汚染水「海洋放出」政府方針で置き去りにされる「福島・相馬」の漁師たち

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 夏休みの思い出が深い郷里、福島県相馬市の浜を「取材」で訪れるようになったのは、2011年3月11日の東日本大震災からだ。

 大津波から2週間後、名産の春告げ魚コウナゴの漁を前にして岸壁に打ち上げられた漁船、がれきに埋まる旅館街、漁師町の廃墟を眺め、出会う人に知人の安否を尋ねた。当時編集委員を務めていた『河北新報』には、古里が被災地になった同僚が多く、「取材者であり当事者」との宿命を背負って報道を続ける記者の1人に、筆者もなった。

 相馬の漁師は、漁の腕と技術の高さ、勇敢さで知られ、津波が到来する時間を予測して100隻近い漁船が沖出し(避難)を敢行した。

 だが、津波後すぐの再起を目指した漁師たちは、約45キロ南の東京電力福島第1原子力発電所の事故に追い打ちをかけられた。東電は事故後の4月4日、原発から1万1500トンもの汚染水を、福島県漁業協同組合連合会(漁連)へ事前説明もなく海に放出。漁場の汚染と風評の広がりで、漁連は操業自粛を強いられた。

 相馬の漁師は守り抜いた漁船群を港に留め置かれ、それでも生業復活のため、週に数日の試験操業で魚の安全検証を重ねながら、獲れる魚種を増やしてきた。

 2020年の相馬の浜は、2つの大きなニュースの相矛盾する動きの間で揺れてきた。

〈福島県漁連は29日、いわき市で組合長会議を開き、東京電力福島第1原発事故で自粛を余儀なくされている沿岸漁業の本格操業について、2021年4月の再開を目指すことを決めた。制約の多い試験操業の開始から今月で8年3カ月。県の水産業は本格復興に向け大きな節目を迎える〉(9月30日『河北新報』)

〈東京電力福島第1原発敷地内でたまり続ける放射性物質トリチウム(三重水素)を含む処理水を巡り、政府が今月下旬にも廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議を開き、処分方針を決定する方向で調整していることが13日、分かった。複数ある選択肢から海洋放出に絞り込む〉(10月14日『共同通信』)

 震災以来、地元で取材の縁をもらう、浜の生業に携わる人たちを再訪したのは10月下旬だった。               

福島の浜の命脈

 新鮮な魚の品ぞろえで知られる「中島ストア」という店が、浜に近い団地にある。

 社長の中島孝さん(64)は、浜の魚介を手広く行商していた両親が始めた店を、36年前に受け継いだ。

「ヒラメ、アイナメ、タコ、ツブ、ホッキなど相馬の魚の魅力を伝える」

 市場で自ら仕入れ、漁師と酒を酌み交わし、浜のおかみさんとのつながりを重ねてきた。

 大きな漁師町だった原釜・尾浜地区は、津波で大半が流され、漁師と家族も被災者となり身内を失った。

 中島さんは、支援から忘れられ孤立した人々の窮状を聞き、130世帯の主婦たちと臨時の互助組織をつくって、市役所に届く支援物資を受け取って配給する活動を続けた。

「皆が家族として暮らした浜の主婦たちの目配りが生きた」

 と当時、中島さんは語った。

「相馬双葉漁協小買受人組合」の組合長でもある。民宿や小売店、仲買人、行商など、漁師と共に浜を支えていた業者40人が加入していたが、津波で生業の場を失い、原発事故後の漁自粛で失職状態になった。相馬のカレイやヒラメはブランド品で、他の産地の魚では代えられず、「原発事故の影響は明らか」と中島さんらは東電と団体交渉を重ね、損害賠償に道が開けたのは2011年の暮れ近く。だが現在も、

「賠償金はほとんど入らず、条件の難しさから諦め、組合もやめた人が多い。いずれも零細な商売で、震災後に心と体を病み、10人ほどの仲間が他界した」

 と言う。 

 民宿は震災前の半分になり、仲買業者も苦しい。厳しい放射性物質の検査の上で、漁獲可能な魚種を増やしてきた試験操業の結果、2020年2月までに全魚種で出荷制限解除という朗報もあった。

 が、水揚げ量は震災前の15%ほど、金額も7%程度だ。この間、福島第1原発からは何度も汚染水流出があり、福島産品への風評被害は続いている。浜通り産のヒラメなどは「常磐もの」と呼ばれるブランド品なのに、

「仲買業者に聞くと、いまだに市場で売れていないという。農林水産省が大手スーパーに助成して販路拡大のキャンペーンをしているのだが」(中島さん) 

 中島さんは、国と東電を相手取って2013年3月、原発事故からの「原状回復」と「ふるさと喪失」の慰謝料を求めた、県内や全国の被災者からなる福島原発集団訴訟(現在約4000人)の原告団長になった。

「声を上げられず途方に暮れていた人も多い。結束しなければ、浜の生業を取り戻せない」

 との思いから、「生業(なりわい)訴訟」と呼ぶ。今年9月30日には国の責任を認める高裁判決を勝ち取ったが、さらなる懸念がのしかかる。福島第1原発構内のタンクにたまっている汚染水の処理水、いわゆるトリチウム廃水の最終処分をめぐる問題だ。

「原発事故は廃炉まで続く。40年かかるというが、その間ずっとトリチウム(廃水)を海に流されたら、風評は未来まで続くだろう。いまだ原発事故の責任さえ国は取っていないのに、このままなし崩しで事が進めば、生業訴訟が問うてきたものも、福島の浜の命脈も失われる」                  

海洋放出案に前のめり                 

 福島第1原発の汚染水は、原子炉建屋に流れ込む地下水が、溶融した核燃料デブリに触れることで毎日約400トン発生した。

 東電は2013年3月より、汚染水から約60種の放射性物質を除去する多核種除去設備(ALPS)を運転させて処理水を構内のタンクに保管する一方、流入前の地下水をくみ上げて海に放出する「地下水バイパス」、原子炉の周囲の井戸42本でくみ上げる「サブドレン」を2014~15年に稼働させ、発生量を約3分の1に減らした。

 しかし、トリチウム(半減期約12年)は溶け込んだ水から除去できないとされる。また東電の「処理水ポータルサイト」によれば、タンクに溜められたトリチウムなどの汚染水は現在123万トンに上り、2022年夏ごろにタンク増設計画の容量いっぱい、つまり保管の限界に達するという。

 それを「海洋放出」する案は、2013年9月、日本原子力学会の福島第1原発事故調査委員会が最終報告案で「自然の濃度まで薄めて放出」を提案したのを契機に、2016年6月に政府「トリチウム水タスクフォース」が、(1)深い地層に注入(2)海洋放出(3)水蒸気放出(4)水素に変化させて大気放出(5)固化・ゲル化して地下に埋設――といった方法の検討から、「海洋放出が最も短期間に、低コストで処分できる」とする試算を明らかにした。

 以後、政府内からは堰を切ったように「放出はやむなし」との発言が相次ぐようになり、中でも原子力規制委員会は、

「廃炉に伴う廃棄物が増える中で、タンクは延々と増やせない。トリチウムは分離できず、濃度基準を下回る水は何十年も世界で放出されている」(田中俊一前委員長、2016年3月8日『河北新報』)

「希釈して海洋放出する以外に選択肢がない」

「批判は承知しているが、(海洋放出が)技術的にまっとうで唯一の選択肢である」(更田豊志現委員長、2017年12月15日同紙)

 など、容認論の旗振り役になった。

 結局、処理水の処分を検討してきた政府小委員会は2020年2月、海洋放出と大気放出の2案を「現実的な選択肢」とする報告書を公表。風評被害の発生可能性と対策の必要を指摘しつつ、最終判断を政府に委ねた。

 しかし、実態として政府が世論づくりを進めるのは海洋放出案。4月以降、政府は福島や東京で意見聴取会を重ねたが、浮かぶのは政府の前のめりの姿勢だった。

〈参加者からは、国の議論の進め方に疑問の声も挙がった。どの方法でも甚大な風評被害が出る可能性があるのに、国は「まずは丁寧に意見を聞く」との姿勢を貫き、具体的な対策を示さなかったからだ。福島県双葉町の伊沢史朗町長は終了後の取材に「二つの処理案について、国はそれぞれの風評被害対策を具体的に示す時期に来ていると思う。これがない中では判断できない」と不快感を示した〉(5月10日『河北新報』)

〈全国消費者団体連絡会の浦郷由季事務局長は「実行しやすさを判断基準にしてはいけない」と指摘。陸上保管法の実現性を再検討するよう求め「多くの国民が処理水の現状を知るまで方針を決めるべきではない」と述べた〉(7月1日同紙)

 福島県内の市町村議会への政府の説明会も併行して行われたが、

〈反対姿勢を鮮明にしたのは浪江町議会。「海に流せば風評被害が強まる」「住民帰還にも影響が出る」といった懸念が噴出した〉

〈南相馬市議会も海洋放出反対が大勢だった。今村裕議長は処理水放出に「『もうたくさんだ』というのが本音。われわれにまだ負担を強いるのか」と憤りを隠さなかった〉(5月25日同紙)

 といった拒否感が広まり、海洋放出に反対する意見書採択の動きも相次いだ。

 地元の福島県漁連も海洋放出に一貫して反対を訴えており、全国漁業協同組合連合会も6月23日、「海洋放出に断固反対する」との特別決議を行った。福島と境を接する宮城県の山元町長や県漁連、茨城県知事らの反対の声も報じられ、被災地を歩く筆者の耳にも容認論は皆無と思えた。

「声を聴く気はあるのか」

 福島の現場の漁業者には、いつ、どんな説明があったのだろうか。

 宮城県境の新地町に住む旧知の漁師、小野春雄さん(68=2017年12月3日拙稿『映画『新地町の漁師たち』が描く「もう1つの福島」』参照)によると、7月21日、相馬双葉漁協の新地支所に経済産業省と東電の担当者が説明に訪れ、10人ほどの漁師が集まっただけだった。

「コロナ(禍)の中だから、説明会に出てこられなかったり、それを知らなかったりした仲間も多い。配られた資料は、東電が作った、トリチウム(を含む廃水)を海に流した場合のシミュレーションの図と、トリチウムは人体に影響はないと解説する福島の地元紙の連載記事のコピーだった。とにかく海に流しても安全だという話で、『海洋放出ありき』の説明だった」

 シミュレーション図は東電が公表しており、福島第1原発からの年間放出量が最大仮定の100兆ベクレルの場合、海水中濃度が福島県沖の通常のレベルを超える範囲が、原発の南北約30キロ、沖合約2キロ(北は南相馬市と浪江町の境から、南は楢葉町)と予測した。トリチウムの濃度が通常レベルを超えるエリアは、

「発電所近傍に限られ、WHO飲料水基準(1万ベクレル/リットル)と比較しても十分小さい」

 と東電の資料にある。同じ説明が各地でなされたようだ。

「だが、説明を聞いても分からなかった。俺たちは一生ここで漁をする。風評が起きて魚が売れなくなったら、船方(漁師)をやめなきゃならん。生きるか死ぬかの問題なんだ。ただ『安全だ、大丈夫だ』で、納得できる対策の話はなかった。理不尽を一般の人たちにも知ってほしいのに、会場に取材に来た報道陣はシャットアウトされた。説明はその1回きりだよ」(小野さん)

 意見聴取会も説明会も、誰もが懸念する風評への政府の責任ある姿勢が伝えられぬまま、「海洋放出案」決定へ収束する動きばかりが、霞が関発の報道を通して広められていく。

 本稿冒頭で触れた、海洋放出に決定しようとしている政府の動きを報じる『共同通信』記事(10月14日)の後、〈月内にも関係閣僚による会議を開いて決定する〉との続報が流れたのが16日。〈風評被害対策は新たな会議体を設置して具体化を進める見通し〉という。

 いずれも政府関係者からの取材記事で、

「突然上から降ってきた話で、誰が責任者なのか分からない。風評も二の次なのか。俺たちを弄んで、声を聴く気はあるのか」

 と小野さんは怒った。                 

汚染水との苦闘の歳月

 今野智光さん(62)は、相馬市尾浜の3代目漁師。相馬双葉漁協理事で原釜支所小型船船主会長を務めてきた。自宅と倉庫が津波で流され、中島さんの店がある団地に新居を建てて7年。

「浜では仲間が声をかけ合い、お茶のみ、世間話、情報交換が毎日の生活にあった。ここじゃ近所と話したこともない」

 という。

 息子の貴之さん(39)は19歳の時、大学をやめて父の船に乗った。原発事故後も漁再開を諦めず、青年部の仲間らとサンプリング調査に取り組み、試験操業につなげた。

 久々に訪ねたのは、海洋放出をめぐる新たな動きをまたメディアが報じた後だ。

〈東京電力福島第1原発から出る放射性物質トリチウムを含む処理水について、政府が海洋放出で処理する方針の月内決定を断念したことが23日、分かった。公募意見で安全性に懸念を示す声が7割に上るなど国民の不安は依然強く、関係省庁でさらに時間をかけて検討する必要があると判断。方針決定のため27日にも開く予定だった関係閣僚会議を見送る〉(10月23日『時事通信』)

 今野さんは、政府が方針を27日に決定する、との情報を聞いていた。10月23日に出席した、県漁連傘下の組合長(7漁協)らと国、県、水産専門家らで組織する福島県地域漁業復興協議会のいわき市での会議で耳にし、その方針が翌28日には漁協組合長たちに伝えられるとの話もあったという。

 会議で野崎哲県漁連会長は、海洋放出に反対しながら、冒頭のもう1本の記事のように、2021年4月にあくまで本格操業スタートを目指し、

「本格操業を貫くことが最大の反対運動になる」

 と述べた。海洋放出問題と本格操業を切り離したいという会長の考えに、しかし、今野さんは異論を訴えた。

「沿岸で漁をする者は皆(海洋放出による風評を)心配している。この問題を切り離しての本格操業などあり得ない。俺たち小型船漁業者の気持ちが分かっているだろうか」

 こう振り返って今野さんは、福島には沖合底引き船、沿岸の小型船の2つの漁業がある、といった実情を話した。

 浜通り北部(相馬、双葉両郡)で最大の相馬双葉漁協の組合員は、小型船は約800人、約400艘、沖合底引き船は約120人、23隻だが、操業海域や水揚げの規模が違う。現在、小型船は10キロ前後の沿岸で、沖合底引き船は海の深い福島県沖で試験操業をしており、1回の水揚げ額でも5倍近く差があるという(福島第1原発の半径10キロは禁漁)。

 震災前、福島の沖合底引き船は宮城県から千葉県の沖までの海域を漁場にしていた。しかし、試験操業で水揚げは激減。そこで県漁連は2020年9月から新たな漁業復興計画をスタートさせた。沖合底引き漁を牽引役に、5年後には震災前の6割まで水揚げを復活させる目標を掲げた。自身も沖合底引き漁に携わる会長の意欲もそこに重なる。全国の応援も期待できるかもしれない。

「だが、はるか沖で操業する底引き船と、俺たちは漁が違う。本格操業が最大の反対活動というが、俺たち小型船は(トリチウム廃水の)海洋放出案が出ている海域が仕事場。風評が立てば影響が直結する。逃げようがない。俺は小型船の代表として、会議でもそう発言したんだ」(今野さん)

 もし本格操業が始まれば、漁自粛への東電の損害賠償が打ち切りとなる可能性もある。トリチウム廃水の海洋放出がない、という前提ならば、その挑戦に乗り出せるだろう。しかし放出が現実になれば、その風評は小型船の漁師たちには致命的になる、と今野さんは危惧する。

「魚が売れなくなれば、廃業せざるを得なくなる船がたくさん出るだろう。いま以上の風評被害を誰が責任をもってストップさせるのだろうか」

 と、貴之さんも懸念を口にした。

 大震災と原発事故から10年の時が流れようとしているが、

「福島の魚への風評は現在も続いている」

 と、今野さんは悔しそうに語る。

 相馬双葉漁協は試験操業の間も、復活を懸けて売り込みの努力を続け、築地(現在は豊洲)には理解を得て受け入れてもらってきた。貴之さんら漁協青年部も福島の魚のPRイベントを東京、千葉などで催してきた。が、風評は距離が遠くなるほど濃厚に固まっているようで、関西方面の市場の反応はいまだに厳しいという。

「相馬らしい生きのいい魚を出す努力をしてきたが、見えない壁もある」

 と今野さんは言う。

「他産地に比べると、単価はカレイもシラスも3分の1ほどだ。『どこで獲れたか』で差を付けられるんだ。マコガレイなど、宮城産に10キロ2000円の値が付いた時、ここのは500円。全国的に水揚げがなくなり、品薄で相馬産が高く売れたコウナゴは例外だったが」

 “震災後”は、福島第1原発の汚染水との苦闘の歳月だった。原発事故直後に東電が放流した大量の汚染水のため漁自粛を強いられ、試験操業開始からわずか1年余り後、2013年7月に汚染水の海洋流出事故が発覚。折から漁協が出荷中のタコの値が暴落し、名古屋市場で取引停止になり、試験操業は中断された。汚染水管理のずさんさを問われた東電は、前述の「地下水バイパス」など対策に追われる。

 風評被害は猛烈で、内陸の福島盆地産の旬のモモも売れなくなり、福島県産の牛肉などの価格低迷は現在も続く(『河北新報』連載「東日本大震災10年 復興再考 第2部 風評の実相』参照)。

 今野さんに初めて会ったのは『河北新報』連載「ふんばる」の取材で、2014年3月29日の「漁は誇り、再開諦めぬ 国は汚染水対策全うを」という記事になった。仲間を励ましながら、週わずか2回の出漁の合間、漁復活の日に備え漁網を編んでいた。そのとき語った言葉はこうだった。

「せめて5年後の(汚染水問題解決の)見通しがつけられないと。息子に対しても責任がある。陸(おか)に上がることもできたはずなのに。努力が報われる将来を、若い人に見せたいんだ」               

国は前面に立たないのか

〈深刻化する汚染水問題を根本的に解決することが急務であることから、今後は東京電力任せにするのではなく、国が前面に出て、必要な対策を実行していく〉

 これは2013年9月3日、今野さんら相馬双葉漁協組合員に対して政府、東電が開いた汚染水流出事故後の対策の説明会で、経産省の参事官が読み上げた政府・原子力災害対策本部の「汚染水問題に関する基本方針」の一文だ。筆者も現場で聴いた。

「国が前面に出る」という公約を、政府側の歴代担当者は漁業者に繰り返し語った。

 さらに東電は、野崎県漁連会長あての汚染水対策の回答文書(2015年8月25日付)に、

〈漁業者をはじめ、関係者への丁寧な説明等必要な取組を行うこととしており、こうしたプロセスや関係者の理解なしには、いかなる処分も行わず、多核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留いたします〉

 とも明記していた。

 10月23日の政府の「海洋放出案決定見送り」の報道も、汚染水問題の経過を洗い直し、東電の約束を無視できないと判断したためだったのか。政府が責任を明確にして汚染水問題の解決を目指す――としたもう1つの公約も、責任者が誰なのか明らかにされぬまま宙に浮いている。

〈東京電力福島第1原発の放射性物質トリチウムを含む処理水を巡り、政府は処分の実行に当たって「関係者の理解」を事実上の要件と位置付け、開始時期を当面明示しない方針とみられる。近く廃炉・汚染水対策関係閣僚等会議を開いて処分方法を海洋放出に決定するが、肝心の風評被害対策を含め不透明な要素を多く残すことになりそうだ〉(10月25日『共同通信』)

 地元の死活問題になる「方針」の行方を、こうしてメディアの報道に委ねる姿勢は何なのか。

 今野さんは、相馬双葉漁協の組合員の間に、この問題で「かん口令が出ているんだ」と語った。

「だが、それでは当事者の声が外に届かない。構わないから書いてくれ」

 とも託された。

 処分方法の検討そのものが被災地の暮らしへの想像を欠く遠い場所で行われ、最終方針も、被災地の声が聴かれぬまま決められようとしている。漁師たちはそれに抗議する。

 前出の、新地町の漁師、小野春雄さんは10月24日、海洋放出をめぐる福島市内の市民集会に参加し、顔をさらしマイクを握り反対を訴えた。その後の筆者の取材に、

「当事者は俺たちだけではない。少しでも疑問を持つ人の声を集める時だ。被災地の復興の足を引っ張らない解決策は本当にないのか? マスコミにはそういう議論の場をつくってほしいんだ」

 と訴えた。

「原発事故の溶解核燃料に触れた汚染水という特異性から、漁業者の風評再発の危惧と市民の不安、処分を内々急ぎたいような政府への不信感も生まれる。漁業者だけが『同意』を迫られるべき問題ではない」

 試験操業の監督機関、福島県地域漁業復興協議会の委員を長年務め、被災地の浜を歩いてきた濱田武士・北海学園大学教授(地域経済論)も、筆者にそう語った。

〈今後も廃炉汚染水対策について、国が前面に立って、取組を進めてまいります〉(首相官邸ホームページ)――。

 2019年4月14日の福島県訪問の際にもこう責任を強調したのは、安倍晋三前首相だった。

 後継の菅義偉首相は10月26日の所信表明演説で、

「福島の復興なくして東北の復興なし」

 と歴代政権の看板公約を述べながら、国民に説明を尽くし責任を表明すべき海洋放出問題に一切触れなかった。菅首相はなぜ前面に立ってくれないのか、という漁業者の問いは放置され、宙に浮いたままだ。

 あるいは、2013年の汚染水流失問題のさなか、安倍前首相が東京オリンピック招致の演説で世界に訴えた「アンダーコントロール」(汚染水は完全に制御されている)との幻想の公約に縛られ、海洋放出案をめぐっても、あくまで「問題は何もない」と言い続けたいのだろうか。

寺島英弥
ローカルジャーナリスト、尚絅学院大客員教授。1957年福島県相馬市生れ。早稲田大学法学部卒。『河北新報』で「こころの伏流水 北の祈り」(新聞協会賞)、「オリザの環」(同)などの連載に携わり、東日本大震災、福島第1原発事故を取材。フルブライト奨学生として米デューク大に留学。主著に『シビック・ジャーナリズムの挑戦 コミュニティとつながる米国の地方紙』(日本評論社)、『海よ里よ、いつの日に還る』(明石書店)『東日本大震災 何も終わらない福島の5年 飯舘・南相馬から』『福島第1原発事故7年 避難指示解除後を生きる』(同)。3.11以降、被災地で「人間」の記録を綴ったブログ「余震の中で新聞を作る」を書き続けた。ホームページ「人と人をつなぐラボ」http://terashimahideya.com/

Foresight 2020年11月30日掲載

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