コロナ禍のブラジル報道を『ファクトフルネス』から捉え直す

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『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』(ハンス・ロスリング、オーラ・ロスリング、アンナ・ロスリング・ロンランド著、日経BP社)は、2019年に日本語でも出版されて、ビジネス書としてベストセラーとなっている。氾濫する情報社会において人間が支配されやすい10の本能を解説しながら、先入観や思い込みを排して物事を客観的に考える方法を伝える。

 本稿では、『ファクトフルネス』が説く本能を乗り越える主なルールに従い、コロナ禍のブラジルに関する報道を捉え直したい。

10万人当たりの死者数は高いとは言えない

 ブラジルにおいて2020年2月末頃から始まったCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染拡大は、多大な被害を出している。

 米ジョンズ・ホプキンス大学の調査によれば、本稿の執筆時点(2020年12月2日現在)で、世界の感染者が約6375万人超のところ、米国・ブラジル・インドの3カ国で約半数を占める。うちブラジルでは、感染者約600万人、死亡者16万9000人と、感染者数は世界で3位、死亡者数では2位となっている。

 ブラジルでの感染拡大は8月末頃に一端収束の兆しが見えたものの、再び拡大傾向にあり、第2波の可能性も囁かれる。 

 しかし、この数字を過大視して恐怖を覚えるのは禁物だ。『ファクトフルネス』は、過大視本能を抑えるために数字を比較すること、恐怖本能を抑えるためにリスクを計算することを提案する。

 ブラジルの感染者の多さの要因の1つとして、世界で5番目(約2億1000万人)となる人口規模との関係性が指摘されている。そのため感染者数と死亡者数の絶対値は高いが、人口10万人当たりの感染者数は2646人、死者数は76.3人と、世界平均に比べても、必ずしも高い数値とは言えない。

 むしろ10万当たりの死者数からすれば、ベルギーやスペインといった先進欧州の国々のほうが高いとされている。

 今まで一連のブラジル報道では、被害が深刻な貧困街と関連づけて撮影した映像や情報から、途上国としてのブラジルの感染拡大の被害の深刻さを訴え、恐怖心を植えつけるものも多かった。もちろんコロナに感染して亡くなられた方や、差別や後遺症に苦しんでいる方もおり、ブラジルでは様々な理由からPCR検査を受けられない方もいる。公表された数値だけを見て、ブラジルのコロナ感染拡大の状況を楽観視も悲観視もできない。

 それでも、数値を見て状況を理解しようと試みる姿勢は、安易な過大視・恐怖の本能を抑えて、的確にパンデミックのリスクに備える1つのカギとなりうる。

ボルソナーロ大統領への批判的報道

 コロナ禍のブラジル報道はまた、コロナ対策の中枢を担うはずの大統領の言動に注目してきた。その報道には、2019年1月より政権運営を担うジャイール・ボルソナーロ大統領を、「コロナ感染防止対策を軽視して、経済政策を偏重している」として、その統率力の欠如や、右派政治家としての政治イデオロギーに関連づけて批判するものが多かった。

 これらの批判は、ボルソナーロ大統領がコロナ禍だけでなく、2018年の大統領選挙や、2019年のアマゾン森林火災に際しても数々の発言が失言・暴言として捉えられ、「暴走する(常軌を逸した)ブラジルの大統領」のように報道されてきたこととも通底する。

 しかし、ボルソナーロ大統領の発言に関する報道には、伝える側と受け取る側の正義と憎悪の感情も含まれる。

『ファクトフルネス』は、単純化本能を抑えるために「ひとつの知識がすべてに応用できないことを覚えておこう」、また犯人捜し本能を抑えるために、「誰かを責めても問題は解決しないと肝に銘じよう」というルールを説く。

 新型コロナを「ちょっとした風邪」と称したり、死者数の増加に伴って「それで?」「人はいつか死ぬ」と発言したりと、耳を疑うようなボルソナーロ大統領の言葉を見聞きした時は、批判するにせよ、擁護するにせよ、怒り・同情・共感の念を一旦抑えて、切り取られた表面的な言葉の背後にある文脈と、多角的な争点を冷静に理解したい。

 そこで語られる単純なストーリーを真直ぐに受け止めることは、「なぜボルソナーロはそうした発言をするのか」「あれだけ批判されているにもかかわらず、支持者たちはボルソナーロに何を求めているのか」という思考を停止させる恐れもあるからである。

 コロナ対応をめぐって1つの争点となったのは、社会的な隔離措置の是非をめぐる中央・地方関係の悪化である。

 分権化した連邦国家のブラジルは、州政府などの地方自治体の権限が強く、州知事や市長の協力なしには、国全体で連携して対策を取るのが困難である。

 2月のコロナ発生時から、サンパウロ州などでは早期から州政府主導で厳しい対応策を採用してきた。しかし地域格差の大きいブラジル全体の状況を鑑み、柔軟な措置を推奨したボルソナーロ政権は、厳格な社会隔離措置を求めるサンパウロ州の知事らと対立してきた。

 対立が顕在化する中で、最高裁判所(STF)は4月15日、社会的隔離措置をめぐる最終決定権は連邦政府ではなく、地方政府にあると判断した。決定後も、大統領を中心とした連邦政府は対策を講じてきたが、コロナ対応に個別で実施できることは限られていた。

分かりやすい犯人に仕立てることはできる

 さらに、ボルソナーロ政権を「コロナ対策を軽視し、経済開発を優先する政権」という単純な視点・批判だけで捉えられないブラジルの実状もある。

 ボルソナーロ政権は、歴代政権が残してきた負債を克服するために、国営企業の民営化の促進、関税削減、社会保障・税制改革、新自由主義政策に基づく「小さな政府」を志向して、国家再建を図ってきた。こうした中で発生したコロナ禍は、産業界にも甚大な被害を与えている。

 特に非正規雇用者にとって、コロナ禍の下で職が奪われることは生命を奪われることに直結している。ブラジルの失業率は、8月時点で14.4%と過去最悪となっている。

 コロナ感染のさらなる長期化で、企業の倒産、雇用・収入喪失、財政収支の悪化も懸念されている。コロナ感染を防止するために経済活動を停止することの意味は、発生当初から比較的財政に余裕のある欧米や日本とは異なっていた。

 コロナ禍という非常事態の状況下において、ブラジル政府は国家全体を鑑みた現実的な対応・判断を迫られてきた。国内外から数々の批判を受けてきたボルソナーロ政権の対応は、コロナの感染拡大が長期化することで、社会経済的な困窮が深刻になり始めた日本における政府の対応とも重なる点は多くなったとも言える。

 ボルソナーロ大統領の数々の言動から、彼をコロナ禍の状況を悪化させた分かりやすい犯人に仕立てることはできる。このような状況では、私たちは特定の人物を批判すれば、すべての問題を解決できるような衝動にかられてしまう。

 しかし、大統領だけを責めてもブラジルが抱えてきた根本的な課題を解決できない。社会経済格差や国家の統治能力など問題の構造的な原因はどこにあるのか、冷静に判断する必要がある。

異なる点が多いトランプとボルソナーロ

 先の米大統領選での民主党のジョー・バイデン氏の勝利宣言を受けて、ドナルド・トランプ大統領との親密性が伝えられてきたボルソナーロ大統領を、「(トランプという)ゴッド・ファーザーを失った孤児」とする報道も見られた。

 しかし11月6日、こうした状況にありながらボルソナーロ大統領は、トランプ米大統領について、

「私がブラジルで最も重要な人物でないように、トランプ氏も世界で最も重要な人物ではない」

 と述べて、

「これまでトランプ氏を熱烈に支持していたものの、大統領選で形勢を不利にしている同氏を前に方向修正を図った格好だ」

 という論調が、日本や現地メディアに見られた。

 他方で、ボルソナーロ大統領は、世界でも数少なくなったバイデン氏の「勝利承認を行っていない大統領」としても注目されている。果たして、ボルソナーロ大統領の真意とブラジル外交の立場はどこにあるのだろうか。

 ボルソナーロ大統領は、その保守的な言動から「南米のトランプ」や「熱帯のトランプ」など、トランプ氏と比較されてきた。ボルソナーロ大統領自身もその人目を惹くあだ名により、世界的な知名度を上げる恩恵を受けた。さらに、主要メディアの報道に対する批判、SNSの活用、反共産主義、人権・難民・気候変動などを巡る多国間での協調を軸とした国際制度に疑義を示す点で、ボルソナーロ大統領やその関係者も、トランプ氏の手法に追従、擦り合わせをしてきた。

 ただしトランプ氏の主張や特徴に似ているとの見方は、両氏には複数の共通点があるため、パターンに当てはめた分かりやすい捉え方が可能だという前提に基づいている。

 その点、『ファクトフルネス』は、パターン化の本能を抑えるルールとして分類を疑うことを勧める。

 そこで実際に2人を比べると、ボルソナーロ氏は元軍人、トランプ氏は元実業家であることなど、2人の特徴には異なる点が多い。わずかな類似性を取り出して、2人の立ち位置や行動を同列に捉えることは、政治現象を厳密に考えれば考えるほど説得力が弱くなる。

ブラジル外交の多面的な位置づけ

 これはブラジルとアメリカの2カ国の内政・外交方針にも言える。

 ブラジルにとってアメリカは常に比較の対象であった。しかし歴史的文脈、政治制度から経済政策に至るまで、アメリカとブラジルを取り巻く国内・国際的な環境や方針などには、異なる点が多い。

 これまでもブラジルの対米関係は、互いの国で政権交代や、政権の立ち位置に違いがあっても、是々非々の関係を維持してきた。

 米国の大統領選挙開票が始まる前の11月3日には、ブラジルのハミルトン・モウラン副大統領も、

「米国で政権交代が起こっても、ブラジルの政治環境は変わらない」

 と述べ、米国の政権交代の如何にかかわらず、ブラジルは独立した外交を維持することを表明していた。支援者を感情的に鼓舞する発言や、衝動的な発言を繰り返すボルソナーロ大統領とは異なり、モウラン氏は副大統領として冷静で現実的な言動に徹してきた人物である。

 ブラジル外交が考慮するべきもう1つの事情は対中関係である。2018年の大統領選挙中、ボルソナーロ氏は、とあるテレビ番組で、

「中国はブラジルで物を買っているのではない。彼らはブラジルそのものを買収しようとしているのだ」

 と述べて中国への警戒感を示した。

 また中国製ワクチンの購入をめぐっては、

「ブラジル国民は誰のモルモットにもならない」

 とSNSに投稿するなど、一見すればボルソナーロ政権は、中国と敵対関係にあるように映る。しかしグローバル経済に入り込んだ中国の存在は、ブラジルにとって重要な経済的パートナーであり、実利的・現実主義的な側面からは、中国との相互依存的な関係を維持している。

 時に、政治的な立場から反中的な発言を行うボルソナーロ大統領も、ブラジルの置かれた状況から対中関係に関する発言を二転三転させている。

 このように考えると、米中対立が先鋭化する中で、大統領の立ち振る舞いとは対照的にブラジルは国益の最大化を目指す現実主義的な外交戦略を維持していることが分かる。

 しばしば類型化され、「アメリカに従属的なブラジルのボルソナーロ政権」として捉えられがちな関係は、大統領の言動と分けて考えれば、米中双方とブラジルの利害が一致した関係でもある。

 トランプ氏との類似性を主張する単純な分類による見方だけでは、ボルソナーロ大統領の発言の意図や、ブラジル外交の多面的な位置づけを把握することは難しいと言えよう。

右派・左派がともに惨敗したブラジル地方選

 米国での大統領選挙の後、ブラジルでは市長(副市長)・市議会議員を選ぶ4年に1度の地方選挙が実施された。

 ブラジルの地方選挙は、アメリカの中間選挙のように連邦政府の政治運営に直接的な変化を及ぼすものではない。しかし、4年に1度開催される大統領選挙・統一選挙の中間に実施されるため、現政権への有権者の中間評価を測るる意味合いもある。

 今年は連邦制を採用するブラジルにあって、コロナ対応をめぐり、自律性の高い州知事・市長と孤立する大統領という構図が鮮明になっており、有権者の評価は注目に値していた。

 ブラジル地方選挙は、大方の形勢から言えば、2018年の大統領選の決選投票で雌雄を決した右派のブラジル社会自由党(PSL)と、左派の労働者党(PT)が共に惨敗する形となった。ボルソナーロ大統領は大統領選時にPSLから立候補していたが、現在は離党して無所属となっている。

 今回、ボルソナーロ大統領が支持を示した候補者たちの大方が敗れたことで、2年前の統一選挙時に顕著だった候補者を後方から支援する「ボルソナーロ効果」は、今回の選挙では否定的に働いた可能性が高い。

 コロナ禍では大統領の支持率は上がったとも伝えられてきたが、支持率上昇は北東部を中心にコロナ禍における緊急給付が行われていた効果でもある。同時に、一定の支持層は残るものの、選挙前に大統領の支持率が下がったのも、財源悪化から緊急給付を継続できないことを政府が発表していたこととも関係する。

 米大統領選のバイデン氏の勝利宣言とブラジル地方選挙の結果を受けて、ブラジルでも主要な新聞を中心に、2022年のブラジル大統領選におけるボルソナーロ大統領の敗北を期待する論調の記事が散見される。

 これら2つの選挙の結果が、連邦レベルの政治運営に何か悪影響を及ぼすものになるのかは、しばらく注視したい。

 他方で、対抗馬だった左派のPTも、史上はじめてPT所属の州都市長を失うこととなり、改めてPTの弱体化が明らかとなった。

 こうした中で、右派勢力はボルソナーロ陣営を外す形で中道右派寄りの政党間連立を目指す。対する左派勢力もPT陣営を外して協調する穏健化の兆しが見える。これは今回の選挙において、近年のブラジル政治で左右が過激に対立してきた傾向に有権者が憔悴したためとも考えられる。

 ブラジルは、貧富の格差から社会的な分断が強調されて報道されることが多い。しかし宿命論的に描かれるブラジル社会にあっても、大半のブラジル市民は社会的分断の修復を望んでいる。

『ファクトフルネス』では、分断本能を抑えるために「大半の人がどこにいるかを探そう」と、また宿命本能を抑えるために「ゆっくりとした変化でも変化していることを心に留めよう」と説く。

 私たちの分断・宿命の本能を抑えることで、緩やだが着実な変化の一歩を、コロナ禍でのブラジル社会の姿から確認することができる。

悪いニュースの方が広まりやすい

「貧困・格差・暴力」といった暗いニュースは広まりやすい。この現象は、日本国内だけでなく世界的なものである。ブラジル国内でも、SNSや一部の報道では、事件が発生すると扇情的な小見出しが並び、現場の情報が錯綜することもある。

 同書はこうした普遍的な現象を捉え、「悪いニュースのほうが広まりやすいことを覚えておこう」と説く。

 もちろんブラジルが持つネガティブな側面は現実に存在しており、確実に悪化しているものもある。しかしブラジルのネガティブな情報は、読み手のブラジルに対する認識や信念を裏付けるものとして、どこかで聞いたストーリーに再生産され、拡散している。

 この現象は、単に情報の送り手の責任ではない。送り手の多くは、最前線の困難な状況で情報の正確さを守るために苦心しながら、多様なニュースを報じている。

 一方で、一部では受け手のニーズに呼応して、分かりやすく、受け手が求める見方に従って情報を伝えなければならない制約を受けているという。時には、送り手の意図とは反する形でその情報が解釈されて広がることもある。

 日本におけるブラジルの報道に、何かとスラム街の貧困層や凶悪犯罪の話題と絡めたものが多い原因は、これらのことにあるようだ。

 このような情報の送り手と受け手の構図があるからこそ、近年になってブラジルの現場の悲惨さや恐怖を煽るような情報は、ますます拡散されやすくなっているのかもしれない。

 この状況は、コロナ禍のブラジルを取り巻く送り手と読み手の関係性にも当てはまる。コロナ禍では大統領・市民・メディアなど、異なる立場の者同士が政治的信条や思い込みを持ち、対立を深めることで、客観的な評価や根拠を退けて、実態を不確かなものとしている。

 しかし、一側面を断片的に切り取った情報が、『ファクトフルネス』が説くネガティブな本能を含んだ形で拡散し続けることは、日本に住む私たちと、ブラジルとの心理的な距離感をますます広げてしまうだろう。

 では、情報の受け手の立場から、この悪循環を改善する方法はないのだろうか。ブラジルの報道を見る際に望まれるのは『ファクトフルネス』のルールにたち、溢れた情報から欧米諸国や日本との相違点を冷静かつ多角的に判断して、ブラジルが置かれた国内・国際的な文脈への理解に努めることではないか。

舛方周一郎
東京外国語大学世界言語社会教育センター特任講師。1983年生まれ。上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科博士後期課程修了、博士(国際関係論)。サンパウロ大学国際関係研究所客員研究員、神田外語大学専任講師を経て2020年4月より現職。専門は国際関係論・現代ブラジル政治。著書に『「ポスト新自由主義期」ラテンアメリカの政治参加 』(共著/2014年/アジア経済研究所)、『新版 現代ブラジル事典』(分担執筆/2016年/新評論)、『UP plus新興国から見るアフターコロナの時代―米中対立の間に広がる世界』(共著/近刊/東京大学出版会)など。

Foresight 2020年12月4日掲載

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