自動翻訳の向上で生まれた「新しい方言」とは 機械に話しかけるための日本語(古市憲寿)

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 何号か前の「週刊新潮」で、五木寛之さんが「地方の言葉は、やがて絶滅するのではあるまいか」と書いていた。列島各地から方言が消え、地方に住む人々も訛りのない標準語を話す。その意味で、確かに「古い方言」は消滅の途上にあるのかもしれない。井上ひさしさんが書いた『國語元年』のような騒動は、もう起こりようがないだろう。

 しかし「新しい方言」はますます盛んになっていくのではないかとも思った。まずは何といっても、日本語訛りの英語の興隆である。

 この国の人は、戦後ずっと英語コンプレックスに悩まされてきた。それは「悩む」で済むくらい余裕があったということでもある。もしも生存のために英語が必要だったら、悩むなどという悠長な態度を取っていられない。

 たとえばフィンランドの人は英語が流暢だ。しかもフィンランド語と英語は言語体系が大きく違う。彼らが英語の得意な理由がずっと謎だったのだが、実際にフィンランドに行ってみてわかった。単純に英語が必要なのだ。

 人口550万人の小国では、フィンランド語だけで暮らすのは少し大変だ。高校生になると、一部の副読本や参考書は英語になってしまうし、大学で使うような教科書や学術書は多くが外国語。映画も本も、翻訳される点数は限られている。

 翻って日本では、英語が使えなくて困ることは、ほぼない。みんな「英語が話せたらいいな」くらいには思っているだろうが、具体的な使用シーンが確定している人は多くないはずだ。

 だが国力の衰えと共に、英語や中国語が必要となるケースは増えていくだろう。世界人口の4人に1人は英語を理解できるという試算もある。世界標準語というわけではないが、標準中国語話者の数もそれに近い。

 言語学習の基本だが、誰もがネイティブスピーカーを目指す必要はない。「相手に伝わる」という一点さえ担保されれば、どんな文法でも発音でも構わない。この先、日本語訛りの外国語という「新しい方言」の話者は増加していくだろう。

 しかし凄まじい勢いで自動翻訳の精度も向上している。英語で文章を書く時なんて、まず「DeepL(ディープエル)翻訳」を使って、「Grammarly(グラマリー)」という校正ツールで確認すれば、ほぼ意味が通じる英語が書けてしまう。

 話し言葉も「グーグル翻訳」や「ポケトーク」で済むという機会が増えた。僕も中国語圏を一人で移動する時は、グーグル翻訳片手に現地の人と交渉をする。

 しかし注意点がある。明朗で、文法的に正しい日本語で話さないと、自動翻訳に正しく認識してもらえないのだ。主語や目的語を省略せず、一文が短いほうが誤訳は少ない。

 結果、普段は絶対に使わないような日本語を機械相手に話すことになってしまう。これも「新しい方言」の一つと言えるだろう。五木さんも「昔にもどって方言を磨いてみようかと思」うと書いていたが、よければ今度、一緒に「新しい方言」の練習をしませんか。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年11月19日号掲載

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