「辛坊治郎氏」独占告白 ヨットで太平洋横断に執念を燃やす理由、テレビ業界引退宣言

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2013年の失敗

 この岩本氏がヨットによる単独太平洋横断を計画したのは、お笑いタレントの間寛平氏(71)が1つのきっかけだった。

 間氏は08年から11年まで「アースマラソン」に挑戦。マラソンとヨットによる世界一周に成功した。

 その際に使われたヨット「エオラス号」の記事が「Kazi」に掲載された。文末で、エオラス号の所有者が「クルーズに出たい夢を持つ人には貸与したい。場合によっては無償でいい」という意向を持っていることが伝えられた。

 編集部も、希望者はプロフィールや航海計画をメールで送るように呼びかけた。これに「Kazi」の読者だった岩本氏が応募。ブラインド・セーリングによる単独無寄港の太平洋横断に挑戦したいという意思が伝えられた。

「岩本さんの計画は実現可能なのか、専門家が検証したのですが、さすがに無理という結論に達しました。報告を聞いた岩本さんは、私のコラムを音訳で聞いておられたようで、『健常者と2人で挑戦するのはどうでしょう』と提案されたのです」

 岩本氏の要望を聞いた辛坊氏は快諾。13年6月、福島県いわき市からアメリカのサンディエゴまでヨットで航行する「『ブラインドセーリング』プロジェクト」に挑戦した。

 全盲者と健常者の2人組による太平洋横断挑戦は世界初とされたが、宮城県・金華山の南東約1200キロ沖合にてマッコウクジラと衝突して船体に浸水、2人はヨットを放棄して救命ボートに避難した。

「救助活動に従事してくださった方々の一部とは、今でも連絡を取っています。かなり早い段階で再挑戦すると決めていました。ところが時間が経つにつれ、怖くなりました。自分が命を落とすことに覚悟はあっても、誰かの命に責任を持てなくなったのです」

周囲は理解

 辛坊氏は悩んだ。懊悩した。そうこうするうちに、岩本氏は19年2月、アメリカ人のパートナーとサンディエゴを出航。4月に福島県小名浜港に到着した。

 マスコミからコメントを求められ、辛坊氏は心から祝福した。岩本氏の成功は、今度は辛坊氏が単独で太平洋横断に挑戦することを決心させたという。

「子供も成人し、私の手を離れました。そもそも人間はいつか死にます。自分の命だけなら責任を持てるだろうと考えたのです。今乗っているクルーザーを使い、スポンサーは募集しないことにしました」

 辛坊氏は、かなりの売れっ子だ。テレビのレギュラーを3本、ラジオも3本を持っている。この全ての番組と降板交渉を行わなければならない。さぞかし大変だったと思うのだが、実際は全く違ったという。

「周囲からは『どうせ辛坊は再挑戦するのだろう』と見抜かれていたようで、驚かれることはなかったですね。話し合いも非常にスムーズでした。しかし、ラジオ『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送・月〜木・15:30)だけは別でした。今年7月からスタートしたばかりということもあり、私の帰国を待ってくれることになったのです」

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