「石破茂」突如辞任の裏側 来年の総裁選がラストチャンスか

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何ものにもとらわれない、自由自在な境地――。

 2015年に「水月会」を旗揚げした際、名前の由来をそう語った石破茂元幹事長(63)。10月22日には、その会長職を辞すると表明したが、皮肉にも氏が求めたのは“自由”だった。

 9月に行われた自民党総裁選で石破氏が得たのは、国会議員票26票に、地方票42票。最下位に甘んじた。

 10月25日には、地元・鳥取で記者会見を開き、〈(派閥所属議員の)みんながつらい思いをしてきたことに対して、言葉だけでは足りない〉と言及。“子分たちへの思い”を口にしたが、

「辞めざるを得なくなった、というのが本当のところではないでしょうか。総裁選での惨敗後、石破さんは派閥のメンバーとサシでの面会を重ねた。そこでかけられた言葉は“見通しが甘かった”“そもそも立候補すべきではなかった”という厳しいものも多かったと聞きますから」(政治部記者)

“また俺たちは反主流派として冷や飯を食わされるのか”。そんな派内の冷たい空気感を知るに及び、身を退かざるを得なくなったという見立てである。

 しかし、水月会の関係者は別の見解を披露する。

「石破氏は確かに、総裁選での惨敗に落胆してはいましたが、派閥の議員からの苦言はある程度、想定されたこと。むしろ氏は、昨年から、総裁選に照準を定めて、苦手だった飲み会にも頻繁に参加し、二階俊博幹事長とも面会するなど、変化をアピールしてきた。それでも力が及ばなかったことへの徒労感なんです」

 さらに、石破氏を悩ませてきたのは“派閥の長”という立場そのものだった。

「高知2区で派閥の山本有二衆院議員が選挙区で公認を得られるか危うく、徳島1区では後藤田正純、福山守というともに石破派所属の衆院議員が選挙区争いを始めてしまった。石破氏は“派閥の領袖として調整力が足りない”などと批判されましたが、そもそも氏がやりたかったのは“政策集団”で、“派閥”などではない。そこで一議員に戻って“政策の石破”として出直し、与野党の垣根を越えて人脈を培いたいとの思いが出てきたのです」(同)

 気になるのは、今後の総裁選への出方。

「菅義偉総理は次の任期も続投を目指すでしょう。その次となると、麻生太郎財務相率いる志公会が河野太郎行革相を押し立ててくるのは明白。だから、チャンスがあるとすれば、実質、来年の総裁選しかない。そこで敗北すれば、党を割るなんていう“まさかの選択”も、現実味を帯びてくるかもしれません」(同)

“自由”は見つかるか。

週刊新潮 2020年11月5日号掲載

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