やはり「禁錮刑」香港民主派「アグネス」らの言論を封じた中国
香港で、アグネス・チョウ(周庭)さんやジョシュア・ウォン(黃之鋒)さんら民主活動家3人が「未許可デモを扇動し、参加した」との罪で起訴された裁判の公判が12月2日、香港の裁判所で開かれた。周庭さんには禁錮10月、黃之鋒さんには禁錮13月半がそれぞれ言い渡され、香港メディアによると、量刑言い渡しの瞬間、周庭さんは法廷で頭を抱えて涙を流したという。
法廷戦術のため、3人は起訴事実を受け入れ、有罪が確定して収監されているが、違法集会煽動罪では最大5年の禁錮刑とされる判決の行方が注目されていた。
一方で、そもそも、起訴事由である昨年6月21日の警察包囲デモに3人が参加したのは事実だが、必ずしもそのデモを「扇動した」とは思えないところがある。
彼ら3人ともが禁錮刑という形で厳罰に処された結果は、現在の香港をめぐる厳しい事態が、彼らの身に降りかかったと言えるだろう。
筆者が見た警察包囲デモの夜
警察包囲デモの夜は、特別な雰囲気が香港を覆っていた。警察による暴力行為が本格的に社会の関心の的となり、デモを引き起こした。警察の包囲は1つ間違えば一斉逮捕にも繋がりかねず、4月に始まった逃亡犯条例改正反対運動にとっても大きなターニングポイントになる可能性があった。
当時、香港にいた私は、警察包囲の一部始終を見ておこうと、現地の記者団に混じって、警察と学生たちの間の取材スペースに陣取った。
湾仔(ワンチャイ)の警察本部の周囲には、午後4時ぐらいから人が集まり始め、次第に人数は膨れ上がった。夜に入ると、その数は数万人に達していた。
警察にも相当のプレッシャーになっていたと思われる。本部ビルの高層階の窓際には、ガラス越しに学生たちの集結を確認しようと、次々と幹部らしき人々が現れた。学生たちは、それを見つけるとレーザーポインターで照射して嫌がらせをした。警察本部はスプレーで落書きされ、本部ビルに大量の卵が投げつけられ、コントロールが外れた卵がしばしば私たち記者団に降り注いだ。
デモは組織されたものではなく、自然発生的に起きたものなので、「無大台(リーダー不在)」であり、特定の人物が先導しているようには見えなかった。
デモ隊の中から散発的に警察を批判するシュプレヒコールが起きて、夜の湾仔の町にこだました。深夜零時を過ぎると、やがて若者たちの間で、包囲を解いて帰宅すべきか、そのまま包囲を続けるべきか、議論が始まった。
そこで黃之鋒さんは少し高いところに立って、人々に呼びかけていた。
「ここに留まるか、いったん解散か、投票か何かの方法で決めないといけない」
一方、周庭さんはこうした場で演説することは滅多にない。特にこの日は、6月10日に日本記者クラブで会見するなど、ハードスケジュールの訪日日程を終えたばかりで疲れ切っていたのか、途中から道端に座り出して、背中を丸めて眠ってしまった。確かに彼女は未許可のデモにほかの数万人の若者たちと一緒に参加していたが、私が見た限りでも「扇動した」と言えるような行為はなかったはずだ。
黃之鋒さんにしても、リーダーのいない包囲行動のなかで、数万人の若者たちが夜を徹して包囲を続けることを懸念していたように見えた。もちろん現場で警察批判の声をあげていたが、それは数万人の若者たちと何ら変わらない。「扇動」というよりは「冷静な対応」を呼びかけていたように見えた。
民主派に厳しい裁判官
にもかかわらず、彼ら3人が捜査のターゲットになった背景には、香港政府、あるいはその背後にいる北京政府の意向で、海外への発信力のある国際派の人物を抑え込むことで、その影響力を封じるとともに、若い民主派の代表格である彼らを使って「殺雞儆猴(見せしめ)」をする狙いがあった可能性がある。
香港では、これまでに一連の抗議行動で1万人以上が逮捕され、2000人以上が起訴されている。黃之鋒さんも周庭さんもその1人ではあるが、彼らが実刑判決を受けることの意味は大きい。
香港では、民主派は多くの政党、グループの集合体であり、特定のスポークスパーソンやリーダーがいて情報発信をしているわけではない。特に2014年の雨傘運動以後は、伝統的な民主派の影響力が減退し、若い世代へと運動の主導権が移っていった。
そのなかで、雨傘運動時代から英誌『TIME』の表紙を飾るなど、欧米メディアに常に登場する黃之鋒さんと、日本でツイッターのフォロワーが57万人という周庭さんは、絶大な影響力を誇っている。
それぞれの発信力を封じ込めるため、通常、初犯などの場合、社会奉仕での償いを認めることが多い香港の常識と反した形で、厳罰をもって対応した形だ。
この裁判を担当する王詩麗という裁判官は、民主派の活動家に厳しい判決をすることで知られている。この裁判のなかでも、社会奉仕に従事することによって罪を償うという方法は取らないと述べており、判決に対しては悲観論も広がっていた。
周庭さんがFacebookに綴った気持ち
これまでの裁判の流れを整理すると、政治団体「デモシスト(香港衆志)」の主要メンバーであった黃之鋒、周庭、林朗彦の各氏は、先述の通り昨年6月の警察包囲デモにおいて「他人を扇動し、未許可のデモに参加した罪」などで起訴された。
彼らは国家安全維持法の導入後、デモシストから脱退を表明している。弁護士のアドバイスを受けて、3人とも起訴事実を認めたため、証人の喚問なども行われず、11月23日にすでに有罪という形で結審し、そのまま収監され、量刑が12月2日に言い渡された。林朗彦さんも禁錮7月だった。
彼ら一人ひとりの覚悟と心情は、とても重いものがある。23日の裁判の前、周庭さんはFacebookで、こう語っていた。
「明朝9時半、私と黃之鋒、林朗彦は、去年の警察本部包囲事件で、西九龍の裁判所に行く。
明日から裁判は尋問に入るが、彼ら2人はすべての罪を認めることを決めているので、すぐに結審段階に入って、明日に判決がでるかもしれない。
言い替えれば、明日私たち3人は監獄に入れられてしまうのだ。
もしそうなれば、人生で初めて刑務所に入ることになり、心の準備はできているとはいえ、やっぱり少し怖い。でも、多くの友人たちに比べれば、私の負担は重いものではない。そう考えると、頑張って勇気をもって自分も向き合いたい。
明日を無事やりすごしても、12月2日には国家安全維持法のことで警察署に呼び出されている。難関は1つまた1つやってくる。自分が固い志を持ち続けていきたい」
23日の裁判後に収監されたあと、周庭さんは知人への伝言でこんな言葉を残している。
「ここ数日、精神状態はあまりよくありません。気温が下がったせいもあるのか、あまりよく眠れず、体の調子が悪いです。
眠れない時、いつも思い出してしまうのは、前回、裁判官に言われた言葉です。前回出廷した時に裁判官から、社会服務令(服役はしない強制社会奉仕活動命令)の検討は不要であると言われて、すごく悔しく、やりきれない思いになったことを思い出します。水曜日には禁固刑が下される可能性が高いということなので、今はとても不安です」
周庭さんは3日に24歳になるが、誕生日を獄中で迎えることとなった。
「まだ希望がある」と語った黄之鋒
一方、過去に禁錮刑を受けた経験がある黃之鋒さんは、こう述べている。
「今回の事件は比較的軽いものですが、(私たち)被告人はたまたま公共人物で、国際社会の注目を集めて、このような過分な応援を受けています。根本的に、もっと、もっと、もっと多くの人々が知らない、あるいはかえりみられない手足(仲間)がいるのです。国家安全維持法が導入されて100日あまり経過しましたが、今日までこの法律で私が逮捕・起訴されていないのはすでにある意味で一種の奇跡ではないかと思います」
周庭さんと同様、大学を卒業したばかりで4日に卒業式を控えていた黃之鋒さんは収監される前、国家安全維持法のもとでも自ら「仕事報告」と題して、いろいろな政治活動に参加し、発信し、各国のメディアの取材を受けてきたことをFacebookで紹介してきたことについて、こう書いている。
「香港人への希望をまったく失っておらず、議会に議席がなくても選挙がなくても、我々はこの(香港という)共同体のためにさらに多くのことができるのです。国家安全維持法の下でも、民主運動の将来はまだ希望があることを証明できます」
2014年の雨傘運動では10代後半でまだあどけなさが残っていた周庭さんや黃之鋒さんも、この冬にようやく大学卒業を迎えて、本来ならば家族と一緒に祝うべきタイミングであった。そのなかで迎えた厳しい運命に対して、なお50年にわたって「高度な自治」を保障された「一国二制度」を守るために立ち向かおうという悲壮な彼らの決意が、香港政府や中国の中央政府に伝わることはないだろう。
数万人のデモ参加者から「選ばれて」犯罪者に仕立てられたに等しい彼らは、事実上政治犯と言える存在であり、日本や世界がもし何も語らず、動かず、座視すれば、この状況を正当化することになる。