経済的な理由で始めた「介護の合間のアルバイト」には意外な効用があった──在宅で妻を介護するということ(第14回)

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そして、尿道カテーテルも外れた

 女房の体につながっている管は、11月には、股間から延びる「尿道カテーテル(医療用の管)」だけになった。膀胱にたまった尿は、四六時中、この直径1cmほどのビニール管を伝って体外に出ていた。

 カテーテルの先端は蓄尿パックにつながっている。寝る前、この半透明のパックに溜まった尿量を確認し、トイレに廃棄するのが私の日課だった。最初の3カ月くらいは色や量に変化が見られたが、その後はほぼ安定し、このころはカタチを変えた尿瓶のようになっていた。

 経管栄養のチューブ抜去に自信を深めた私は、次なる目標を、このオシッコの管を抜くことに定めた。見た目が悪いだけでなく、車いすに移るときも風呂に浸かるときもパックともども移動せねばならず、イライラしていたのだ。

 このころになるとうまい具合に、「オシッコしたい」と尿意をしきりに訴えたり、おむつ交換にあわせて排尿するようになったりと、女房は意識的な排尿コントロールができつつあった。抜去したい旨を言うと、経管チューブと違い、医師も看護師もあっさりこちらの要望を聞き入れてくれた。

「でもご主人、これからおむつ交換の回数が増えますよ」

 看護師に言われハッとした。パックに溜まっていた量(1日1L前後)を、今後は全部尿取りパッドが吸収するのだから当然だ。また一つ手間が増えるが、しかたがない。私としては、束縛のない体の自由さを、一日も早く女房に感じてもらいたかったのである。

 経管抜去からちょうど2カ月、カテーテルを抜いた日はクリスマスイブで、最高のプレゼントになった。その後も順調。看護師さんには排尿が少なくなることを注意してほしいと言われたが、翌朝、おむつを開けて安心した。尿取りパッドは煮しめた高野豆腐のように肥大化し、ずっしり重かった。

 こうして、「在宅」1年目は無事暮れようとしていた。いろいろあったがこうして無事で、何よりも女房ともども新年を迎えられることがうれしかった。

 女房の前で酒は飲めない。大晦日、彼女が寝入った後、仕事部屋でひとり静かに早めのお屠蘇をいただいた。

平尾俊郎:1952(昭和27)年横浜市生まれ。明治大学卒業。企業広報誌等の編集を経てフリーライターとして独立。著書に『二十年後 くらしの未来図』ほか。

2020年12月3日掲載

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