「巨人優勝」で思い出す18年前の出来事 「目の前の勝負には敗れる。しかし優勝は手にした」
ヤクルト選手の闘志に火をつけたか
が、この件に関してネット上では「試合途中なのに対戦相手であるヤクルトに失礼だ」といった声が多数上がっていました。
今の時代来場したファンの皆さまもスマホ片手に観戦している方が大多数であると思います。
なので、事前に情報を知っている方がほとんどであることに違いはないでしょう。
ファンも知っているし選手も監督も関係者も知っている。そんな環境下で喜びを噛み殺し、そ知らぬ顔で監督が腕組みをしたり、次打者が打席に向かったりすることの方がファンの方々に失礼ではないでしょうか?
しかも試合途中で胴上げをしたわけでもなく、両手を上げての一礼ですから、まさにこの時代そしてコロナ禍に沿った喜びの表現方法であったと私は思いますね。
相手あっての勝負事、プロ野球なことはわかります。
対戦相手であったヤクルトは、負けか引き分けで最下位が確定する状況。
引き分け以下が決定し、最下位に沈んだ上に、追い討ちをかけるかのような試合途中での巨人の優勝報告を目の当たりに。
「来年以降はそうはいかないぞ」という闘志に火がついたかもしれません。
ファンの皆さまはどう思っているかわかりませんが、プロ野球を職業として選択した方々はそれくらいの気持ちを持ってグラウンドで勝負していることと私は信じております。
生粋の巨人ファンである私ではありますが、それ以前にプロ野球が大好きでありプロ野球ジャンキーであります。
来年以降ヤクルトがペナントを制した場合「ドームでのあの試合途中での巨人の優勝報告という屈辱をバネにやってきました。巨人の前で同じことが出来て嬉しいです」なんて言葉を村上選手や西浦選手あたりから聞きたいですね。
もしもその時が実際に来たとしたら悔しくて仕方がないですが、様々な喜怒哀楽をぶつけられる素晴らしきプロ野球に対して喜びの念が勝ることは確実でしょう。
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