世界で勝てるグローバル・メドテック企業へ――竹内康雄(オリンパス取締役 代表執行役社長兼CEO)
グローバルで勝てる組織に
佐藤 竹内さんはこうした会社の方向性を決められるとともに、大胆な組織改革も行われています。
竹内 企業改革に先立ってまず行ったのは、経営理念を変えたことです。それまでは1994年に制定された「Social IN」というものでした。Social INというどこにもない言葉をもって理念としましたが、これに対して何をすればいいか、従業員に「腹落ち」しなかった気がします。そこで理念を「世界の人々の健康と安心、心の豊かさの実現」としました。そして「誠実、共感、結束、俊敏、長期的視点」の五つのコアバリューを設定し、3万5千の従業員に対し、その意識を徹底するようにしています。
佐藤 いまのお話を聞いて、レーニンを思い出しました。
竹内 ロシアのレーニンですか。
佐藤 そうです。ロシア革命では共産主義社会の理念的な部分ばかりが先行していました。その中でレーニンは「真理は具体的だ、具体的に何をやればいいかがわからないといけない」と主張したんです。これによってレーニンは多数派を形成して勝利するのですが、彼はその時、我々の主張をはっきり説明できる新聞を作れと命じました。そこで個々の問題に具体的な指針を示したのです。
竹内 弊社には内視鏡やカメラ、科学事業など、技術的にはシナジーがあっても、ビジネスの上では共通性のない事業が並んでいましたから、理念も最大公約数的な言い方になっていました。それをできるだけ具体的にしたかったのです。
佐藤 その上で、組織を日本従来の職能型からジョブ型(職務型)に変えました。
竹内 コロナ禍の中で働き方が変わりジョブ型が広がっていますが、私は1990年代半ばの2度目のアメリカ駐在時から、ずっとジョブ型に変えるべきだと考えてきました。日本は新卒一括採用ですし、横並び意識が強く、プロフェッショナルの意識が低い。専門性を高めるジョブ型は欧米では当たり前ですが、日本では理解してもらえませんでした。
佐藤 考えてみると、私は外務省においてジョブ型の第1号と言えるかも知れません。私は外務省で二つの部署しか経験していません。モスクワに7年8カ月いた後、本省の国際情報局分析第1課に異動して6年8カ月、常に情報というジョブに特化した仕事を担当してきました。
竹内 2カ所は少ないのですか。
佐藤 普通は2、3年で異動します。でもそれだと高度な専門家が育たない。情報分野なら10年やってようやく入場券を得られるくらいです。本省では、私の下に各部横断的な、その存在を秘匿する組織がありました。そこで得た情報を直接、官邸に報告するのですが、だんだん二重権力のようになってしまったんですね。それが周囲と軋轢を生じさせて、私が逮捕される事件に繋がっていきます。だから職能型の組織の中で、一つだけ異質な集団ができると大変です。
竹内 弊社もまだ全従業員ではなく、まずは従来管理職だった人を対象に始めました。だからまだ迫力がない。ここはまだこれからですね。
佐藤 それから社外取締役にアクティビスト(もの言う株主)を入れたことも話題になりました。
竹内 私たちには、グローバルで勝っていける医療機器の会社になるという目標があります。でもそれに求められるケイパビリティ(組織の強み)において、まだまだ不十分なところがいくつもあります。それを指摘し、提言をしてくれる人材が必要でした。バリューアクトという投資会社から受け入れましたが、彼らにはきちんとした分析力があり、これまでも投資先に取締役を派遣してきた実績があります。私どものマネジメントとロングタームで歩調を合わせて、企業価値を増大させていくことができると思っています。
佐藤 相手が短期的利益を目指すのでなければ、非常に重要なパートナーになると思います。
竹内 いま世界的な高齢化の進展で、先進各国では医療費の削減が大きな課題になっています。また新興国では健康への意識が高まっている。その中で弊社の内視鏡が持つ早期診断、低侵襲治療の価値はさらに大きくなっていくと思います。これらは医療費削減だけでなく、病院経営や患者の方のQOL(生活の質)の向上にも繋がります。弊社はいま、そうした社会貢献をしながら持続的に発展できる組織作りを行っているところです。
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