研究開発型ベンチャーは日本でなぜ育たないのか――堀 紘一(ドリームインキュベータ創業者)【佐藤優の頂上対決】

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コンサルの役割

佐藤 そして有名な外資系コンサルティング会社ボストンコンサルティンググループ(BCG)の日本支社に入社される。同じコンサルのマッキンゼーの大前研一さんとともに、メディアへの登場も多く、経営コンサルタントという仕事を世の中に認知させました。

 コンサルティングは、机に向かったり、パソコンがないとできないものではない。トイレでも風呂の中でも考えることはできます。だから1日十何時間も働ける。若かったし、仕事は面白いし、経営者の方々から信頼もしていただいたから、ほんとによく働きましたよ。

佐藤 どんな会社を担当されていたのですか。

 私はホンダと電電公社、ソニー、それと銀行が長かった。私の最初の仕事は、HY戦争、オートバイをめぐるホンダとヤマハの戦いですね。1980年代の初頭ですが、国内のオートバイ市場では、1位のホンダをヤマハが猛追して、もうシェアが逆転するかというところまできた。そこで当時のホンダの河島喜好社長からこんな依頼があったんです。「金に糸目はつけないから、まずヤマハを無配、株式配当のできない会社にしろ。ついでに子会社の1社か2社、倒産させてくれ。それから向こう10年間、ヤマハがホンダの尻尾を踏めないようにしてくれ」と。

佐藤 ものすごくはっきりした要求ですね。

 私はオートバイ販売のことはまるで知りませんから、販売店を回って営業や販売方法の違いを調べることから始めて、オートバイ開発や価格設定などにも踏み込み、経営戦略を立てました。その結果、ヤマハは大赤字、ヤマハの上場子会社の遠州製作所も倒産、そしてあれから40年近く経っているけれども、ヤマハはホンダの尻尾を踏めないでいる。

佐藤 オーダーにすべて応えた。

 それでホンダから信頼を得て、次はアメリカでヤマハと同じような戦争をやれ、その次は自動車の販売戦略を作れと。この時はトヨタと日産とマツダの車を買ってきて、全部、分解しました。自動車はだいたい3万点の部品からできていますが、2万くらいまでは分解して比較した。そうしたら、ホンダは1台あたり7万円ほどコストが高いことがわかった。しかも開発段階に問題があることが判明したんです。

佐藤 どういうことですか。

 ホンダは新車を作る際、どういうネジを使うか、どういう歯車を使うか、研究員が一から全部図面を引く。それを下請けに出すと、彼らが金型を作って部品を届けてくる。でも他社は車種が違っても同じ部品を使っているところが多かった。

佐藤 そうすると部品代が安くすむわけですね。

 入って4年ほどは7割がホンダの仕事でした。

佐藤 BCGには何年いらしたのですか。

 19年いて、最後の11年間は社長を務めました。

佐藤 同時にテレビにも出るし、講演も著述活動もされるようになる。

 そんな時に大きな転機がありましてね。講演に来ていた中小企業の経営者から「堀さん、あんたは卑怯だ」と言われたんです。私の人生において「卑怯」とか「アンフェア」というのは絶対に許せない言葉ですから、どういう意味かお聞きしたら、「話には感銘を受けた。そしてあなたは東大出てハーバード大に留学したエリートで、それで大企業にコンサルティングをしている。でもわかっていない。あなたのような人の才能を欲しているのは大企業じゃなくて我々中小企業ですよ」と言われた。

佐藤 そう言いたくなるのもわかります。

 BCGは、当時でも1件相談すると、8千万円から2億円はかかった。

佐藤 そんな大金を払えるのは大企業しかないですね。

 それで中小企業でも将来、上場を目指す会社、つまりはベンチャーを応援する仕組みなら作れないか、と考えた。この時、面白いことを思いついた同僚がいました。中小企業のコンサルティングをしますが、相手はお金が払えないから、ストックオプション(事前の取り決め価格での株式購入権)をもらうことにした。上場までその権利はただの紙切れですが、上場すれば大きな利益になる。それをビジネスにしたのががドリームインキュベータ(DI)です。

佐藤 一種の運命共同体になる。

 ええ。相手が成功してくれないと、こちらは一円にもならない仕組みで、これは特許も取りました。ただ毎月の社員の給料や家賃をどうするかという問題もある。だからベンチャー育成が本業ですが、普通のコンサルティングもやるという2本立てで2000年に創業しました。そして2年後には上場した。

クリエイティビティ

佐藤 実際、ストックオプションを行使されたのは何社くらいですか。

 ストックオプションや株式を入れた会社は120社くらいあります。上場してIPO(新規株式公開)まで行ったのが40社、現在進行中で勝負がついていないのが40社、うまくいかなかったのが40社くらい、という感じですね。

佐藤 どんな分野が多いのですか。

 もう雑多です。ただ飲食や小売など、BtoC(消費者向け)はあまりやっていない。私はもともとBtoB(法人向け)が得意なんです。ただ、研究開発型のベンチャーは全滅しましたね。

佐藤 そこはDIに限らず、成功例がほとんどないでしょう。

 背景には、日本では優秀な技術者が集まらないということがあります。アメリカの場合、そうした会社にベンチャーキャピタルが1千億円単位のものすごいお金を投入する。それであの研究者が欲しいとなったら、年収5千万円なら2億円で引き抜きます。資金は1千億ですから、それでもまだ998億円残る。日本最大のベンチャーキャピタルは野村證券系のジャフコですが、最近でこそ20億円くらいまで投資すると言っていますが、前は1億円以上は入れなかった。そうすると残りのベンチャーキャピタル5社くらいが投資したって3、4億円です。これじゃあ太刀打ちできない。

佐藤 GAFAが生まれてこないのには理由がある。

 だからユニコーン企業(企業評価額が10億ドル以上の非上場ベンチャー)が出てこない。日本の技術者にしてみれば、研究開発環境が劣悪なことと給料が低いことのダブルパンチで、それならソニーや富士通の研究所にいた方がいい。

佐藤 そもそも大企業信仰が強い。

 そこも問題です。いまは少し変わってきましたが、日本の伝統的な価値観では、役所なら財務省の事務次官になる、大企業なら社長、銀行なら頭取になるのが上等な人生だということになっている。でもアメリカは「ログキャビン(丸太小屋)から大統領へ」という言葉があるくらいで、ハーバード大から大統領がアメリカンドリームではない。新しいことに挑戦している中小企業の社長は、大企業から見下されるような存在ではないのです。そのカルチャーの差が非常に大きい。

佐藤 教育の問題もあるでしょうね。

 私は東大、メリーランド州立大、ハーバード大に学び、慶應と早稲田で教えたことがあります。それらの中で一番考える力を養ってくれたのはハーバード大でした。最初の頃、教科書もない中、さまざまな訛りのある英語でみんながどんどん議論していますから、何が何だかわけがわからない。先生のところへ「みんなが好き勝手にいろんなことを言うから何が問題かすらわかりませんでした」と駆け込んだら、「君、ハーバードに来てよかったね。人生というのは何が問題かを発見する旅だ。問題さえわかれば、答えなんか簡単だよ」と握手を求めてきた。

佐藤 問題の設定が重要だと。

 最初はおちょくられているような気がしましたが、いまになって考えると、すごいことを教えてくれたなと思いますね。日本では何が問題かを突き詰めない。問題があらかじめ設定されていて、答えを書けばいい。これは大学受験そのものです。

佐藤 要するに教科書に書いてあることを復元すればいい。状況によっては、復元さえすれば理解できていなくてもいい。

 こうした考える力とともにベンチャーに必要なのは、クリエイティビティです。これはオリジナリティとも大きく重なりますが、私が作曲家の三枝成彰さんと日本画家の千住博さん、AKB48を作った秋元康さん、演歌の神野美伽さんなど、オリジナリティ溢れる人たちと付き合ってきてわかったのは、「観察力」が違うということなんですよ。

佐藤 観察力ですか。

 モノを見る時にただ漠然と見ているのではなく、ちょっとの違いに気がつき、そこでイマジネーションを膨らませて、その背景や理由を自分なりに考える。それがクリエイティビティにつながっているんです。だからクリエイティビティには、観察力とイマジネーションが必要です。これを具体的にどう教え、実践していくのかは難しい問題ですが、日本のこれからを考えると、ここをおさえておくことが非常に大切だと思いますよ。

堀 紘一(ほりこういち) ドリームインキュベータ創業者
1945年兵庫県生まれ。東京大学法学部卒。69年読売新聞社に入社し73年三菱商事へ。ハーバード・ビジネス・スクールに留学し80年MBA with High Distinctionを日本人として初めて取得。81年ボストンコンサルティンググループ日本法人に転じ89年より社長。2000年同社を退職し、ドリームインキュベータ設立。02年東証マザーズ、05年東証1部に上場。20年6月、経営から退く。

週刊新潮 2020年11月12日号掲載

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