小林麻耶は“繊細チンピラ”化? 「グッとラック!」降板でチラつくユッキーナの顔
先日、「グッとラック!」を降板した小林麻耶さん。「スタッフからいじめられたので、ロケに行かなかった」と主張し、降板も急な通達だったようだ。TBS側はいじめを否定しているが、彼女のYouTubeでは事務所社長も守ってくれなかったと非難。実際に現場で何が起きたのかは、いまだ明らかになっていない。
速報羽生結弦との「105日離婚」から1年 元妻・末延麻裕子さんが胸中を告白 「大きな心を持って進んでいきたい」
小林さんは前にも、番組MCの立川志らくさんに涙ながらに抗議したのが話題になった。「お母さんがいないのは不幸だと思う」という発言に、「そうは思いません」と反論。妹・麻央さんのお子さんたちを思ってのことだろう。でも志らくさんの言葉は、確かに言葉足らずだったかもしれないが、一般的な家庭を指したわけではなかった。不妊とがん、どちらの治療を取るか悩んだと語る芸人の話に対するコメントで、主語を大きくしてしまったのは小林さんの方だ。何事にも繊細に反応する彼女を、心配する声は前々から上がっていた。ただこの「繊細」という言葉はクセモノである。
いろいろなことに細やかに気づく繊細さは美点だが、度が過ぎると自分も相手も疲れるものだ。相手が思ってもいない考えを勝手にくみとって抗議し、被害者ぶる。こうした人のことを、「繊細チンピラ」というらしい。小林さんからは、「こんなに頑張っているんです私」という自己主張と、「でも誰もわかってくれないんです」という被害者意識が常に発せられている気がする。小林さんも、繊細チンピラに一歩足を踏み入れているのかもしれない。いじめが本当にあったのなら大問題だが、彼女のYouTubeでのやり口は、かつてぶりっこと言われていたとは思えない強情さがうかがえたのも事実だ。
降板に伴い、所属していた生島企画室との契約も解除されたとのこと。事務所は「正常なマネジメントが困難になった」と発表している。どこかで見た気がすると思ったら、「信頼関係を維持することが著しく困難」と契約を打ち切られた木下優樹菜さんと一緒だった。要はケンカ別れである。
恫喝をしたユッキーナと、いじめを暴露した小林さん。立場は逆に見えるが、構造は同じだ。どちらも、自分は正義であり迷惑を被っている側だという態度である。そして一番厄介なのは、大勢の人が自分の後ろについている、という圧力をちらつかせていることだ。
「あの人ってひどいと思わない? みんなもそう思うよね?」という共感を求める圧力は、インターネット上で拡散しやすい。ユッキーナの相手は店舗経営者、小林さんの相手はテレビ局スタッフだが、どちらも客商売だ。炎上したら仕事を失うリスクが大きい。それを逆手にとって、「給料未払いをめぐる裁判」や「いじめ」というワードで事務所や世間を巻き込み、相手を追い込もうとする意図がうっすら透けて見える。だからユッキーナと小林さんは、真逆のキャラのようでよく似ているように思うのである。
小林さんが気にするべきは「感情」よりも損得「勘定」の細やかさ
小林さんはきっと、自分の繊細さに誇りを持っているだろう。優しくて、感受性が強くて、家族思い。ぶりっこと言われようと、その場を円滑にまわす気遣いをしているだけだと。
けれども周囲の動きに敏感なことと、相手の感情を勝手に想像することは違う。目が合ったことは事実でも、因縁をつけているとは限らない。でも「目を合わせるというのは因縁をつけているに違いない」と、自分の想像で行動するのがチンピラの思考回路だ。小林さんもおそらく、相手の感情を勝手に推し量って動きがちなのではないか。だから疲れるし、期待外れな結果に怒る。妹を亡くした経験も、周囲を気にしすぎるクセに拍車をかけたのかもしれない。もしそうならば、気の毒だとしか言いようがないけれど。
今回の騒動で、小林さんにとって一番大事な真実は「いじめられた、誰も守ってくれない」だ。そしてロケを無断欠席するという行動に出た。でも仕事の場では、繊細すぎて仕事をドタキャンする人より、たとえ意地悪でも仕事をしてくれる人が評価される。TBSを批判したところで、どこの局も彼女を「お騒がせタレント」と扱わざるを得ないだろう。本当に繊細な人なら、自分の行動がどういう結果を及ぼすかはわかったはずだ。それでも「突然降板を言い渡された」と、やはり被害者然としている小林さん。私は何も悪くないのに、嫌な対応をされたからやり返してやっただけ。ずいぶん子どもじみた論理だが、やっぱりユッキーナ的な幼さというか、職業人として正しい損得勘定ができない鈍感さを感じるのである。
繊細になればなるほど、鈍くなっていく小林さんの損得勘定。ちなみにユッキーナは騒動もどこへやら、インスタ発信など実に楽しそうに活動している。小林さんも芸能界を渡っていくならば、気にするべきは「感情」の細やかさでなく、損得「勘定」の細やかさなのだろう。