コロナで“宗教”のように恐怖を煽る人たちの正体 「エビデンス」より「気持ち」を重視する日本人(古市憲寿)

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「凶悪な少年犯罪が増え、治安は悪化する一方だ」。

 約20年前、このような論調が流行していた。確かに当時、神戸連続児童殺傷事件や西鉄バスジャック事件など、世間の耳目を集める少年犯罪が毎年のように起こっていた。結果として、刑事処分の対象年齢が引き下げられるなど、社会は少年犯罪の厳罰化に舵を切ってきた。

 しかし統計を見れば3秒でわかるように、少年犯罪、その中でも凶悪犯罪は、長期的に見れば大きく減少している。殺人で検挙された20歳未満の人数は、1960年代までは300~400人程度で推移していたのが、70年代後半には100人前後まで低下、最近では年間40~60人程度である。強盗などの凶悪犯罪や、全年齢の犯罪にも似た傾向が見られる。

 日本の治安は、昔に比べて劇的に改善しているのだ。この事実は当時から指摘されていたが、意外な反論に遭った。いくら統計的に犯罪率が下がっていても、とても感覚的にはそう思えないというのだ。特に警察トップが「体感治安」という言葉を多用し、数字が苦手な評論家も「体感治安」の悪化を憂えていた。

 あまりにもひどい論法だと思う。人々の「気持ち」に準拠して社会を構築していいなら、ディストピアを作るのも簡単だ。実際の殺人数が膨大でも、犯罪報道を統制したら、「体感治安」なんて良くなってしまう。

 さすがに最近では「治安が悪くなる一方」という勘違いをする論者は減ってきた。統計という客観的データを前にして、「気持ち」を重視した主張をするのは無理だと気付いたのだろうか。「エビデンス」という言葉が流行するくらいに、この国のリテラシーも上がってきたのだと思っていた。

 だが、このたびの新型コロナウイルス騒動では、「気持ち」を根拠に議論する人々が大量に出現した。彼らは、いくら最新の統計や研究成果を前にしても、「怖い」の一点張りだった。

「東アジアでは感染者数が抑えられている」「陽性者を全て把握できていなかったとしても、死者数を見る限り、日本で感染爆発は起こっていない」などの基本的なデータからも目を背け、まるで宗教のように恐怖を煽り続けた。

 興味深いのは、その中に、かつて「体感治安」を批判した論者も含まれていることだ。政府批判ができれば主張内容はどうでもいいのかも知れないが、「気持ち」を根拠にした議論は危険である。誰もが好き嫌いを表明してもいいが、他人を巻き込む権利まではない。

 しかし難しいのは、ここからだ。ミルの『自由論』では、他人の自由に干渉できるのは、自衛の場合のみと述べられている。まさに治安も感染症も自衛に関わる。実際、公衆衛生においては、多数の利益のために、少数の自由を制限することが正当とされてきた。

 ただの「気持ち」も、公衆衛生の問題にすり替えられてしまうと、途端に反論がしにくくなるのだ。街が怖いというのなら、それを他人に強要するのではなく、自分だけでステイホームをしていればいいと思うけど。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年12月3日号掲載

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