「相棒」を蹴って石垣島へ、最後に水谷豊さんに送った手紙…高樹沙耶が語る芸能生活30年

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「相棒」を辞めるときに、水谷豊に送った手紙

 だが、ハワイ生活は4年で幕を閉じる。菅原氏との破局がきっかけで再び日本へ。

「また、ちゃっかりオスカーに出戻りしてね。ただ、そこから始まった40代は、エコロジー生活を本格的に実践していこうと千葉県南房総市に居を構えて、仕事と並行して農業を始めたんです。そして7年くらい、東京と千葉を行ったり来たりの生活を始めました。この頃から、もう芸能界で働き続けることには限界を感じはじめていましたね。07年には、フジテレビの朝の情報番組『ハピふる!』のメインMCもやらせていただいたんですが、方針を巡ってスタッフと衝突してしまって……」

 当初、番組からはエコや環境をメインにやりたいという趣旨の説明があったので、出演を快諾したというのだが、

「結局、テレビでそれは無理だったんです。そもそもテレビって、買って食べてって消費を煽るメディアでしょう。そのうち私は我慢ならなくなって、『CMが絡むときには私を映さないで』ってワガママを言い出すようになり、番組側は大わらわ。間に立った事務所も大変な思いをしたと思います」

 結局、番組は1年で打ち切り。それから2年半後、啓示のように、高樹を覚醒させる出来事が起きた。東日本大震災である。

「震災で反原発活動に目覚めたんです。『私が言ってきた通りになったじゃん』って燃え上がっちゃった。そして、もうこんなところにいたくないって、最後は『相棒』まで蹴って石垣への移住を決めました。それが芸能界との別れでした。

 水谷豊さんには、最後に“ごめんなさい”って手紙を書いたんですが、結局お返事はもらえませんでしたね。それが水谷さんのお返事だったんだと思います。すべてを急に投げ出しちゃった勝手な女。でも、あのときの私は、怒りで震え上がっていましたから。『東電ファッキュー、政府ファッキュー』って。ふざけんなって。みんな、よくこんなときにドラマだとか呑気にやっていられるねって」

 高樹は当時を、幼かったと素直に振り返る。

「千葉にいた時代から、大麻合法化運動にも関わりはじめていましたから、あのときは大麻問題も含めて、もう国が信じられないってパニックみたいになっていたんです。お世話になった業界なんですから、いま思えばもう少し時間をかけて、仁義を通すやり方があったと反省しています。逮捕後、テレビで中尾彬さんに『芸能界には挨拶ができない女が3人いる。その1人がこの女だ』って言われちゃいましたが、確かにそうでした」

テレビもない石垣の暮らし。10年間離れた芸能界への思い

 その後は芸能界を離れ、石垣島で暮らしている。12年に石垣島に民宿「虹の豆」をオープン。16年には政治家を志し、「医療大麻解禁」を公約に掲げ参院選に出馬したものの落選。また島に戻った。だが、半年後に大麻取締法違反で逮捕され、翌17年4月に懲役1年・執行猶予3年の判決を受ける。今年5月に執行猶予期間が明けたばかりの身だ。

「いまは民宿を経営しながら、フルーツや野菜を育てるなど持続可能な暮らしを続けています。水も湧き水を使い、クーラーも使わない。自由ですよ。朝起きてから、さあ何をしようという感じ。気が向いたら海に入ったり、街に友人に会いに行ったり。これから本を書いてみようかなって思っているところです」

 芸能界を離れて10年。かつて身を置いた世界をどう見ているのか。

「実は家にはテレビがないんで、まったく観ていないの。ただ、朝から晩までずっとワイドショーみたいないまのテレビには、陰りを感じますね。芸能事務所もしかりで、騒動ばかりで変革期を迎えています。『おニャン子クラブ』とか『モーニング娘。』とかが出てきたときから、チープになったなぁって感じていました。単体では売れないから、セットでの売り出し方が流行り出したでしょ。売れる・売れないは、芸能事務所とテレビ局というムラのなかで、上の人たちが決める。

 その上の人たちも、ジャニー喜多川さんは亡くなっちゃったし、オスカーの古賀さんやケイダッシュの川村(龍夫・会長)さんのように、みんな高齢化している。そんななか、利権をどう保持するかみたいな、つまらない方向に行っちゃった部分もあると思うんです」

 自身が芸能界で活躍していた初期の頃は、違ったという。

「強烈なキャラクターを持った役者さんたちがまだ残っていて、すごい力で牽引していた。たとえば、ショーケンさん(萩原健一)とも共演したんですけど、こだわりがすごいなんてものじゃなかった。カメラマンさんや音声さん、私たち演者だろうが誰彼構わず、すぐに『チッ。違うんだよ!』って。毎日、ショーケンさんが現場に入るとピリピリです。あのときは、ぶっちゃけムカつきましたが、ああいうすごい先輩たちがいなくなって、芸能界全体の勢いが衰えてしまった、というのもある気がするんです」

 では、自分をそのなかでどう評価するか、と聞くと、

「中途半端でしたね。舞台も1回だけやったことがあるんですが、毎日同じ芝居やって毎日泣くなんて私には無理だって思った。あのとき、とことん女優魂がない人間だって気づいた。ただ、好き勝手、出たり入ったりしながらも、私を受け入れ、育ててくれた芸能界には本当に感謝しています。未練もちょっとありますね。映画でもドラマでも、なんでもいいんですが、私が実践してきた信条に合うようなお話がもしあれば、戻ってチャレンジしたいとは思っています」

週刊新潮WEB取材班

2020年11月9日掲載

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