新人王当確の広島「森下暢仁投手」 内野手としてプロが狙っていた過去をご存じか
今年のプロ野球セ・リーグの新人王は、広島東洋カープの投手・森下暢仁でほぼ決まりだろう。ルーキーイヤーながら18試合に登板して、122回2/3を投げて10勝3敗、124奪三振、防御率1・91という好成績をマーク。特に防御率は、中日ドラゴンズの大野雄大に次ぐリーク2位と大健闘している。
また、エース・大瀬良大地が右ヒジの故障のため、手術を受け、今季中の復帰が絶望となるなか、森下は1年間最後までローテーションを守り、途中からは完全に軸となっていた点も見逃せないだろう。だが、そんな森下をかつて“内野手”として獲得しようと検討した球団があることをご存じだろうか。もちろん、大学時代の話ではない。高校時代の話である。森下の出身高校は地元・大分県でその当時まで春夏合わせて計19回もの甲子園出場を誇っていた古豪・大分商である。
野球を始めたのは小3の時で、小5の頃からは投手も務めるようになった。中学でもピッチャー兼ショートとしてプレーし、中3の夏には九州大会で優勝して全国大会に出場したが、ヒジに不安を抱えるようになってしまった。そのため、大分商では投手兼野手として入部することに。すると、いきなり控えメンバーとしてベンチ入りを果たしてしまうのである。しかも同校は2年生ながらエースの笠谷俊介(福岡ソフトバンク)の活躍もあり、この年の夏の県予選で16年ぶりの優勝を飾り、甲子園出場も果たすことに。ところが本番の甲子園ではチームは修徳(東東京)の前に2-8で初戦敗退を喫してしまう。森下は背番号11を背負ってベンチ入りしていたが、出番はなく試合は終わった。
1年秋に結成された新チームでも主戦投手の座には笠谷が着き、森下は2番手投手だった。同時にサードやショートもこなし、2年夏の県予選ではついに2番・サードでスタメン出場を勝ち取った。野手としてのフィールディングもさることながら、この大会での森下のバットは好調の一文字であった。
まず、初戦となる2回戦の別府鶴見丘戦では4打数2安打1打点をマークし、チームの12-0での6回コールド勝ちに大きく貢献している。続く3回戦の大分南戦でも森下のバットが火を吹いた。5打数3安打1打点と大暴れし、チームも5-1で快勝を収めた。しかし、準々決勝では大分上野丘相手に0-5の完封負けを喫してしまった。打線全体で5安打に抑えられるなか、森下は4打数でそのうちの1安打を放っている。野手としてレギュラーを掴んだ2年夏は、予選3試合で13打数6安打2打点をマークした。しかも打率は驚異の4割6分2厘を記録するほどであった。こうしてまずは打者としての才能を発揮したのであった。その後、秋になって結成された新チームでは、ついにエースの座を掴み、打っても3番を任された。だが、直後の秋の県大会は準決勝で明豊の前に0-8の大敗を喫し、翌年の春の選抜は絶望的となってしまった。
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