ミヤシタパークは「あえて渋谷の街を見せる」デザインが素晴らしい(古市憲寿)

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 今年の夏、渋谷にミヤシタパークが誕生した。3階までが商業施設、屋上に公園とホテルがある。開業から日が浅いこともあり、なかなかの盛況ぶりだ。

 特徴的なのは、ミヤシタパーク内部からは「渋谷」がよく見えること。忙しなく行き交う鉄道、ゴテゴテした看板、古い雑居ビルなど、日本らしい統一感のない景観を望むことができる。通り抜けもしやすくて、まるで渋谷の渡り廊下のよう。

 商業施設が、徹底的に外部の視点を遮断していた時代があった。お台場のヴィーナスフォートが有名だ。内部には荘厳な柱や噴水などヨーロッパの街並みが再現され、空までが作り物なので、来場者はそこがお台場であることを忘れてしまう(元ネタはラスベガスのフォーラムショップスだろう)。

 このように、商業施設をテーマパークのように開発するという手法が流行していた。恵比寿ガーデンプレイスも六本木ヒルズも、全国に点在する巨大イオンモールも、あまり街が見えない。

 しかし渋谷に商業施設を造る時、わざわざ「渋谷」を隠すのは勿体ない。

 かつて渋谷は、私鉄のターミナル駅、サラリーマンの街としてのイメージが強かった。それが1964年の東京オリンピック前後の再開発で代々木公園や宇田川町一帯が整備され、ぽつぽつと小劇場が誕生する。寺山修司の天井桟敷館や、渋谷ジァン・ジァンだ(『渋谷音楽図鑑』)。

 それまで「若者の街」といえば新宿だったが、文化の中心が徐々に渋谷へ移ってきたのだ。流れを加速させたのが1973年に開業した渋谷パルコや79年の109、89年のBunkamuraである。80年代後半に「渋カジ」というファッションスタイルや、「渋谷系」という音楽ジャンルも流行した。タワーレコードやHMVなどのレコード店が発信源となり、多数のスターが生まれた。

 こうして渋谷には「若者の街」という印象が定着していく。1999年にはスクランブル交差点の前にQFRONTが開業し、その年末には新たなミレニアムを迎える大規模なカウントダウンイベントが開催された。同じ頃、スポーツバーも増加し、ワールドカップなどの祝祭時に人々が集まる場所としても認識されていく。最近は「ハロウィンの街」としても有名だった。

 興味深かったのは『ジャパニーズハロウィンの謎』という本の報告。「陽キャの人」が「ワイワイしている場所」かと思って観察に行くと、「本当に雑多」で「各々が思い描くハロウィンを楽しんでいる」だけだったという。2018年の話である。

 今年の渋谷ハロウィンは、新型コロナの影響もあり、例年以上に冴えない人が多かった印象だ。僕の知る限り、東京で最も「陽キャ」の人々(というかパリピ)は、虎ノ門にできたばかりの外資系ホテルを借り切って盛大なパーティーをしていた。

 ところで今日も、渋谷で仕事があったのでミヤシタパークを通り抜けてきた。渋谷は背景として優秀な街であるが、残念ながら買いたいものは特になかった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年11月26日号掲載

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