38年前に来日したマラドーナの思い出 サッカー少年むちゃぶり要求にどう答えたか

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伝説となったW杯で再会

 金子氏がマラドーナと再会するのは、それから4年後のことである。1986年のメキシコW杯。「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルを記録し、マラドーナが生ける伝説となった大会の決勝戦前日、独占インタビューに成功したのだ。

「彼は私に会うやいなや、百年の知己があるかのように、『久しぶりだなあ』と強くハグして背中を叩いてくれた。そこには、イタリアの公共放送局のRAIも来ていたのですが、本人の計らいで、私のインタビューを先にしてくれた。以前に日本で会った私を、友達として、特別扱いしてくれたのです。生放送をしようとしていたRAIのアナウンサーが、地団太を踏むような顔をしていたのを、今でも覚えています」

 決勝戦の前日というのに、リラックスしていたのが印象的だったという。

「ニコニコしながら、『絶好調だ。明日は絶対に勝つよ』と。『食事は摂れてる?』と聞いたら、『たくさん食べているよ』と。料理人を連れてきていたようでしたが、それも、いわゆる一流のシェフではなく、『地元の人』だと。恐らく、ごった煮のシチューみたいなものを食べていたんでしょう。私は、ペレやベッケンバウアーとも交流があり、彼らのことはサッカー選手としても、この世界の外交官的な人間としてもリスペクトしています。ただ、ディエゴと彼らはちょっと違う。ディエゴは数回しか会ったことのない私を友達として扱ってくれました。私も彼のことを友達だと思っています」

 翌日、アルゼンチンは西ドイツを下して2度目のW杯優勝を飾る。マラドーナは大会優秀選手に選ばれ、同大会は「マラドーナのための大会」と言われ語り継がれることになった。

メッシもロナウドも比較にならない特別な存在

 金子氏はマラドーナを“異次元”の存在と評す。

「野球で言えば、長嶋茂雄さんのような人。ペレがキングだとすれば、彼はゴッドです。メッシだって、クリスチャーノ・ロナウドだって、ジダンだって、彼とは比較になりません。生まれた時から、近所でボールを使って遊んでいるうちに、あらゆる技術が身についてしまったサッカーの神様。コーチとかセオリーとかは彼には無縁だった」

 日本のサッカー界へ与えた影響をと聞くと、こう答えた。

「1982年の日本で、まだサッカーが今ほどメジャーなスポーツではなく、メディアも発達していないというのに、あれだけの人数が集まったのは、ディエゴの存在が飛び抜けていたからです。少年たちは感性が豊かですから、情報が少ない中でも、彼のすごさをすぐに理解したのでしょう。ディエゴなら、キックオフと同時に、センターサークルからボールを頭に乗せて、そのままゴールまで走って行ってしまうのではないか。彼がいれば、他に10人もいらないのではないか、とすら思わせてしまう選手だった。何て形容していいのか分かりませんが、強いて言えば、異能の人だと思います。あれほどの選手は、もう現れないのではないでしょうか」

週刊新潮WEB取材班

2020年12月1日掲載

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