「サタデープラス」で芸人より面白い増田明美さん、コスプレもコントもありの才能
高校時代から芸達者
「あの時は彼女がB'zの歌を知らなかったようで、小杉から“知らんやないか!”とツッコまれていましたが、本来は歌も上手いですからね。都はるみのモノマネは高校の頃から持ちネタにしていたと言いますから」
朝日新聞の「ひと」欄にも、そのエピソードが紹介されている。「マラソンへの初挑戦が期待される 増田明美」とのタイトルで、彼女が高校3年、18歳になった時の記事だ。
〈……昨年、女子長距離の三千メートルから二十キロまで、5種目すべての日本記録を塗り替えた。身長一五〇センチ、体重三八キロ。(中略)暮れは二五日から三十日まで同校で合宿。夜のミーティングでは、都はるみの演歌を熱唱した。ソックリ賞が出るほど、うまい……〉(「朝日新聞」82年1月3日付)
「彼女はものまね番組に出演したこともありました。もちろん都はるみを唄っています。イベントでもはるみ節を利かせながら、“さよーなら、さよーうなら~”とステージから去って行ったのを見たこともあります。芸達者なんですよ。そして何より、彼女は声がいい」
NHKの朝ドラ「ひよっこ」(17年上半期・主演:有村架純)のナレーションに彼女が抜擢されたことは記憶に新しい。
「第一声が“おはようございます。増田明美です!”は驚きましたが、朝ドラのプロデューサーは“聞きやすく、綺麗で心地よい声。半年間、朝に聞いていただくのに相応しい”と絶賛していました。そのナレーションも、彼女のマラソン解説同様、歴史的な出来事や時代背景など“細かすぎる情報”が語られました。マラソンの解説でも、選手の好きな食べ物であるとか、両親の話など、彼女独自の取材から得た細かい情報が名物ですからね」
増田さんは陸上選手として中距離から10000メートルまで数々の記録を打ち立てたが、マラソンに転向してからの成績はあまりパッとしなくなった。唯一出場した五輪のロサンゼルス大会(84年)では、途中棄権(16キロ付近)だった。東京国際女子マラソン(89年)は8位(日本人最上位)、ロンドンマラソン(90年)は19位で、92年に現役を引退した。
「元スポーツ選手が引退後、タレントとして活動をすることは多いですが、彼女ほど様々な活動をしている人はいないでしょう。引退後はすぐに解説者やラジオのパーソナリティーとして活動をはじめ94年にはドラマ『ブスでごめんね!』(日本テレビ)で女優デビュー。トミーズ雅さんとベッドシーンまでこなしました。95年にはイチローが登場した日産のCMでナレーションを務めたのを皮切りに、ナレーションの仕事も増えていきました。やはり声の良さが変われたのだと思います」
さらにしゃべり以外の才能もある。新聞の連載など執筆活動も行っており、共同通信が地方紙に配信するエッセイ「おしゃべり散歩道」は99年の開始以来、20年以上続いている。ほかにも産経新聞「思ふことあり」、読売新聞では人生相談、電気新聞でも連載中だ。
「04年から大阪芸術大学芸術学部の教養課程教授も務めています。スポーツでは、日本パラ陸上競技連盟会長、全国高等学校体育連盟理事、日本障がい者スポーツ協会評議員も務めています。非常にお堅い仕事をしている一方で、ラジオでは冠番組『増田明美のキキスギ?』(NHKラジオ第1)を持ち、テレビではあの活躍ですからね。芸人だって裸足で逃げたくなるでしょう」
ちなみに最近の読売新聞の人生相談では、次のように結んでいた。
〈人生もマラソンも、折り返しからが面白いです〉(「読売新聞」20年11月28日付)
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