1986年秋の「秋篠宮さま・紀子さま」 20歳の夜、目白のスナックで直撃したお答えは

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「よろしかったら、こちらに来て一緒に飲みませんか」と学習院近くのスナックで

 東京・目白。学習院大学からそれほど離れていない閑静な住宅街に小ぢんまりとしたスナックがある。中に入ると、テーブルに7~8人のグループがいた。先生と学生らしく、教授の噂話や法律論議のようなものが語られ、和やかに酒を酌み交わしていた。

(「フォーカス」1986年10月24日号などを基に修正したものです。称号や肩書などは当時のものを採用しつつ、適宜変更しています)

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 その一団の1人は、「イエスタディ」などをつまびいていて、その横に物静かな感じの若い女性が座っていた。

 どこでも見かける若者たちの風景だったが、大いに違っていたのは、ギターを弾いていたのが、礼宮殿下。11月8日に立皇嗣の礼を控える秋篠宮さまだったこと。

 スナックのママによれば、「たまにお立ち寄りくださる」この店で同席しているのは、そのころ秋篠宮さまが在籍されていた学習院大学の学生たちと教師。ごくプライベートな集まりである。

 話の合間に、秋篠宮さまは周囲の仲間たちをパチパチお撮りになる。カメラ好きは世に知れていた。

 この席でもハッセル、リンホフなど高級カメラの名前がポンポン出てくる。そういえば、秋篠宮さまのご学友で妹・黒田清子さんの夫・黒田慶樹さんも大のカメラ好きである。

「よろしかったら、こちらに来て一緒に飲みませんか」

 突然、秋篠宮さまが隣のテーブルの客に声をおかけになった。むろん、顔見知りでも何でもない。

「初めまして。何かの縁ですから一緒に楽しく飲みましょう」

 客はびっくりしていたが、「殿下は、酒の席で近くの人と気軽にお話しになるのもしばしば」(友人)なのだという。

 ところで、気になったのは秋篠宮さまの隣の女性。

 彼女は10時すぎに席を立ったが、「そのまま消えてもいいよ」(友人)というキツめの冗談に送られて、秋篠宮さまも一緒に店を出て行かれたのだった。

戻ってこられた秋篠宮さまに「先ほどの女性は?」とお尋ねすると

 その女性は川嶋紀子さん。学習院大経済学部教授・川嶋辰彦氏の長女で、現在の紀子さまである。

 当時20歳。秋篠宮さまは学習院大で1年先輩で、紀子さまはこの日出席したメンバーの中で紅一点だった。

 30分ほどして店に戻った秋篠宮さまに、「あんまり遅いから戻らないと思った」の声が上がる。

「別にそんなのじゃないよ、そこまで送っただけだよ」

 とリラックスする秋篠宮さま。その後に不躾ながら、「先ほどの女性は?」とお尋ねすると、

「ガールフレンドです」と笑顔で答えが返ってきた。

 同席する教師は、「殿下は素直でいい男ですよ」と言う。

「次男坊の気楽さからか、伸び伸びなさっています。この店では、友達と“おい”“お前”で呼び合っています」

 11時30分、お迎えの侍従が登場。秋篠宮さまは「ウチで飲もう」とご学友を誘って帰途に。ちなみに、この日の帰宅予定は10時。この間、店外に待機していたSPは10人ほどだった。

 後になってわかったことだが、この年の春、秋篠宮さまはすでに紀子さまにプロポーズを済まされていた。「大学近くの交差点の信号待ちで」である。

 大学時代の紀子さまは、秋篠宮さまが会長を務めていた自然文化研究会に所属し、毎年3~4回ある研修旅行にも必ず参加し(写真)、秋篠宮さまは「キコちゃん」と呼んで、とても気に入っていた。

 皇室担当記者によると、

「彼女はよく1人で東宮御所に遊びに行っていました。秋篠宮さまの運転するオレンジ色のフォルクスワーゲンで御所内をドライブしたりデートを重ねたりしていました」

「秋篠宮さまの部屋で2人きりで2~3時間過ごし、侍従が慌てることも何度かあった」

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