消えかけた「大阪市」を守った「自民のマドンナ」 投票用紙の文言が勝敗の分かれ目
勝敗の分け目は「投票用紙の文言」
こうした困難な状況で奮闘した北野妙子氏の父禎三氏(故人)は自民党市議を8期務めた政治家だったため、政治家の何たるかは知る。なんと「私、森友学園幼稚園の出身なんですよ。籠池泰典さんの先代の園長の頃でそろばん教育に熱心ないい幼稚園でした」。政敵だった橋下徹氏は大阪府一の名門、北野高校での後輩にあたる。「橋下さんと以前、同窓会で記念写真を撮ったんだけど、これだけは表に出せないんです」と笑った。
北野氏は大阪大学人間科学部を卒業後、商社マンの夫の仕事で中国に長く駐在員家族として子育てをし、そこで日本商工クラブの活動。帰国後、市議に転じた。市議会本会議の代表質問では「今、二重行政は何があるんですか?」と松井市長を問い詰め、松井氏から「今はありません」の言葉を引き出した。
NHKや関西の民放局のテレビ討論会にも連日出演した。賛成が松井氏と公明党の土岐恭生市議団幹事長ら。反対が北野妙子氏と共産党の山中智子市議団幹事長だ。二人の鋭い追及に松井氏は話を逸らしたり「デマや」としか言えないようなことが多かった。筆者が見る限り、視聴者へのアピールは勝っていただろう。
この頃から、それまで「賛成派がリード」と伝えられていた各メディアの世論調査も「反対派の追い上げ」「拮抗」などに変じてゆく。とはいえ「呉越同舟」に見られるマイナス面も大きい。前回、共産党と自民党はともに維新と戦ったが、自民党内から「共産党と一緒になるとはどういうことや」の反発が出て、維新に票を投じてしまうような支持者も出ている。
そんな中での僅差の決着について北野氏は投票用紙に議会議決通り正確に「大阪市の廃止」と明記されていたことを要因に挙げる。前回は記載されていなかった。「大阪都構想」というのは維新の言葉であり、実際は「大阪市廃止と特別区設置に関する投票」なのである。「大阪市が残るとか、大阪都になると勘違いしている人が多かったんですね」と語る。
維新旋風、 内部分裂、呉越同舟批判、ねじれ構造…。「大阪自民は橋下維新のおかげですでに崩壊状態になっている」(山本健治氏)とも言われる中、浪花の自民党をどう復活させるか。地図から消えかけた「大阪市」を守ったものの北野妙子氏がゆっくり初孫と遊べる日は遠そうだ。
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