浅香光代さん逝去 本誌に語った「あたしゃサッチーに1000万円は使った」

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 女優の浅香光代さんが、12月13日、すい臓がんのため亡くなった。享年92。故・野村沙知代さんとのバトルは、今も人々の記憶に残る。2013年に「週刊新潮」のインタビューに応じた際には、こんなエピソードも披露してくれた。(以下は13年7月25日号を再掲載)

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 1999年に始まった“サッチー”野村沙知代と“ミッチー”浅香光代の熟女バトルは、当時のワイドショーを大いに盛り上げた。傲慢サッチーに一歩も引かない江戸っ子ミッチー。2人の争いは訴訟騒ぎにまで発展した。結局、勝者はどちらだったのか?

 あたしゃね、いまだに飛行場に行くと若い人から「ミッチー」なんて声をかけられる。まだあの騒動が尾を引いているのかと思いますよ。人生色々あって悪いことばかりではないけれど、あの騒動は嫌だった。あんなにひどい目に遭ったことはないですよ。

 きっかけは99年、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」での発言です。5年務めた水曜パートナーを降板する際、最終回で「言いたいことを言わせてちょうだい」とサッチーを“口撃”したせいで大騒ぎになった。でもね、5年出演したうちのたった1回、それも5分程度サッチーについて喋っただけ。それであんな大騒動になるとは思わなかった。

 悪く言うつもりはなかったんですよ。ただ大沢さんが「また一緒に舞台したいですか」って聞くから、「するわけないじゃない」と言ったし、「また野村さんと会いたいでしょ」と聞くので「会いたくない」と。特段、何の意図もなく言っちゃいましたよ。

 その後、ラジオを聴いた芸能レポーターから、毎度サッチーのことを聞かれるようになった。「むこう(野村)は嫌なやつって言ってましたよ」とかね。それに対して面倒くさいから「ふざけんじゃないわよ。てめぇの方だよ」と答えていた。江戸っ子だからそう答えちゃうんですが、そんなこんなでホテルで定例の記者会見を開いたり、ワイドショーで連日取り上げられるようになったりで、大騒動へと発展したのです。

反撃してくるかも

 もともと私の夫の世志凡太が野村監督と長年の付き合いでね、野村監督の最初の結婚式のときに、手伝いやら司会やらをやるほどの仲良しだったんです。それでパーティーなどでサッチーとちょいちょい顔を合わせてはいました。

 あるときサッチーから浅香さんの舞台を一度見てみたいと言われて、舞台に招待したら「私もいっぺん、芸者の役で出たい」と。そこで当時私が出ていた、銀座博品館劇場の舞台「梅川忠兵衛」に出てもらおうと思ったんです。

 しかしサッチーはまず稽古に来ない。来たかと思うと数時間も遅刻して、タバコをプカプカ。なんだか遊び半分みたいでした。当時、私が着物を誂えてあげたことがあったんですが、彼女はそれを貰ってない、知らないと言う。しかし染物屋に聞くと確かにサッチーが受け取ったと言う。後で聞いてみたら、あんなの嫌だからお焚き上げしたと言うんですから驚きました。

 他にも、私がしていた指輪を見て「これ貸してよ」と言うので貸したら、いつまでたっても返ってこない。返却を求めると「あら、そんなの貰ってない」と言う。後でテレビを見ていたら、ちゃっかりその指輪をして出演していましたよ。

 それでも色々と我慢したのは、サッチーとの関係は舞台一回で終るものだし、と思っていたからです。今更やめるわけにもいかないから、なんとか無事に終らそうと思っていた。

 舞台初日、サッチーは幕が開く直前に、「私にギャラ下さいね」と言ってきたんです。本当にしっかりしている人ですよね、参りましたよ。普通なら家元が一緒に踊ってあげるんだから、向うが払うのがしきたりでしょう。

 舞台の本番中も、別れのシーンに何時までたってもサッチーが出てこない。私は台本にない台詞を言って必死に繋いだんですが、その時サッチーはタバコが吸いたいと言って舞台袖で吸っていたんです。「今、行くわよ」なんて声が舞台に聞こえてきて驚いちゃった。

 舞台の幕が上がっている最中にも、彼女が叱っている声が聞こえるんです。お手伝いの人に、弁当のおかずが悪いとか、滑ったの転んだのって、怒鳴っている。それがお客さんに丸聞こえですよ。

 なんとか3日で全5公演の舞台は終了して、ギャラは彼女との縁切りだと思って出演料として100万円ほど支払いました。世志もそれでいいんじゃないかと言ってくれました。こっちは何一つ彼女から貰っていません。裏方さんに祝儀を払わないといけないのよと言うと、「あら、私が渡したら悪いんじゃないの」なんて言って、結局何も払わなかった。

 衆院選に出馬したサッチーを、経歴詐称で告発した件は、最終的には不起訴になってしまいました。虚偽の経歴が公職選挙法に触れるという私の主張は、今でも正しかったと思います。応援してくれる人がたくさんいて、本当に嬉しかったですね。裁判がうまく行くようにと、立派なお神輿を送ってくれた人たちもいたんです。今でも事務所に大事に置いてあります。

 2001年には彼女が所得税法違反などで逮捕され、騒動も終ったかとホッとしていたら、翌年に名誉毀損の裁判を起こされて、呆れ返りました。しかも賠償金の請求額は1億1000万。向うは三浦和義の無期を無罪にしたといわれる弁護士だったので、梨元さん(故・梨元勝)に相談して弁護士を紹介してもらいました。

 体調不良のまま、ドクターストップを振り切って、法廷に立ったりもしましたが、最終的に110万円を支払うことになりました。まあ、サッチーに関しては、いろんなことでずいぶんお金を使いましたよ。ホテルで開いた記者会見や、弁護士費用、裁判費用など、全部で1000万円くらいじゃないですか。

 こっちが因縁をつけたわけではないのに、ものの弾みで騒動になってしまった部分もありますね。私はどんなに悪口を言われても笑って生きていたいほうなので、いがみ合いになってしまったのは残念でした。

 でもサッチーには、あのふてぶてしい“張り切りぶり”をもう一度見せてもらいたいという気持もあります。もしかしたらこの記事を読んで、また、反撃してくるかもしれませんね。

週刊新潮WEB取材班

2020年12月15日掲載

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