米大統領選「敗北宣言」の深く重い意味
選挙から4日経った11月7日の夜、まるで占領軍から解放されたかのような雰囲気のニューヨークで、カマラ・ハリスの素晴らしい勝利演説を聞きながら、私は4年前のヒラリー・クリントンのスピーチを思い出していた。
「ガラスの天井」を破ったハリスのスピーチを貫いていたメッセージは、彼女に道を開いてくれた数多くの先人たちへの感謝と、次世代への激励だった。彼女は、
「私は女性初の副大統領になるかもしれませんが、最後ではありません」
と言った後、
「なぜなら、今夜これを見ているすべての女の子たちは、この国が可能性に満ちた国だということを見ているからです。性別にかかわらず、この国の子供達に伝えたいことがあります。アメリカは、この選挙によって、あなたがたに対して明確なメッセージを送ったのです。大胆なほどに大きな志と夢をもち、強い決意をもって進んでください。そしてまず、あなたたち自身が自分を信じて欲しい。他の人たちが信じてくれなかったとしても。彼らは、ただ、あなたのような人をこれまで見たことがないだけなのです。私たちは、あなたの一歩一歩を応援します」
と語りかけ、喝采を受けた。
この言葉でグッときた移民や女性や女の子は多かったと思う。そして、勝利宣言と敗北宣言の違いこそあれ、私には、彼女の言葉はヒラリーの「ガラスの天井」スピーチの続きであるかのように聞こえた。
ヒラリーの「ガラスの天井」
2016年の選挙翌日(11月9日)のことは今でもよく覚えている。前夜に起きたことがまだ信じられず、夢だと思いたかった。スマホの画面を見る気もしなかった。
思い出していたのは、2001年のテロの翌朝の、目の前が真っ暗な気分だ。地下鉄の車内もいつになくシーンとしており、誰もが寝不足の顔で俯いていた。涙ぐんでいる女性を、隣に座った男性が慰めているのも目にした。
オフィスでも、一日中、みんなが一気に鬱にでもなったのかという、まるでお通夜の雰囲気だった。ヒラリーの敗北宣言スピーチが始まった瞬間、オフィス中のテレビがその生中継になった。その12分あまりのスピーチの間、私を含め、多くは立ち上がって、黙って、固まったまま画面を見ていた。あの時、自分がどこに立っていたかすらも覚えている。
ヒラリーは、民主党の青と共和党の赤の協調を象徴する紫色の襟のジャケットを着て登場した。シャキッとした姿で、思ったよりも元気そうだ。昨日味わったであろうショックも伺わせない、堂々とした清々しい表情を見て、「何て気丈な人なのだろう」と今更ながら思ったのを覚えている。やはり紫のネクタイをして彼女の後ろに立っているビル・クリントンの方がよっぽど憔悴しているように見えた。
「昨夜、私はドナルド・トランプ氏に祝福の言葉を伝え、この国の将来のために協力したいと申し出ました。彼がすべてのアメリカ人にとって素晴らしい大統領になってくれることを願っています」
「この結果は、私たちが望んだものでもなければ、必死に闘い勝ち取ろうとしてきたものでもありません。私たちが共有する価値観やこの国へのヴィジョンをもってしても、この選挙に勝てなかった、それは残念です。でも、私は、我々が一緒に作り上げてきたこの素晴らしいキャンペーンに対し、誇りと感謝しかありません」
「この選挙戦を通じ、私たちは、アメリカが、これまで私たちが考えていた以上に深く分断されていることを知りました。それでも、私はこの国を信じていますし、これからも信じ続けます。みなさんも同じように信じてくれるなら、この結果を受け入れなくてはなりません。そして、未来に目を向けましょう。ドナルド・トランプは、私たちの大統領になるのです。私たちは、公平な心をもって、彼にこの国を牽引するチャンスを与える義務があります」
この日、ヒラリーの言葉や態度は、皮肉なことにこれまでで一番「Presidential(大統領らしい)」に見えた。聞く者の心を揺さぶり、鼓舞するメッセージ性も強かった。あのスピーチを聞いて、彼女を見直し、「やはりこの人に一度は大統領をやってみて欲しかった」と思った人は多かったのではないだろうか。
特に後半の、若者や女の子たちに向けてのメッセージは、今ビデオを見ても感銘を受ける。この結果に失望し、落胆してはいけない。けっして諦めず、希望と夢を持ち続けて欲しい。自分自身を、そしてアメリカを信じ続けて欲しい……というポジティブなメッセージは、多くの人の心に響くものだったと思う。
「特に若い人たちに、聞いて欲しいことがあります。私は大人になってからの人生のすべてをかけて、自分が信じることのために闘ってきました。成功もあり、挫折もありました。いくつかの挫折は本当に辛いものでした。皆さんの多くが、政治や公共政策のプロとしてのスタート地点にいますね。あなた方も私と同じように、この先の人生、成功や挫折を経験するでしょう。今回の敗北は辛いものです。でも、お願いですから『正しいことのために闘うのは、価値あることだ』と信じることを絶対に止めないでください」
「私たちは未だに、あの高い『ガラスの天井』を打ち砕くことができずにいます。でも、きっといつか、誰かが、破ってくれます。私たちが今思っているよりも早く」
「今この演説を聞いている女の子たちにも伝えたいことがあります。あなた方には価値がある。パワーもある。あなたたちは、自分の夢を追うため、この世界においてあらゆるチャンスを与えられるべき存在なのです。そのことを決して疑わないでください」
「Be humble in victory and gracious in defeat.」(勝利においては謙虚に、敗北においては潔くあれ)
という言葉がある。そして、人間の本性がより強く表れるのは、負けた時だ。
ヒラリーの敗北宣言は、彼女という人の信念の強さ、潔さを強く印象付け、彼女を好きでなかった人たちにすら敬意を感じさせるものだった。おそらく、彼女の長いキャリアの中で最も素晴らしい演説として、また彼女のレガシーとして人々の記憶と歴史に残ることになるだろう。
国を分裂させないために
大統領候補者の敗北宣言演説は、法律で必ずやらなくてはならないと定められているものではない。逆に、敗北宣言をしなかったからと言って、選挙結果を覆すことにはならないし、現職大統領がいつまでもホワイトハウスに居座れるわけでもない。
ただ、現代のアメリカにおいては、何らかの形で敗者が敗北を認め、勝者への祝福を述べることがよき伝統になっている。
歴史上、最初の「敗北宣言」は、1896年の大統領選挙の後、民主党側の大統領候補だったウィリアム・ジェニングス・ブライアンが、共和党の候補者ウィリアム・マッキンリーに送った電報であるというのが通説だ。その電報には、祝福の言葉とともに、
「我々は次の大統領が誰になるべきかという問題をアメリカ国民に委ねた。そして、彼らの意思こそが法である(We have submitted the issue to the American people and their will is law.)」
と書かれていた。
ジョー・バイデン当確が出た後もトランプが一向に敗北宣言をしないことが話題になり始めた頃、私は、上記のヒラリーのスピーチをはじめ、歴代大統領選候補者の敗北宣言のビデオを比較しながら見ていた。1980年のジミー・カーター、1984年のウォルター・モンデール、1988年のマイケル・デュカキス、1992年のジョージ・ブッシュ父、2000年のアル・ゴア、2004年のジョン・ケリー、2008年のジョン・マケイン、2012年のミット・ロムニー、2016年のヒラリー。
それぞれのスタイルの違いこそあれ、これらのスピーチに共通しているのは、「この国への愛」「希望」「結束」といった言葉だ。
何より、最も重要なポイントとして、
「民主主義の真髄は、平和的で円滑な権力移行にある」
ということが語られる。民主主義においては、少数となった者は選挙の結果を受け入れなくてはならない。上記の敗北演説では、ほとんどの候補者たちが、
「私たちは、アメリカの民主主義のシステムをリスペクトし、国民の選択を受け入れなくてはならない。私とともにこの結果を受け入れて欲しい。これからみんなで次期大統領を支えていこう」
という前向きなメッセージを織り込んでいる。
2000年の「ゴア対ブッシュ(子)」の際には、ゴアは、ブッシュに敗北宣言の電話をかけ、フロリダの再集計が必要になると、それを撤回した。その後、連邦最高裁判所の判決を受け、2度目の敗北宣言をした。選挙から5週間後という異例のタイミングだった。最高裁判決後、ゴアは、やろうと思えば選挙結果をめぐる論争をもっと長引かせることもできただろうが、これ以上揉めることは国にとってダメージが大きすぎるという判断で、敗北宣言をしたと述べていた。
ゴアはこの時、スティーブン・ダグラスが1860年の選挙でエイブラハム・リンカーンに敗けた時に贈った言葉を引用している。それは、
「党派への思いは、愛国心に道を譲らなくてはならない。大統領、私はあなたとともにあります。神のご加護を(Partisan feeling must yield to patriotism. I'm with you Mr. President, and God bless you.)」
というものだ。
つまり、敗北宣言には、単に「紳士的なことだから」という以上の意味がある。
選挙後は、勝者側も敗者側も一種のヒステリー状態にある。負けた候補者が何を言うかは、勝利宣言以上に重要だ。失望し怒る支持者たちを宥め、これまでの応援への感謝を伝え、納得させ、希望をもたせ、勝者にlegitimacy(正当性)を与え、国を分裂させないために。
ブーイングから拍手喝采に
このところネット上で拡散され、当時のスピーチライターまで引っ張り出されて話題になっているのが、2008年の故マケインの敗北宣言だ。勝者となったバラク・オバマを称賛し、支持者に理解を求め、強い愛国心を語る言葉は、格調高く、感動的だ。
冒頭、マケインが、
「私はオバマ上院議員にさっき電話をしました。私たち2人が愛するこの国の次期大統領になる彼に祝福を述べるためです」
と語り出すと、聴衆はブーイングをする。マケインは、それを手で制しながら、オバマの素晴らしさ、彼に対する国民の熱烈な支持、黒人が大統領になるということの歴史的意義について雄弁に語る。ブーイングしていた聴衆がマケインの言葉に徐々に動かされ、最後には拍手喝采するようになるその変化が素晴らしいし、これがリーダーシップというものだと思わされる。
「今回の選挙戦は、長く困難な戦いでした。その中で彼が見せた能力、忍耐力に支えられた成功には敬意を払わざるを得ません。しかし、何より賞賛すべきなのは、彼が何百万人ものアメリカ人、特に、『大統領選挙なんて自分とは関係ない』と思い込んでいた人々をインスパイアし、彼らに希望を与えることによって、この度の勝利を成し遂げたことです」
「これは歴史的な選挙です。この選挙がアフリカ系アメリカ人にとってどれほど特別な意味を持つか、彼らが今夜どんなに強く誇りを感じているかは私にもわかります。オバマ上院議員は、彼自身にとっても、この国にとっても素晴らしいことを達成したのです。私はそれに対して喝采を送ります」
「100年前、セオドア・ルーズベルト大統領がブッカー・T・ワシントンをホワイトハウスでの食事に招いたことに対し、多くから怒りの声が上がりました。今日のアメリカは、その当時の残酷で高慢な偏見とはかけ離れた世界になりました。アフリカ系アメリカ人が大統領に選出されたという事実ほど、その証拠として相応しいものはないでしょう」
「オバマ上院議員と私は意見の相違点を抱え、議論してきました。そして彼が勝ったのです。もちろん多くの相違は残っています。ただ、今、私たちの国は難しい時期にあります。私は、今夜、彼がこの国を率いていくにあたり、私の力でできるすべてをもって彼に協力することを誓います」
「私を支持してくれたすべてのアメリカ人にお願いしたい。オバマ上院議員を祝福することはもちろんのこと、次期大統領である彼に善意と真摯な努力を提供し、必要な妥協点を見つけ、相違点に折り合いをつけるよう努めること。我々の繁栄を取り戻し、危険な世界の中でこの国の国土の安全を守り、子孫に、私たちが受け継いだよりもさらに強く、より良い国を残すために」
「我々の違いが何であれ、我々は同胞のアメリカ人です。私にとってこれ以上の意味を持つつながりはないのです」
「今夜、失望を感じるのは当然のことです。でも、明日はそれを乗り越え、国を再び動かすために協力しなければなりません。私たちは戦いました。すべての力をふりしぼって」
「我々は敗けましたが、その失敗は私の責任であり、あなたがたのせいではありません」
「アメリカ人は決して諦めません。私たちは決して降伏しない。私たちは決して歴史から隠れたりしない。私たちは歴史を作るのです」
マケインは生前、党派を超え、長年にわたってバイデンとの友情を築いてきたことでも知られる。2人は上院ではしょっちゅう議論を戦わせながらも、互いへの深い尊敬と信頼を育み続けた。
また、2008年の大統領選キャンペーン中に、
「オバマはアラブ人だから信用できない」
と主張する自分の支持者に対し、マケインが反論し、
「いいえ違います。彼は立派な人物です。たまたま私とは政策についての意見が合わないだけですよ」
と諭している映像も広く知られている。そういう、「正しいことは正しい」「正々堂々と戦う」というマケインの哲学が、この演説に象徴されていると思う。
前任者から次期大統領への手紙
1992年大統領選挙では、当初、民主党に有力候補者は不在だったが、急速に支持を集めたビル・クリントンがブッシュの再選を阻んだ。敗北宣言のビデオに映るブッシュは、悲しそうな表情ではあるが、
「民意は示された。我々は民主主義の制度を尊重する」
「総力をあげてクリントン氏のチームと緊密に連携し、円滑な権力の移行を約束する」
と明確に述べた。前記のマケインのスピーチ同様、最初はブーイングをする聴衆たちも、最後には喝采を送っている。
ブッシュ父で思い出すのは、彼が1993年1月、次期大統領としてホワイトハウスにやって来るクリントンのために執務室の机の上に残した手紙の話だ。この、前任者が次期大統領に手紙を残すという伝統は、レーガンが1989年に始め、ブッシュがそれを引き継ぎ、現在まで続いている。ブッシュ父の手紙は、その中でも特に伝説になっている。
2人はそのわずか2カ月前に選挙で争い、ブッシュはクリントンのおかげで1期で大統領職を退くことになったわけだが、その手書きのシンプルな手紙には、自分の後を継ぐかつてのライバルに対する敬意とあたたかい気持ちが表れている。
〈親愛なるビルへ
たった今このオフィスに入ってきた時、4年前ここに足を踏み入れた時に感じたのと同じ驚嘆の思いと、このオフィスに対する畏敬の念を感じた。君も同じことを感じるだろう。
君がこのオフィスで素晴らしい幸福を得られることを願う。何人かの大統領たちは孤独について語っているが、私はここで孤独を感じたことは決してなかった。
非常に難しい時もあるだろう。そしてそれは、周囲の批判によってより一層難しいものに感じられるだろうし、君はそれらの批判を不公平だと感じるかもしれない。私はいいアドバイスができる立場にはないが、これだけは言っておこう。君を批判する人たちがいても、それによって意気消沈したり、自分の道から外れてはいけない。
この手紙を読む時、君は「我々の」大統領だ。君の幸せを祈る。君のご家族の幸せも。
これからは、君の成功が我が国の成功だ。私は君のことを一生懸命応援しているよ。
幸運を祈って、ジョージ〉
クリントンとブッシュは、政治的には意見の異なることが数多くあったにもかかわらず、大統領引退後も長年にわたって親しく付き合い、尊敬と友情によって深く結ばれていた。それを可能にしたのは、この2人の器の大きさ、謙虚さ、人間としての賢さだろう。
2018年にブッシュ父が亡くなった時、翌日の『ワシントン・ポスト』にクリントンが彼の死を悼む文章を寄稿し、それも大変話題になった。
〈今日のアメリカおよび世界の政治の状態を見渡して、こう言うことは容易い。つまり、「ジョージ・H・W・ブッシュは昔の時代の人だった。彼の時代――自分の意見に反対する人がすなわち『敵』なのではなく、違うアイデアに対しても広い心で接し、場合によっては相手に説得されて考えを変えることもありうる時代、事実こそが重要であり、次世代の未来のために妥協するべき時は正直に妥協し、ともに前進して行くような時代――はもう決して戻ってこないのだ」と。でも、私には、それに対して彼なら何と言うかわかる。「バカバカしい。アメリカを取り戻すことは君らの義務だよ」と〉
この文の中でクリントンが指摘している通り、
「意見が合わない相手がすなわち敵なのではない」
「意見が合わない相手でも、敬意を持って接し、耳を傾け、正直に意見を戦わせることが民主主義の根幹だ」
という姿勢は、現在の世界に最も欠けているものだろう。
共有していた「理想への忠誠心」
奇しくも、それは、マケインの葬儀でオバマが述べたことでもあった。
「ジョンと私は、一度たりとも相手の真摯さや愛国心を疑うことはなかった。様々なことで意見を異にし、もめたとしても、究極的には自分たちは同じチームで戦っているのだと知っていた。どんなに違いがあろうとも、我々は、同じ理想への忠誠心を共有していた。我々の先人であるアメリカ人たちがそのためにマーチし、戦い、犠牲を払い、生命まで差し出してきたその理想への忠誠心を」
政治的信条がどんなに異なろうとも、愛国心を共有し、相手の素晴らしさを認め、功績を褒め称えることは可能なはずなのだ。
そして、それこそが、特に今のような分断の時代、成熟した政治家、優れたリーダーが身を以て示すべきことではないだろうか。