輪島功一が許せなかった「韓国人ボクサー」との一戦 リベンジを可能にした駆け引きとは(小林信也)

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不可能を可能にする

 炎の男と呼ばれた輪島の激闘の中でも、最も伝説的に語り継がれるのは柳済斗(韓国)とのリターンマッチ。

 75年6月、防衛戦で柳済斗に7回KO負けを喫した。

「オレはさ、韓国の人は大好きなんだ。年寄りを大切にするでしょ。家族を大事にする。素晴らしいよ」

 それだけに、あれは信じられない、と。

「5ラウンドが終わってさ、『ああゴングが鳴ったね』と、オレは両手を広げて柳済斗に目で合図したわけだ」

 言いながら、いつもの人懐っこい笑みを浮かべた。

「そしたらさ、柳がパンチを出してきた。まともだからね、効いたさ」

 輪島は尻もちをついた。

「終わって気を抜いた時だからね、効いたよ。目の前が真っ赤になった。相手がどこにいるかわからない」

 ダメージが残った。そして7回、柳のラッシュを受けて輪島はリングに沈んだ。

 限界説や引退説が囁かれた。しかし輪島はリングを離れる気にはなれなかった。

「勝つにも勝ち方がある。負けるにも負け方がある。あれは納得しない。このままじゃ終われない」

 翌76年2月、リターンマッチで柳を15回にKOし、タイトルを奪還した。「奇跡の勝利」とも言われ、ファンを熱狂させた。試合前、風邪ひきを演じ、調印式にもマスク姿で現れるなど陽動作戦を取った。

「あれは駆け引きだよ。日本ではさ、駆け引きが『ずるい』と言われる。違うよ。悪いことに使っちゃだめだよ、でも駆け引きは不可能を可能にするんだ」

 下り坂の32歳が上り調子の28歳に勝つには、駆け引きが必要だった。

「肘を打たれても骨が砕けるかと思うほど柳のパンチは強かったんだ」

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2020年12月3日号掲載

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