、お茶でも飲みながら語れる相手がいるのは素晴らしいことだ。それだけで十分ではないか。

 ただ、過去の記憶でも弱い時期があり、特に3~5年くらい前の記憶がスッポリ抜けているのが後で分かった。この時期、彼女の両親が他界している。「お母さんどうしてるかしら」と言うので、亡くなったと告げると号泣した。記憶のかけらもないので、闘病の様子や葬儀の話を言って聞かせた。

 2~3日して、またお母さんはと言うので冗談かと思ったが、同じように答えたところ、初めて訃報に接したかのように驚き、みるみる涙目になったのにはいささか驚いた。記憶障害にはこの先も苦労することになる。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年12月17日掲載

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