「堂本光一」が演出家として行う、「ジャニー喜多川の夢」の引き継ぎとレクイエム
生まれはジャニーズ、育ちは帝劇
堂本光一演出の「DREAM BOYS」を見て再確認した。
堂本光一は、ジャニーズに生まれ、ミュージカルで育ってきた人なのだ、と。
12歳でジャニーズ事務所入りした光一も、次の正月には42歳を迎える。
30年の芸能人生のうち、15年を演出する側として過ごしていることになる。
32歳だった10年前には、「人生の3分の1を帝劇に関わらせていただいて、人格を形成してくれた場所」(*4)とも言っているほど。
つまり、生まれはジャニーズ、育ちは帝劇。
2018年には「ナイツ・テイル-騎士物語-」でミュージカル界のプリンス・井上芳雄とタッグを組み、シェイクスピア作品に挑戦。いわゆる“ジャニーズ舞台”ではない、海外の血の入ったミュージカルでも成果を残している。
「SHOCK」での功績が認められ、2008年には作品で、2020年には個人で、演劇界の栄誉と言える菊田一夫演劇賞も受賞している。
実は堂本光一は、ジャニーズ事務所のアイドル・KinKi Kidsとして成功をおさめる一方で、ミュージカル畑を歩み続けてきた唯一無二の人でもあるのだ。
今年の堂本光一演出の「DREAM BOYS」は自身でも公演前に「よりミュージカルらしくなっていく」(*1)と公言していたほど。宣言通り、ジャニー喜多川オリジナルの世界観に、堂本光一が、アイドルの世界から越境して体得してきたミュージカル成分を注入したものとなっていた。
生前、ジャニー喜多川はこう言い続けていたという。
「我々にしかできないことをやりなさい」(*3)
ジャニーの想いを、自分の経験をもとにアレンジし、そして信頼できる後輩である岸優太に体現させる。
これは、彼らにしかできないことのはずだ。
「ジャニーさんを超えなければならない」
もちろん、改変を加えたということは、堂本光一がジャニーの想いを無視しているということではない。
もともとはミュージカルをもとにした映画「ウエストサイド物語」に感銘を受けたジャニー喜多川が、野球チームの少年たちを歌い踊らせたところからジャニーズ事務所が始まったことを考えると、ミュージカル世界を体得した光一の手によって、原点に戻ってきているような印象も受けるし、「文化を継承するには、時代に即して変えるべきところは変えなければならない」(*5)という光一の弁も納得がいく。
そもそも、存命中から「ジャニーさんの名前を傷つけちゃいけない」というプレッシャーを感じるよう、自分が演出するようになった「SHOCK」にも敢えて、「作・構成・演出:ジャニー喜多川」というクレジットを残し、「(ジャニーさんに)NOと言われるものはやらない」(*2)という志でやってきた光一だ。
ジャニー喜多川の死後、“恩師”の想いを引き継いでいこうという動きが、多くのジャニーズタレントの中で見られているが、光一は後輩グループであるHey! Say! JUMPのライブを手伝ったり、KinKi Kidsとしてもジャニーを追悼する想いを「KANZAI BOYA」というシングル曲として発売したりするなど特に精力的で、生半可な気持ちでジャニーの作品の演出を担当するはずがない。
ジャニーの死後には「僕が常に念頭においているのは、『ジャニーさんだったらどう考えるかな?』ということです。(中略)ジャニーさんにはなれないんだから、自分なりに考えてやるしかない」と語っている(*6)。
そして、こうも言っている。
「ジャニーさんを超えなければならないという思いでやってきた。多分、超えたと思えるようになって初めて『本当にジャニーさんは亡くなっちゃったんだな』って認められる気がするんです」(*5)
もうすぐ、その死から1年半が経とうとしている。
今も光一はジャニーの死を認めようと、舞台と向き合い続けているのかもしれない。
(*1)『Stage fan』 Vol.10
(*2)テレビ朝日『関ジャム 完全燃SHOW』2017年2月26日放送
(*3)フジテレビ『連続ドキュメンタリー RIDE ON TIME』2020年3月13日放送
(*4)
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/03/02/kiji/K20110302000347910.html
(*5)『サンデー毎日』2019年12月15日号
(*6)『婦人公論』2020年2月10日号
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