初のリリーフ専門ピッチャー「宮田征典」誕生秘話 武器は独特なカーブとテンポ(小林信也)
へその下の眼
宮田といえば長い間合いでも有名だった。城之内邦雄、高橋明、中村稔ら先発陣のテンポが速いだけに、宮田のリズムは相手打者のタイミングを狂わせた。それにはひとつ事情があった。
「心臓病の持病があったんだ。ユニフォームにいつもニトログリセリンを入れておいた。マウンドでも6回くらいあったな、発作が出そうになったことが。ジッと我慢してニトロは飲まなかったけど」
長い間合いで打者をじらした上に、狙ったコースにズバリと投げ込む抜群の制球が宮田の生命線だった。
「僕はへその下の眼で捕手のミットを見る訓練をした。一球一球全部そうやっていると、不思議に自分の指先とミットの間にラインが引けるようになる。ラインにボールを乗せるだけ。指先とミットがくっついているから、絶対に外れない。でも打たれると、“イタッ!”って感じで指先が痛い。もちろん錯覚だけど、事実痛く感じるんだ」
「8時半の男」は、宮田の生涯の形容詞となった。しかし、宮田がその時刻にマウンドに上がり獅子奮迅の活躍を見せたのはその1年限りだ。以後は肝臓を患うなどして登板が減った。
大活躍した65年、宮田は20勝5敗。救援で19勝を稼いだ。非公式だが、セーブが22、セーブポイントは41。これは後にリリーフエースとして活躍した鈴木孝政や江夏豊の数字を遥かにしのぐ。88年に郭源治が44を記録するまで、長く“幻の日本記録”だった。
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