医と食をつなぐ事業で社会問題を解決する――磯崎功典(キリンHD代表取締役社長)【佐藤優の頂上対決】
医と食をつなぐ事業
磯崎 2012年に国内事業会社のキリンビール社長に就任し、販売の最前線に立って、これはビールだけでは厳しいと改めて実感しました。以来、さまざまな展開を検討してきました。その中で見えてきたのが、キリンが昔から手がけてきた発酵・バイオテクノロジーを使った事業です。
佐藤 ビールの醸造技術が基礎になっている。
磯崎 はい。弊社はいまから40年ほど前に医薬事業に本格参入しています。ビールのシェアが60%台の時に、当時の経営者は将来を見据えて新しい事業を始めようとした。おそらく人口動態を見て決めたのだと思います。それがいま協和キリンという素晴らしい医薬会社になっています。腎臓や血液の領域にとても強い会社です。ここで培ってきた発酵・バイオテクノロジーを使い、昨年「健康」の領域へ踏み込んでいく決断をしました。それも医薬品分野ではなく、近接しているヘルスサイエンスの領域、別の言い方をすると、「医と食をつなぐ事業」として立ち上げることにしたのです。
佐藤 医薬品と食は、重複集合となって重なりあう部分が大きい。
磯崎 まさに弊社がこれから手がけていく免疫分野はそうです。そして今月、健康な人の免疫機能を維持する力を持つ「プラズマ乳酸菌」が入った「iMUSE(イミューズ)」ブランドの商品6種類を新発売します。
佐藤 これまでの乳酸菌とは違うのですか。
磯崎 はい。人間は誰しも免疫細胞を持っていますね。NK細胞とかキラーT細胞、B細胞、ヘルパーT細胞などがありますが、一般的な乳酸菌はそのどれか一つを活性化させるだけです。しかしプラズマ乳酸菌は、免疫細胞の司令塔である「プラズマサイトイド樹状細胞」を通じて、すべての免疫細胞に働きかけます。だから免疫機能全体が活性化される。
佐藤 それは画期的な乳酸菌ですね。
磯崎 これは今年8月に免疫分野で初めて機能性表示食品として消費者庁に受理されました。
佐藤 研究開発には、どのくらいの時間がかかっているのですか。
磯崎 プラズマ乳酸菌を見つけたのは2009年のことです。免疫研究は約35年前から、アメリカのサンディエゴにあるラホヤ研究所で行っています。その蓄積があったからこそ発見することができました。
佐藤 商品になるまで10年かかっている。
磯崎 時間はかかりましたね。私はもう5年以上、毎朝そのプラズマ乳酸菌を摂っていますが、すこぶる健康ですよ。
佐藤 これは大きな事業になりそうです。
磯崎 まずは飲料やサプリメントで売り出しますが、今後、プラズマ乳酸菌の菌体を世界中の大手食品メーカーに卸して、それが入った製品を作っていただき、いろいろなブランドで販売していただけたら、と思っています。
佐藤 キリンが一種のプラットフォームを作るということですね。
磯崎 いわゆるライセンスアウト(使用許諾)をしていく形です。自分たちだけでやるには限界がありますから、外に向けてさまざまな展開を考えています。
佐藤 いま、目端の利く腕のいい医者はサプリメント外来を設けています。サプリメントの分野は、今後さらに伸びていくと思います。
磯崎 弊社は昨年、ファンケルと資本業務提携しましたが、そのファンケルに「パーソナルワン」というオーダーメイドのサプリメントサービスがあります。月に数千円と少し値段が高いのですが、生活習慣のアンケートを取った後に尿を採取して、必要な栄養素を特定し、その人だけのサプリメントの組み合わせを作ってお届けしています。例えば、免疫機能を維持したいというニーズがあれば、そこにプラズマ乳酸菌を入れてもらうことも考えています。
佐藤 サプリメント外来に1回行くだけで数万円も取られることがありますから、極めてリーズナブルですよ。
磯崎 尿以外にも血液や便を採って、どこに問題があるか判断したりしますね。これからは未病という発想や予防の領域が大切になってきます。薬を飲む段階に至る前に、サプリメントで健康を維持し、時間をかけて体調を整えていくということがどんどん浸透してくると思います。
佐藤 サプリメントはまさに「医と食をつなぐ」領域です。でもキリンの医薬品分野は、外国の投資会社から売却を提案されたこともありましたね。
磯崎 投資家から見ると、ビール会社はビールに専念するほうがわかりやすいんですよ。
佐藤 そのビール事業のほうはどうしていきますか。
磯崎 今回のコロナの影響も大きいのですが、その前からビールを店ではなく家で飲む傾向が強まっています。その対策として「本麒麟」や「のどごし」など、新ジャンルと呼んでいる低価格で味がいいものに力を入れていきます。また家で飲んでいると、どうしても運動不足になる。健康にも留意しなくてはいけませんから、プリン体カットや糖質オフ・ゼロ系など、健康志向に合わせた商品にも注力していきます。
佐藤 最近はノンアルコールビールもおいしいですよね。初期の頃とは別物だと思います。
磯崎 もうビールと同じですね。ノンアルコールでもポーッとしてくるくらい(笑)。
佐藤 黙って出したら、酔っぱらう人もいますよ。
磯崎 家飲み対策としては、クラフトビールにも力を入れています。先ほども申しましたが、日本ではビール各社が同じような商品ばかり作って、同質化が進みました。だからラズベリーの香りがするとか、シトラスの香りがするなど、個性あるビールを提供していきたい。店には行かないけれども、ちょっと贅沢な気分で食事をしたいという方には、こうした味わい深いクラフトビールを自宅でゆっくり飲んでいただく。
佐藤 ビール事業にも新たな展開がある。
磯崎 さまざまな楽しみ方を提供、提案していきます。コロナは企業にとって大きなダメージではありますが、それでしょげているわけにはいかない。これを奇貨として新しい価値を創造していければ、と思っています。
社会問題を解決する企業へ
佐藤 ヘルスサイエンスとビールと、いまキリンという会社が大きく変わりつつあるのですね。
磯崎 スタンフォード大学のチャールズ・オライリー教授が『両利きの経営』という本を出しています。「知の探索」と「知の深化」によってイノベーションが引き起こされるということですが、キリンの場合、ビールは中核をなすものとして、どんどん深化させていきます。そして新しい領域として、ヘルスサイエンスを探索していく。それからこの分野の蓄積を生かし、いろいろな事業に広げていきたいと考えています。
佐藤 日本のベンチャーでは、プラズマ乳酸菌を発見するような大きなことはなかなかできません。研究開発に投入できる資金が限られていますし、ベンチャーキャピタルも巨額のお金は入れてきませんから、何十年にもわたる研究は難しい。キリンにはそれができる組織の強さがあります。
磯崎 それはそうかもしれません。
佐藤 また本業のビール事業より他の部署の経験が多い磯崎さんが、その方向性を決められたことも興味深いです。組織が強いと、本業の中心にいなかったり、枠外の人も活躍できるものです。私みたいなはぐれ者も、外務省が強い組織でしたから、拾ってくれて、仕事をさせてくれたのだと思います。
磯崎 私はビールも少しやりましたが、最初は小岩井乳業のチーズを売っていましたし、子会社のホテルの支配人にもなりました。それらはすべて自分の血肉になっています。そこからさまざまな知見を得ることができた。日本企業の社員は、自分の会社や部署以外のことを、知らなすぎると思いますよ。
佐藤 先ほど名刺交換した広報のお二方の名前の下には、「ワインアドバイザー[(社)日本ソムリエ協会認定]」と書いてありました。資格を取ることを推奨されているのですね。もちろんキリンはワインも製造販売していますが、広報の方まで持っている。
磯崎 社外での学びによって、新たな発想が生まれるということがありますから。
佐藤 武道や茶道などで言う「守破離」の発想をお持ちなのかな、と思いました。まず学んで「型」を作り、他社や他の業界を知って、その型に何かを取り入れて壊す。そして最後は型から離れて独自のものを作っていく。
磯崎 なるほど、言われてみれば、そう考えているところはあります。
佐藤 型を知った上で、新しいことをやりましょうという考え方が名刺から垣間見えました。型破りというのは、型を知っていないとできませんから。
磯崎 いまはVUCAの時代と言われていますね。不安定(Volatility)、不確実(Uncertainty)、複雑(Complexity)、曖昧(Ambiguity)の時代だと。コロナもそうですが、予想もつかないことが起きる世の中です。そうした環境変化がある中で、組織を活性化し、イノベーションを起こして新たな価値を作っていくには、均質な社員では無理です。ただ会社で働いているだけでなく、社外で学んだり仕事をしたり、あるいはちょっと常識外れの人がいていい。そのくらい度量のある組織にしていかないといけません。
佐藤 その時代に独特の経歴を持つ磯崎さんが社長になられたのは、意味があることだと思います。
磯崎 コロナが猛威を振るった今年、プラズマ乳酸菌が機能性表示食品として受理され、キリンが持つ、社会に役立つ技術が世に出ることになりました。私は以前からCSV(Creating Shared Value、共有価値の創造)を唱えてきました。キリンという会社を50年後も100年後も存続させるには、社会問題の解決を土台とした長期的な成長が必要です。それには「健康」の分野を強化し、まずは「プラズマ乳酸菌」を中心に価値の提案をしていきます。
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