【ブックハンティング】「怒り」を仕組む情報工作「手法と恐怖」

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 2020年アメリカ大統領選で民主党ジョー・バイデン氏の勝利が判明しても、「バイデンは不正投票により当選した」「票を正しく数えればトランプが勝つ」というインターネット上の主張が止まらない。フェイスブックやツイッター、ユーチューブなどのソーシャルメディアを舞台に、現地アメリカだけでなく日本語のネット空間でもこうした声があふれる。

 それはあたかも、第2次世界大戦後、南米の日本人社会で敗戦を信じず日本は戦争に勝ったと主張した「勝ち組」の人々のようだ。75年前、海外情報が極度に乏しかった時代なら分からなくもない。

 だがインターネットで世界の情報が瞬時に伝わる現在、人はニセ情報に簡単に動かされ、拡散を繰り返す。瞬時に広まる情報の中には人種対立を煽る言説、フェミニズムや性的少数者の権利擁護をけなす言葉もある。

ネット言説の裏で何が行われたか

 4年前、大方の予想に反してドナルド・トランプ米大統領が当選した秘密の一端は、そんなネット言説にあった。英国系の情報戦略企業が一部のネットユーザーを巧みに刺激し、激しい言葉を拡散させ、世論を歪めたのだ。工作にフェイスブックがもつ厖大な個人情報が活用され、背後にはロシア政府の存在もうかがえるという。

 その英国系情報戦略企業「ケンブリッジ・アナリティカ」(CA)が駆使したテクニック、同社と英米の右派人脈、カネ――。飛び交うネット言説の裏で何が行われていたか、今話題の『マインドハッキング あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア』(新潮社)は、同社幹部だったクリストファー・ワイリーの視点から赤裸々に暴露する。
 著者ワイリーは内部告発者である。CAに設立段階から関わり、データサイエンティストとしてその心臓部に携わっていた。情報戦略企業は人心を動かす。「情報兵器」を操り、軍事心理戦を仕掛ける。

 ワイリーが当初、CAの母体企業に加わった際に注目していたのは、武装テロ集団や犯罪組織、非民主的抑圧政府と闘うために行われた攪乱や反乱を仕組んだ実績だった。だがそこは、ある小国の政権の秘密依頼に基づき、国民のプライバシーデータを流用した選挙向け情報工作も平気で行う会社だった。

 やがてCAは、米右派のネットメディアを運営するスティーブ・バノン(のちにトランプ政権幹部となるも、解任)を依頼者に持ち、保守系大富豪の出資を受けて、ネット言論と結ぶ英米の保守派、いわゆる「オルタナ右翼」の工作に急傾斜していく。

 こうした工作に耐えられず同社を去ったワイリーが社外から見たものは、同社のプロジェクトがモンスター化し、英国ではEU(欧州連合)離脱、米国ではトランプ大統領の当選という、予想されなかった2つの世論を生み出す結末だった。ワイリーは意を決し、英米のメディアや当局に経緯を暴露する。本書の陰鬱な筆致は、その経過のやりきれなさを倍加している。

割り出された宣伝ターゲット

 日本語のネット上でも、嫌韓嫌中やフェミニズム揶揄、市民運動への嫌悪など、建前をかなぐり捨てた右派言説はとどまるところを知らない。リベラル派の反論を受けると、かえって力を得ているようにも見える。そのエネルギーの「秘密」とは何か、ワイリーは見せてくれる。

 それは「怒り」である。人は怒りに火が付くと、情報を合理的に取捨選択しづらくなる。これに「誰かが得をしていれば、その分残りの人は損をする」というゼロサムゲームの思い込みが加わる。

 こうなると、移民の権利を擁護する主張は、「普通のアメリカ人への攻撃」となる。女性蔑視は許されない時代だという言説は、「普通の男が当然としてきた考えへの抑圧」になる。

 「われわれ」は被害者なのだ。だが「われわれ」とは? それは「普通のアメリカ人」。日本語のネットで、日の丸アイコンとともに見ることもある「普通の日本人」のカウンターパートといえそうだ。

 問題はその先にある。CAは情報戦略企業として最も「怒り」を刺激されやすい人々を選び抜き、利用する。衝動的に怒り、陰謀論に走りやすい性格の人を特定してターゲットとし、彼らをめがけ、怒りをかき立てる記事や動画を流す。もっと視聴するよう言説のチューンアップを続ける。その結果、ターゲットたちは「マスコミが報じない不正」「知らされていない陰謀」を拡散せずにはいられない。

 フェイスブックが持つ厖大な情報は、そんな拡散マシーンになってくれるターゲットを見つけるため利用された。ソーシャルメディアには、その人のことは何でも分かる情報が集積する。抜き取れば、CAの情報戦略のおいしい資源となる。

 これにはハッキングなど要らない。本書によれば、少額の謝礼が伴う心理アンケートを装って、フェイスブック利用者に回答させ、その際フェイスブック上の情報へのアクセス権ももらえるようにする。書き込んだ内容、「いいね」「シェア」をした記録と、心理アンケートの項目とが結びつけば濃密な情報になる。フェイスブック上の「友達」の情報までも取り込む仕掛けにより、アンケート回答者の100倍を超す人々の情報までも手に入る。

 こうして割り出された宣伝ターゲットを通じて、デマや憎悪、陰謀論、暴力扇動までも含んだ毒性の高い情報が大量にまかれ、米大統領選や英EU離脱国民投票に影響を与えた。

 日本の選挙でこんな工作はあるのかないのか、検証は難しい。英米ではワイリーの告発を受けて、議会が動き調査を行っている。

中毒性が高い設計

 では、情報工作の資源となり災厄を引き起こすソーシャルメディアとはもう縁を切り、彼らには滅んでもらうべきだろうか。だが友人と連絡を取り、つながりを保つ基幹ツールとして、もはや手放し難くなっている。

 さらに、ニュースを知る手段として、世界的にも55%が用いていることが、英オックスフォード大ロイタージャーナリズム研究所が行った40カ国・地域の調査で分かっている。ソーシャルメディアをなくそうとするなど、現実味を欠いた、いわば現代のラッダイト(産業革命時の機械打ち壊し)運動にしかなるまい。

 それに、ワイリーによれば、ソーシャルメディアは中毒性が高い設計なのだ。気になるコンテンツが出てきそう、何か書けば「いいね」やコメントもつきそうで、画面をたどりつづける。スロットマシーンはいつ当たるか分からないが、いずれ必ず当たるのであれば動かし続けてしまう、それと同じ仕組みだという。人々が情報を書けば書くほど、ソーシャルメディアの収益源である広告の精度も上がる。書き込みたくなる仕組みがそれを支える。

 絶望的だ。だからこそ、本書の最後にワイリーは「やれること」をいくつか提言している。

 ソーシャルメディアのようなサービスの設計に建築基準法のようなルールをつくってプライバシーの流出に歯止めを掛け、電気、水道、鉄道のような公共企業として規制を強化するアイデアだ。一貫して陰鬱だったワイリーの語りが、この部分では少しだけ前向きに感じられる。もともとバラク・オバマ氏が選挙でデータ分析を駆使して勝利したことに感激し、データサイエンスに向かった彼である。残酷なまでに裏切られたテクノロジーに、なおも希望をもって読者と共有しようとする。

 しかしその希望は、いかにもはかなく見える。英国で行われたEU離脱の国民投票や米国の大統領選挙の混乱、市民が拡散する情報の荒廃を目の当たりにした今、人々のお互いの言葉に対する不信は心の奥深いところに忍び込む。トラウマのようにそのダメージは確実に効いてくるのだ。お互いの言葉を信じず、議論を諦める。民主主義の基盤が崩落する――。

 テクノロジーに揺さぶられ、直面するそんな危機を、この本は暗示しているように思える。
 

澤康臣
1966年岡山市生まれ。東京大学文学部卒業後、1990年に共同通信に入社。社会部、外信部、NY支局などを経て、特別報道室で調査報道や深掘りニュースを担当した。NYでは「国連記者会」理事に選出。2006~07年、英オックスフォード大学ロイタージャーナリズム研究所客員研究員。2020年4月から専修大学文学部ジャーナリズム学科教授。著書に『グローバル・ジャーナリズム―国際スクープの舞台裏』『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』など。

Foresight 2020年11月21日掲載

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