1カ月で利益1億円……“仕掛け人”折口雅博氏が語る「ジュリアナ東京」誕生秘話

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生保レディに招待券を配布

 さらに、スタッフを募集する広告を新聞に出したところ、その日の朝、5人ものリクルート社員が、リクルートの求人誌に採用広告を出しませんかと会社にやってきたという。

「5人はそれぞれ別々の部署で、互いに競合していたのです。そこで一人ずつにプレゼンをさせました。すると、その中の一人が、頭も切れ動きが良い優秀な人でした。リクルートを退社してもらい、ジュリアナの広報をお願いすることになりました」

 折口氏はまず、宣伝に力を入れた。新聞や情報誌はもちろん、夕刊紙、女性雑誌にも広告を打ったという。

「成功させるには、お祭りが行われているような雰囲気が出るよう会場を満員にする必要がありました。そのために、招待券を大量に配布しました。やみくもに配ったのではなく、影響力のある人に渡したのです。たとえば、上客を抱えている生保レディ。それに大手証券マン、商社マン、広告代理店、エリートビジネスマンの集まりである丸の内青年倶楽部にも配りました」

 内装のデザインは、カナダ人女性デザイナーが手がけた。

「それまで、お立ち台は高さ1メートルでした。ジュリアナの場合、天井が高いので1・2メートルにしました。すると、踊っている女性が少しでも大きく見えますからね」

 結局、オープン初日は、550人のお客が入り成功をおさめたが、問題は週末だった。

「最初の週末はどうなるのか不安でしたね。というのは、週末は招待客を入れてないからです。金曜日の朝、緊張のあまり、フロに入ったら鼻血がでましたよ。会場は400人は入らないと、混んでいるように見えません。ガラガラだったらどうしようと、びくびくしていましたが、結局800人以上の入場者があり、思わず拳を振り上げましたね」

月の利益が現金で1億円

 チケットは、男性が5000円、女性は4500円。週末は500円高くなる。チケットには3500円分のドリンクとフード券が付いていた。ちなみに、招待客のリピート率は50%にも及んだという。

「オープンしてから4カ月後には、月の経常利益が1億円になりました。しかも現金です。その年の大晦日には5000人が集まりました」

 ボディコンの女性客が、“ジュリ扇”と呼ばれた扇子を持つのも流行った。

「お店は鮨詰め状態になるので、空調をフルに動かしても暑い。会場内でジュリアナのロゴの入った扇子を販売していたのです。それを手に持って踊る女性が現れ、いつの間にかジュリアナ近くの出店で羽根付扇子が売られるようになったというわけです」

 折口氏は、オープンから半年後に日商岩井を退社。ジュリアナ東京の運営会社の社長に就任したが、

「口約束ですが、日商岩井を辞めたら社長に就任することになっていたんです。でも、予想外に利益が出たこともあって、倉庫のオーナーや運営会社の人たちから排除されました。僕がいなくて、自分たちの思うようにやれば、もっと儲かると思ったようです」

 折口氏は、ジュリアナ東京を立ち上げるため、5400万円を借金して出資していたが、社長就任から2カ月後に社長を辞め、借金だけが残ったという。

「江戸の敵を長崎で討つしかない、と思いました。94(平成6)年、六本木で世界最大級の『ヴェルファーレ』をオープンしました。僕は、運営会社の社長としてプロジェクトを進めていましたが、オープン直前に副社長に降格。所詮雇われですから、経営権を持たせてもらえませんでした。でも、ヴェルファーレが軌道に乗ったことで、ジュリアナでつくった借金は返済できました」

 ジュリアナ東京は、肌を過度に露出した女性が問題となり、警察の捜査が入ったことで常連客が遠のいて経営が悪化。1994年8月に幕を閉じた。3年ちょっとの、伝説のディスコの映像は、今も人々の脳裏に残っている。

週刊新潮WEB取材班

2020年11月30日掲載

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