初のリリーフ専門ピッチャー「宮田征典」誕生秘話 武器は独特なカーブとテンポ(小林信也)
セーブポイントの概念がまだ日本になかった1965(昭和40)年。“救援専門”の投手が現れ、球界の常識を変えた。彼がマウンドに上がるのは決まって時計の針が8時半を指すころ。それでいつしか彼、宮田征典は「8時半の男」と呼ばれるようになった。
「投手はお山の大将で“色気”も多い。やっぱり先発完投したい、ノーヒットノーランもやりたいんだ。リリーフじゃ、完全試合はできないからね」
いまでこそクローザーは花形だが、昔の救援投手は地位も評価も低かった。...