”連れ去り”の闇、3年間、毎月19万円を妻に払い続けても我が子に会えない男の苦悩
住民票が閲覧できない。子供たちはどこへ……
幸い妻の実家は近所だったので、10日ほど後、喫茶店で話し合いの場が持たれた。だが、妻が決意を翻すことはなかった。
「彼女は、15年間の結婚生活で鬱積した私への不満を打ち明けました。過去の私の言動も含まれていたのですが、中には言われて初めて、“そんなに不満に思っていたんだ”と気づかされた話もありました。ただ、私は浮気もしていませんし、妻や子供に手を挙げたこともない。言葉の暴力も一切ありません。だから、時間をかけて話し合いを続ければ、きっと解決すると信じていました。妻側が養育費と生活費を要求してきたので、それから月々19万円払うことになりました」
話し合いは平行線のまま一向に進まなかったが、この頃は、2週に1度くらいの頻度で、子供たちに会えたという。
「連れ去られたのは7月末でしたが、その後しばらくは、娘の習い事や息子の運動会などで、子供たちとは接することはできました。11月には長男の七五三も家族5人でやっています。ただ、妻は『食事は一緒にしたくない』と言い、“儀式”が終わると子供を連れ帰ってしまった。長女はもう小学2年生だったので、何が起きているかはわかっており、私と会うと緊張している様子が見て取れました。一方、長男は年中、次男は年少でしたので、無邪気に私のところへ寄ってきました」
だが、クリスマスを迎え、プレゼントを渡したいと連絡しても断られ、正月も会えずじまい。そのうち、妻との連絡自体も途絶えるようになってしまった。
「10月あたりから、本格的に弁護士に相談をし始めました。そして10月末に、妻が『引っ越しを考えている』と話していたことを思い出し、嫌な予感がして区役所に行ったのです。すると、住民票に閲覧制限がかかっていました」
この時、野崎は、我が子の住む住所を調べる術がなくなったことを知った。
日本では離婚すると、どちらか一方だけが親権を持つ「単独親権」制度が取られている。だが、野崎は別居をしていたものの婚姻中であり、歴とした親権保持者だ。なぜこのようなことが起きてしまったのか。
「おそらく妻が、地域の警察署や女性センターに駆け込み、私にひどいことを言われた、などと訴え出たのでしょう。すると、相談記録が作成される。それを役所に持って行くだけで、簡単に閲覧制限がかかってしまうシステムになっているのです。繰り返しますが、私はDVをしたことは一度もありません。もちろん、妻にこのような方法があると指南している弁護士がいます」
同時に始まった離婚調停と面会交流調停
このままでは埒が明かない。そう考えた野崎は、17年11月、家庭裁判所に円満を希望する「夫婦関係調整調停」と「面会交流調停」を申し立てた。それを受けて妻側は、離婚を希望する「夫婦関係調整調停」を申し立ててきた。
二つの調停が始まって少しして、突然、妻は日時を指定し、子供たちに会わせると連絡してきた。
「後から考えると、妻側が調停を有利に進めるための戦略の一環だったのでしょう。ただ、私としては3カ月近く子供たちとは会えていなかったので、救われた思いでしたね」
季節は真冬だったが、陽が差した暖かい日であった。
午前中にまず、娘の学校行事のマラソン大会を応援することが許された。野崎は自宅近くの会場へ向かい、目の前を駆け抜ける娘に向かって、路上から歓声をあげて応援した。彼らは引っ越したものの、転校はしていなかった。
その後、息子たちとは公園で落ち合い、サッカーをした。
「息子たちは久しぶりに私に会えて大喜びでした。『暑い』と上着を脱ぎ、夢中でボールを蹴り続けていました。しばらくすると、近所の友達が加わり、戦隊ヒーローごっこに。やがて約束の1時間半が過ぎ、妻が迎えにきましたが、息子たちは『ねえ、お願いもっと』と妻に懇願し、30分延長してもらいました」
夕方には娘が自宅に帰ってきて、5分だけだが玄関先で会話もできた。
「娘とも、以前と変わらない感じで接することができました。子供たちに負担をかけたくないと思ったので、夫婦間で起きていることについては一切口にしませんでした。ただ、心の中で“もう少しの辛抱だ。必ずパパはママと仲を取り戻すから”と彼らに訴えかけていました」
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