「日本学術会議の日共支配」は39年も前に指摘されていた 執筆者が改めて語る問題点
桑原武夫も批判
ニュースサイト「TBS NEWS」は11月9日、「JNN世論調査、『学術会議』説明不十分56%」の記事を配信した(註:全角数字を半角に改めるなど、デイリー新潮の表記法に変えた、以下同)。
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日本学術会議の問題に対し、《全国18歳以上の男女》はどんな回答を行ったのか、引用させていただく。
《菅総理が日本学術会議の会員候補となっていた学者6人の任命を見送ったことについて、菅総理の説明が「十分だ」と答えた人は21%にとどまり、「不十分だ」が56%に達しました。一方で、政府が進める学術会議の見直しの議論については、見直しに「賛成」が66%、「反対」は14%でした》
世論は「学術会議の何が問題なのか、よく分からない」と思っているようだ。回答者は菅義偉首相(71)に丁寧な説明を求め、見直しの議論が活発化することを望んだのだろう。
日本学術会議の根本的な問題とは何か──疑問を解く方法の1つに、過去に遡るというアプローチがある。最初に学術会議の問題を指摘した文献を“発掘”し、現状と照らし合わせるのだ。
文藝春秋が発刊していた月刊誌「諸君!」(2009年5月休刊)の1982年1月号に、政治評論家の屋山太郎氏が寄稿した「日本学術会議解体のすすめ」が掲載されている。
サブタイトルは《共産党に占拠された二流学者集団に血税七億円余のムダづかい》というものだ。
このサブタイトルに、屋山氏の主張が凝縮されている。つまり、【1】日本学術会議は共産党に《占拠》されている、【2】学術会議に《血税》が使われている問題──この2点だ。
吉田茂も激怒
まずは屋山氏に、寄稿の反響から振り返ってもらった。
「当時、雑誌を読んだという自民党の国会議員から問い合わせが相次ぎ、色んな場所に呼ばれて説明しました。『日本学術会議の問題を初めて知った』という感想が多かったですね。もちろん今回の議論も注視していますが、学術会議の問題点は当時も現在も変わっていないことを再認識しました」
改めて屋山氏に学術会議の問題について訊くと、最初に「内閣府の特別機関として役割を果たしていない」ことを挙げた。上記【2】の問題だ。
「どんな省庁でも、役所の中で様々な議論が行われることは何も問題がありません。議論の中に政権の方針に異を唱える内容があっても構いません。しかしながら、実際に政策を遂行する際には、内閣の方針に従わなければなりません」
例えば、国会の論戦を経て、内閣が「高速道路を作りなさい」と国交省に指示したとする。それに「建設しません」と反旗を翻したら大問題になることは言うまでもない。
ところが、それを繰り返してきたのが、日本学術会議だという。屋山氏の原稿には、具体的な事例が紹介されている。
その原点がサンフランシスコ講和条約だ。日本は1951年に条約を調印、第2次世界大戦における戦争状態と、連合軍による占領を終結させ、主権を回復した。
ところが、米ソの冷戦は既に45年から始まっていた。日本は条約を結ぶ際、ソ連を代表とする“東側諸国”も含めた全面講和を目指すべきか、アメリカなどの“西側諸国”と単独講和に踏み切るか、世論は2つに割れていた。
日本学術会議は50年、単独講和に反対する決議を採択。屋山氏の寄稿には学術会議が《吉田首相を激怒させた》ことが紹介されている。首相だった吉田茂(1878~1967)は単独講和を決断していたからだ。
《吉田首相が東大総長で学術会議会員だった南原繁氏を名指しで「曲学阿世の徒」とののしったのはこの時だ》
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