シャインマスカット、フジ…韓国の「日本産農作物」パクリ栽培、輸出妨害の目に余る実情
済州島のミカンが出荷停止に
2018年、日本品種の無断栽培を続ける済州島のミカン農家に衝撃が走った。
収穫を直前に控えた「みはや」と「あすみ」の計920トンを出荷できない事態に陥ったのだ。
済州島のミカン栽培は、朝鮮が独立国だった島を併合した15世紀に本格化した。
その後、19世紀に朝鮮王朝がミカン税を増額すると衰退し、日本が韓国を併合した直後に復活した。
1911年、フランス人神父が日本の神父から送られた温州みかんの苗木を植え、同年、熊本で研修を受けた西帰浦(ソギッポ)出身者が、日本から持ち帰った苗木を植えた。
1913年には峯という日本人が西帰浦に大規模な温州みかん農園を開園して生産が拡大した。
1945年、日本と韓国の国交が途絶えると、済州島のミカン産業は衰退したが、1964年に済州島を訪問した朴正煕大統領が「収益性の高い柑橘栽培を積極的に奨励する」と指示。
翌1965年、日韓基本条約を締結して日本から多額の支援を得た韓国政府は、ミカン増殖事業を開始した。
日本の資金が投入された済州島は日本品種を栽培し、70年代前半には済州島農家の91%が柑橘類を栽培するまでに成長した。
済州島のミカンは90%以上が日本品種で、なかでも「ハンラボン(漢拏峰)」は済州島を代表する名産となっている。
「ハンラボン(漢拏峰)」はデコポンの名で知られるシラヌイで、済州島最高峰のハンラサン(漢拏山)にちなんで名付けられた無断栽培の日本品種である。
日本品種を次々と無断栽培してきた済州島は、新品種の「みはや」と「あすみ」に手を出した。
デコポンは国際条約による品種登録期限を過ぎていたが、「みはや」と「あすみ」は2012年3月の登録品種だ。
日本は登録を出願し、2018年1月に韓国国立種子院から品種臨時保護権が認められた。保護登録は臨時保護権の2年後に完了する。
韓国農林畜産食品部と農協は、臨時保護権は種子と苗木が対象で、果実には及ばないという独自の解釈で、2品種の栽培を促進したが、収穫直前になって保護登録を終える2年後に植物新品種保護法違反の刑事罰とロイヤリティが科されると農家に知らせ、韓国農協は「国際紛争や訴訟問題になる懸念がある」としてスーパーや市場での販売を禁止した。
品種登録は育成者に適正な対価を払うための制度で、ロイヤリティを払えば販売は可能になるが、無断栽培の経験しかない業界は、出荷停止を選択した。
海外依存
昨年7月、日本政府が半導体やディスプレイの核心素材の輸出管理を強化して、日本製品不買運動が広がった。韓国はジャガイモは米国に依存するが、果実は日本に依存している。シャインマスカットやフジ、デコポンが不買製品に加わると、食卓が寂しくなるどころか、果実産業そのものが破綻する。
韓国は18年、日本品種の果物など5230万ドルの農産物を輸出した一方で、2・4倍にあたる1億2675万ドルの種子を輸入した。
稲や麦、唐辛子、白菜などの種子は100%自給だが、リンゴは81%、ブドウは96%、ミカンは97・7%など、多くの種子を米国、中国、日本などに依存している。
日米中のいずれかが、種子の韓国向け輸出を規制すると、韓国の食卓は貧困にあえいだ1965年以前に逆戻りする。
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