三島由紀夫事件、警察は事前に「計画」を知っていたか 三島氏の友人が語った真実
「玩具の兵隊ですね」
が、その後も三島氏の危機感は高まるばかりだった。
「楯の会の打ち合わせに呼ばれて、制服のデザインや生地を見せられたことがあった。私兵づくりに協力するわけにはいかないから、大したアドバイスはしなかった。機動隊を管轄する警備課長の時期、2回、三島邸に招かれた。都内で毎日ドンパチやっているのに、三島邸で優雅にお茶をするのもはばかられたんだがね(略)。
2回目の訪問時、『立派ないいデザインの制服ですけど、玩具(おもちゃ)の兵隊ですね』と言ったら、三島さんはかなり怒ってしまった」(佐々氏)
三島氏の過激な思想、発言は多くの人の知るところだった。当然ながら「楯の会」は公安のマーク対象ともなる。そのことは佐々氏も認めているが、一方で「警察は三島さんが直接行動に出るとは予想だにしていなかった」という。「楯の会はマークしていたが、三島氏個人のマークはしていなかった」とも証言している。
これはいささか矛盾した話である。楯の会の幹部らをマークすれば必然的に三島氏をマークすることにもなる。それで本当に事件を察知できなかったのか。
上層部の計算
さらに西氏が着目したのは事件直前の人事異動だ。佐々氏は事件2カ月前に機動隊をつかさどる警備課長から、人事課長に異動になっていた。三島氏が決起したら、佐々氏は友人を逮捕する立場になってしまう。もちろん、実際には「直接行動」には出ないかもしれない。しかし万が一、何らかの事件を起こしたら……そんな事態を避けるための人事だったのではないか。
この問いに佐々氏はこう答える。
「それは穿(うが)ちすぎです。人事課長への異動は栄転です。それまでの功績への評価です。前任者は4、5年上だった。もし私が警備課長だったら、機動隊を出動させていません。自衛隊に自分で処理させた」
しかし、いくつもの傍証を挙げつつ、やはり警察の一部はある程度三島氏らの計画を知っていたのではないか、と西氏は述べている。
「佐々は『穿ちすぎです』と私の疑念を一蹴した。しかし警察上層部は本人に知らせずそう計ったのかもしれない」
佐々氏は事件翌日から、三島氏の遺族らと頻繁に連絡を取っていたという。警察官僚としてではなく、友人として、だ。どこまで現実の行動に移すかは別として、事件が起きた際に、そういう近い人間が捜査の現場にいるのはまずい、という計算を上層部がしても不思議ではない。
佐々氏の証言は同書のごく一部であり、西氏は埋もれていた裁判資料などから事件の全貌に迫っている。そこには陰謀論とは一線を画した説得力がある。
むろん、「何かを知っていた」というのは一つの仮説にすぎない。しかしながら、数多くの関係者の証言は、少なくとも三島事件が突発的、衝動的な行動の産物ではないことを示している。
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