ペルー大統領「1週間で3人目」混乱また混乱どうなる「民主制度」
ペルーのマルティン・ビスカラ大統領の罷免に端を発した政治混乱は、ペルーの民主制度に決定的な危機をもたらしたと言える。
「議会によるクーデター」
11月9日、ペルー国会(1院制議会で議席数130)は、3分の2を超す賛成(105票、反対19票、棄権4票)を以て、汚職容疑でビスカラ大統領を罷免した。そして副大統領が不在のため、憲法の継承順位に従い、マヌエル・メリノ国会議長が翌日、大統領に昇格。来年7月までの政権残任期間を担うことになった。
しかし、これで事態は収まらなかった。ビスカラ大統領の罷免とメリノ政権への移行が「合法性を欠く」もの、あるいは「議会によるクーデター」だという非難が起き、議会と新政権に対する大規模な抗議デモが連日、全国で繰り広げられたのだ。
国際的にもペルーの民主政治の行方に懸念が高まる中、治安当局とデモ隊との衝突で、14日に学生2人が死亡、94人が負傷する事態に発展。新政権の閣僚や政府高官が雪崩を打つように辞任し、議会も支えきれず、メリノ大統領は15日、就任からわずか5日で辞任に至った。
問題は後継の大統領であった。この混乱に際して国会議長団(議長及び副議長3名)も辞任したため、憲法上定められた承継者がいなくなってしまったのである。
政治空白を埋めようと議会は新議長団の選出に取り掛かったが、ビスカラ大統領の罷免に賛成し、「ゴルピスタ(議会のクーデターを扇動した者の意)」と非難された105名が加わることは、街頭で抗議を続ける群衆や世論の動向が許さず、紛糾の末、罷免決議に党として反対した「紫の党(モラド党)」のフランシスコ・サガスティ議員会長を新議長とし、他党の反対した議員から成る議長団を選出。翌17日、サガスティ新議長が新大統領に就任した。
ビスカラ大統領の罷免は、前任のペドロ・パブロ・クチンスキ政権の下で悪化した大統領と議会の対立の産物である。
2018年3月、当時のクチンスキ大統領が首相時代の汚職疑惑で、議会から2回目の罷免圧力を受けて辞任。第1副大統領から昇格したのがビスカラ大統領だった。汚職撲滅の旗を掲げた彼は、世論の支持を背景に政治司法改革に挑んできたが、そこに新たに浮上した汚職疑惑と議会による罷免、そしてこの政治的大混乱である。
2019年9月にビスカラ大統領が行った議会解散も、憲法上の解釈をめぐり議論を呼んだが、それにも増して、今回の大統領罷免の衝撃度は大きい。後継の大統領が5日後に辞任し、憲法上定められた承継者がいなくなり、一時的にも政治空白が生じたという、民主制度の決定的な危機を迎えたからだ。
捜査は任期終了後というコンセンサス
ペルーでは、現在25年の刑に服しているアルベルト・フジモリ元大統領の後、アレハンドロ・トレド、アラン・ガルシア、オジャンタ・ウマラ、クチンスキと、歴代大統領がいずれもブラジルの大手建設会社が絡む汚職容疑で拘束中か起訴されている(ガルシア氏 は逮捕直前に自殺)。
ビスカラ大統領は今回、南部モケグア州知事時代の公共事業(病院建設と灌漑事業)に絡む収賄容疑で罷免され、検察による出国禁止命令が出されたことで、汚職容疑のかかったペルー元首のリストに名を連ねた。
とはいえビスカラ政権は、就任後から一貫して世論の高い支持に支えられてきた稀有な政権である。
迅速に新型コロナウイルス対応策を断行した4月の90%前後の支持率からは低下傾向にあったが、汚職疑惑が噴き出した10月の世論調査でも、Ipsos社が54%、研究機関のIEPが60%と、依然高い支持率を維持していた。
汚職疑惑については徹底した捜査が行われるべきだとしても、コロナ禍の非常事である。人口比当たりの死者数が世界でトップクラスにあり(11月16日現在で3万5000人)、今年の経済成長率もマイナス13.9%(IMF)に及ぶ不況下である。その中で、来年4月の大統領・議会選に向けた選挙プロセスを乗り切るためにも、残り少ない来年7月までの任期を全うし、大統領退任後に捜査を行うのが制度上最善という世論あるいは良識あるコンセンサスがあったと言える。
だが、罷免決議に反対票を投じた19人の内、党として一致して反対したのは中道改革派の「紫の党」(9名)だけだった。議会は世論の動向を読み誤ったと言わざるを得ない。
汚職疑惑は「道徳的無能さ」か
今回の罷免は、憲法に照らしても、合法か否か議論を呼ぶところだ。
現行憲法は第113条で、議会により「大統領の空位」(大統領の罷免)が決議される条件として、「大統領の死去」、「辞任」、「議会の許可のない出国」、「国家への背信や選挙妨害などでの弾劾」の他、「身体的な職務遂行能力の欠如」ないし「永続的な道徳的無能さ」が規定されている。
今回はこの「道徳的無能さ」による「大統領空位」の宣言が議会によってなされたのだが、捜査が行われていたとはいえ、立件されていない容疑で元首を「道徳的無能さ」を理由に罷免することの是非が問われる。
ビスカラ大統領は9月にも、文化省が絡む汚職疑惑への対応が「道徳的無能さ」に当たるとして罷免決議を出された。この時は反対多数で否決されたが、今回は資金を「渡した」とする証言や、業者との接触を示唆するビデオが提出され、あっさり可決された。
ビスカラ大統領が、議会での票決に先立ち事実無根を訴えた際、
「(130名の)議員のうち68名が検察によって汚職容疑の捜査の対象となっている。自分が罷免されるなら、いずれの議員も辞めなくてはならないのではないか」
と脅迫めいた挑発をしたことが、予想を超す罷免賛成票を生むことになったと考えられる。
この空位宣言の憲法規定は、理由が曖昧さを含むだけに、議会による恣意的な解釈と乱用が懸念されてきたところであり、大統領が罷免され易いシステムに根本的課題があることは明らかだ。
米州機構(OAS)は11日、事務総長名で今回の危機に「深い懸念」を表明し、罷免の合法性の判断を憲法裁判所に求めた。
ビスカラ大統領側も9月の罷免決議の審議に当たり、「道徳的無能さ」を理由にすることの是非について判断を示すよう憲法裁判所に求めており、憲法裁判所は今回、その要請に基づいて公聴会を開催し、判断を下すとしている。「違憲」となれば、ビスカラ氏の復権も視野に入る可能性があるが、これまで乱発されてきた経緯があり、また政権交代のプロセスがここまで進んできたことを考えると、さすがに元に戻すことにはならないであろう。
フジモリ元大統領との違い
現行憲法で「道徳的無能さ」を理由に大統領が罷免されたのは初めてではない。20年前のフジモリ元大統領がそうであった。
内外の非難に抗い3期目樹立を強行突破したフジモリ元大統領は、腹心のブラディミロ・モンテシノス顧問による議員買収が発覚し、野党が多数派を占める議会で罷免されることが避けられないと見ると、2000年11月にブルネイで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議に出席した帰途、立ち寄った日本から議会にFAXで辞表を送りつけた。議会はこれを受理せず、逆に大統領を罷免することで対抗したのだ。
そして暫定大統領にはバレンティン・パニアグア議長が昇格し、前政権の腐敗追及と翌年の総選挙の実施など、毀損された民主制度の正常化過程を担ったのである。
今回のケースと類似しているが、権威主義化した体制の崩壊、再民主化という文脈において、罷免が幅広い支持を得た点で大きく異なる。今回は、国難という大局を無視した国会が政府の改革や政策を妨害し、党利党略から大統領を罷免したと世論が判断したことが大きい。
そもそも議会や政治家に対する支持は低く、先述した「Ipsos社」の10月の調べでは不支持率が60%に達していた。議員の中に汚職容疑で捜査が及んでいる議員が多いという背景もある。そのため民主主義に逆行するとして、昨年のチリなどで展開されたような、SNSを介した若者を中心とする大規模な抗議活動に発展したのである。
議会の意趣返し
今回の罷免が「議会によるクーデター」とのそしりを免れないのは、ビスカラ大統領が世論の支持を背景に議会を強行解散したことに対する議会の意趣返しという面もあるからだ。
汚職防止を使命に政権を発足させたビスカラ大統領は改革を主導したが、フジモリ派の支配する議会の抵抗に遭い、対立は深まった。不正な選挙資金を受理したとされる党首のケイコ・フジモリ氏を含め、汚職追及から身内を守ろうとする議会との対立は、2019年9月に立憲上の危機に発展した。
汚職問題の渦中にある憲法裁判所の判事の任命を阻止すべく議会に内閣信任をもって訴えたが、議会は任命を強行し、同時に解散を恐れて内閣を信任した。というのも、憲法では、内閣が2回不信任を受けた場合に大統領が議会を解散できると定められているからだ。
だがビスカラ大統領は、議会が判事の任命を強行するに当たってとった奇策を「事実上の内閣不信任」と解釈し、9月30日現行憲法下で初めて議会を解散した。
議会は「道徳的無能さ」を理由に大統領を罷免することで対抗したが、80%に及ぶ世論の高い支持率の下、軍も大統領の判断を支持。翌1月には、憲法裁判所も議会による解散無効の訴えを退け、危機は収拾された。
そして1月26日に行われた議会選挙の結果、抵抗勢力の最大政党フジモリ派が議席を大幅に減らした。
大統領の目論見は奏功したように見えたが、世論の支持のみを頼りにして、新議会で独自の政党(与党)を立てなかったことは、明らかに大統領の戦術の誤りであった。9政党に分散した新議会に足場を持たないビスカラ政権は再び議会と対立を深めた。
メリノ氏就任で懸念された三権分立の危機
しかし、ビスカラ大統領を罷免した議会の議長が大統領に就くことで浮上した最大の問題は、行政府のチェックがなくなり、三権分立が機能しなくなる懸念が生まれたことであった。来年の総選挙に向けて、政府が議会と連動して個別の党派の利害を優先した政策を打ち出す恐れであった。
新議会は、任期が旧議会の残任期間である2021年7月までと限られていたため、コロナ禍の国民生活への影響が大きくなる中で、選挙目当てのポピュリズム政策に走る傾向があった。積み立て型年金の受給者に中途での基金の引き出しを認めたばかりか、それを賦課方式の年金にまで拡大しようとする年金法の改正案が提出され、ビスカラ大統領が法律の公布を留保するなど抵抗していた。
そして罷免決議の過程においては、新規の大学創設や評価に絡み、大学監督局の影響を弱めようとする勢力、あるいは警察署の武装襲撃で服役中のアンタウロ・ウマラ氏(ウマラ元大統領の実弟)に恩赦を与え、大統領候補に担ごうとする左派の動きもあった。
まさに罷免に向け、党派的な利害の連携が実現していたのだ。
メリノ氏は、選挙を正常に行い、来年7月の政権移行まで政権を担うと宣言して批判をかわそうとしたが、コロナ対応を口実に選挙を延期するのではないかとの疑いも払拭されなかった。ガバナンス能力に大きな課題があるペルーの行政だが、罷免に伴い閣僚が辞任し、国難にあってすでに行政の空白が生まれていた。そして大規模な抗議デモを前にあえなく辞任し、混乱と人権侵害の責任を追及され、「戦犯」視されるに至ったのだ。
少数派の議長団が主導する議会
最後に、新たに発足したサガスティ政権の課題について簡単に触れておきたい。
筆者もよく存じているが、サガスティ新大統領は、世界銀行でも働いた経験のある国際派知識人で、ペルーの現実を踏まえ、社会経済開発や科学技術に深い見識を持つ。基本的にアカデミアの人物だが、フリオ・グスマン氏を党首とする紫の党の結党に参加し、来年の選挙での副大統領候補に名を連ねていた。
この危機的な時局において、最大任務とされる総選挙の実施による政権移行に向けて政治的手腕が問われよう。政治の混乱を収束し、コロナへの対応と経済回復に向けた政府の再建が、待ったなしで求められる。保健相にはビスカラ政権でコロナ対応を担ったピラール・マセッチ氏が復帰した。先ずは政府に対する国民の信頼の回復が必要だ。
反政府抗議デモで2名の犠牲者と多くの負傷者を出した人権侵害の追及など、前メリノ政権の責任問題もある。17日の大統領就任式には、犠牲者の家族を招き、冒頭で元首として謝罪を行うことで演説を始めた。
大統領の罷免に賛成し、「議会のクーデター」を主導したと非難される大多数の議員との関係も問われる。憲法裁判所の判事の任命も控えており、罷免に反対した少数派の議長団が主導する議会で、三権分立を踏まえた正常な運営を機能させなくてはならない。
そして、街頭に出て実力行使によって政治変化を実現できることを学んだ若者たちや世論とのコミュニケーションが重要である。
ペルーは、来年2021年、共和国としての独立200周年を迎える。新政権は、その節目につながる重要な任務を担い発足した。