7回忌を迎えた「高倉健」 甥が初めて明かす「親しかった著名人」「やりたかった映画」

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亡くなったのに何の連絡もなかった6年前の11月

 2014年11月10日に亡くなった映画俳優の高倉健(享年83)。7回忌を迎えるにあたり、甥でデザイナーを務める森健氏が往時を振り返った。

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「叔父は筑豊地方にある福岡県中間市の出身だから、川筋ものの血が流れているんです。本名は小田剛一と書いて、もともとは『ごういち』ではなく『たけいち』というんです」

 と話すのは、森健氏(54)。健さんの妹・敏子さんの息子、つまり甥に当たる人物で、職業はデザイナーだ。

「だから古い親戚には『たけちゃん』と呼ばれていました。高校に入るときに、自分で『ごういち』と名乗るようになった。東筑高校に在学中、英語教師の安永先生が、音読みの方が通りが良いからゴウイチにしろ、と。皆んなもそう呼べと指示して決まったそうです。なんとも大らかと言うか昭和と言うか」

「高校を過ぎてから知り合った人はそう呼ぶことになるわけで、いつからの知り合いなのか、呼び方でわかるわけですね。リトマス試験紙のようなものですよ。“おれは親戚だ”というような人で、『ごうちゃん』という人がいたら、それは嘘だなとわかります」

「叔父のきょうだいは、長男・昭二、次男・剛一、長女・黎子、次女・敏子で男、女、男、女の順番。次男(高倉健)・次女(敏子)は身体が弱くて、事実、叔父は小学生のころ、1年間家で療養を余儀なくされています。それでもこの2人が長生きしている。人生わからないものですね」

「長男・長女は亡くなっています。裕福な家の子であることは間違いなくて、“革靴で革ランドセルはとても恥ずかしかった”と叔父も母も語っていたことがあります。みんな裸足だったんですよ」

「叔父は常に常識を重んじる人で、とてもうるさい人でした」

「2014年11月10日に叔父は亡くなったわけですが、事務所も含めてこちらに何の連絡もありませんでした。翌11日になってある確かな筋から情報を頂いて、母に電話したんです。“最近どれくらい前に話したか”と。“1カ月くらい前かな”という答えで、事務所に確認したところ、“亡くなっている”と言われ、呆然としました。12日のことですね」

「いわゆる通常の“亡くなった”という報告ではなかったので、今もまだピンと来ていないんですよ。もともと、年に1、2度は突然フラッと現れたりするタイプだったから、そんな風にやってくる感じもするんですよね、“いま近くにいるんだよ”って」

 そのすぐ後に、健さんと養子縁組をした養女の存在が明らかとなる。元女優で、健さんと知り合って20年弱が経過し、最近は健さんの身の回りの世話をしてきた女性だ。

「そういう方がいらっしゃって、養女となっているということについては驚きました。ただ、男と女の個人的な関係ですからね。しかし、叔父は常に常識を重んじる人で、とてもうるさい人でした。だから、お葬式などの仏事をどうするのか? というのはとても気になりました」

 11月14日、親族は養女のみという異例の密葬が営まれる。

「常識を大事にした叔父はそういう形のことを望んではいなかったと思います。葬式は最後の別れなんだから、取るものもとらず駆けつけるものなんだってことは口酸っぱく言っていたんです」

 しかし、その常識を最もよく知るはずの養女は血縁者に対し、弁護士を通じてこのようなメッセージを伝達している。

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