【新潮選書『明治維新の意味』刊行記念対談:北岡伸一さん×苅部直さん】明治維新のスピード改革

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 連載『新・日本人のフロンティア』でお馴染みの北岡伸一さん(JICA理事長)が新著『明治維新の意味』(新潮選書)を上梓されました。

 これを記念して、『波』10月号(新潮社)誌上で行われた日本政治思想史が専門の苅部直さん(東京大学教授)との対談を転載してお届けします。

自由と解放と

編集部:2018年が明治維新150周年にあたり、その頃にこの企画のお話をいただきました。

​ 北岡伸一:明治が終わった直後、まだ無名のジャーナリストだった石橋湛山は明治時代について、「その最大事業は、政治、法律、社会の万般の制度および思想に、デモクラチックの改革を行ったことにある」と書いています。私はそれに加えてさらに、いろいろな制約からの自由化やメリトクラシー(能力主義)の観点から明治維新を捉えてみたらどうかと考えたのが出発点です。
 同時に、明治維新の評価が当初はわりあいポジティブだったのに、特に戦後は暗い評価になっているのが気になった。もちろん司馬遼太郎さんのような評価もあるけれど、学界にはネガティブな人が多いんですよ。それは1つには一種の民衆史観、つまり「善良なる国民と邪悪な政府」という見方が、マルクス主義の講座派が廃れてもまだかなり共有されているからだと思います。確かに邪悪な権力者はいるかもしれないけれども、もう1つの軸として、賢くて有能なリーダーとそうでない人がいるわけです。政治史というのはリーダーの力量を問題にしますから、これは民衆史観とは別の、政治史的視点だと思います。

 もう1つ。戦後は、戦争はすべていけないというふうになった。そりゃあ戦争は良くないですよ。でも、比較的やむを得ない戦争と、そうでないものはあるわけで、そこをリアリスティックに評価するという視点がないと明治維新の評価もできやしないという観点で書いてみた。

 苅部さんは『「維新革命」への道』(新潮選書)で、明治維新までの100年を、私はそれ以後を書いて、両方とも非常に意味があると思うんですけれども、国家の建設はやはり大変なことだと、JICA(国際協力機構)の仕事でいろいろな国のネーション・ビルディングを見てきた経験も参考にしながら書いてみたわけです。

大久保と伊藤

苅部直:大久保利通と伊藤博文の2人に、焦点を強くあてているのが、とても印象的でした。大久保に関しては「政治的人間」とはっきり書いておられますね。政治家のリーダーシップの特徴に注目しながら、維新期から日露戦争ぐらいまでを通観する、ユニークな通史叙述だと思いました。それは先生ご自身のJICA理事長としての経験や、今の日本の政治をご覧になる視点とも、関係しているのではないですか。

北岡:今回は大久保・伊藤で通しているんですけど、木戸孝允が好きな人もいるわけです。だけど、例えば木戸は廃藩置県に早くから前向きだったけれども、それが実現したのは明治4年の7月で、例えば明治2年や3年に廃藩置県が可能だったかというと、とても不可能だったと思うんです。つまり思想や政策の前向き性だけで評価するというのはちょっと違うんじゃないか。政治家に必要なのは目測能力です。今これが可能かどうかを判断する能力というのは、大きな方向性と同時に非常に重要なので、そこを見たつもりです。

 そう見ると、大久保はけっこう前向きな人なんですよ。征韓論政変の直後にすでに「君民共治」みたいなことを言っているし、憲法を作る際に福沢諭吉なども入れて議論したらどうかなどと言うし、対外的にも穏健だった。琉球については強硬だったかもしれないけれども、それでも、武力行使には慎重でした。そういう面をちょっと浮き上がらせたかった。伊藤も似ているけど、やや軽薄才子みたいなところがあって、それは世代の差かなという気がします。政治家の資質を問うと、明治11年までの大久保、それ以後の伊藤に代わる人はなかった。当時としてベストの人材だったと思います。

苅部:伊藤については、通常抱かれるイメージよりもリベラルな側面を強調しておられますね。たとえば枢密院で帝国憲法の草案審議を始めるさい、「我国ニ在テ機軸トスベキハ、独リ皇室アルノミ」と伊藤が演説したことがよく注目されますが、その後の審議ではむしろ国民の権利の保障を繰り返し説いていたことを、この本ではとりあげている。

北岡:具体的には大内閣主義です。総理大臣が責任をもってやるという主張が多いので、天皇大権を実際にやろうとはしなかった。その点でやはりリベラルだと思います。

 もう1つ、伊藤は『ザ・フェデラリスト』(アメリカ合衆国憲法の批准を推進するために書かれた論文集)を愛読したと言われています。伊藤は、連邦主義者は各州を統合したのに対し、われわれは天皇で統合された国を分有してそこに国民を参加させる、だからフェデラリストの反対を行っているんだと書いていて、なるほどと思ったんです。日本は天皇中心の体制が一応できたがゆえに、それを分有していくことが可能になった。しかし天皇に頼りすぎるのはやめておこうという感じで、それが保守派との違いです。

包括性と開放性

苅部:もう1つ、明治政府に関しては、薩摩・長州の藩閥が早い時期から非郷党化を進めたことも大事な特徴ですね。薩長だけで人材を供給することはできないので、官吏登用制度に切り替える。政権を取ったグループが権力を独占せず、開かれた競争に委ねるという珍しい例。

北岡:インクルーシヴネス(包括)ということをよく言いますけれども、薩摩・長州の人材だけ集めても充分でない。大久保がそういう考えの人だったし、伊藤もあまり側近を集めない。側近を集めたのは山県有朋です。藩閥が権力を独占しているように見えたかもしれないけど、それは最初だけで、すぐに開放的・包括的になったと思っています。

苅部:五箇条誓文の「万機公論ニ決スベシ」という文句は建前にすぎないという見かたもできますが、建前もそれとして尊重する側面もあった。大久保の説いた「君民共治」や立憲体制の構想を見ると、広く意見を集め、人材を養成する公開性が、後進的に近代化を果たした国の中での、日本の特徴と言えますね。

北岡:維新の理念だった「公議輿論」という言葉には、私は独特の解釈を提示しています。つまり、議論はしたい者がする。意欲や能力があって、天下国家を論じたいという者の口を塞いではいかん。しかも数が多ければいいというものではない。徹底して議論して、勝ち残ったものを取る。ウェーバーは民主主義というのは民意を取るのではない、民意は政治家が競争する中で多くの人が選ぶところから生まれるもので、それが民主主義なのだと言っていて、私はこの見方を強調しているわけです。

 だから「五箇条誓文」の起草の際に参与の由利公正が「私に論ずるなかれ」と書いたのは、うちの地元をこうしてくれとかケチなことを言うな、日本をどうするかを議論しろということで、公論の「公」には非常に意味があると思うし、「公議輿論」とは、皆さんの意見を聞いて支持の多い方に決めましょうということではないというつもりなんです。

西郷は宗教的人間

苅部:西南戦争を論じたところで、大久保は「政治的人間」で、西郷は「宗教的人間」だと対比されていますが、通常よりも西郷の評価が低いように思えます。

北岡:政治家としてはそう言わざるを得ない。ただ、西郷はずっと軍人で、部下にあんなに慕われていたら、もうこいつらと一緒に死のうという気持ちはわからんでもないです。だから裁兵(軍隊の削減)というのはとても難しい。私は国連大使を務めましたが、アルカイーダやタリバーンにどうやって銃を置かせて鍬や鋤を持たせるかという難しい議論を、国連でさんざんしました。

 西郷はしかし、廃藩置県までは一定の役割を果たすけれども、その後の明治国家をどうするかというビジョンを言っていないですよね。

苅部:西南戦争が鎮圧されたあとは、不平士族の反乱がなくなった。そこで非武装化が完了したのは、明治政府の確立にとって大きな利点になりましたね。

明治と今は何が違うか

北岡:苅部さんの『維新革命』にある通り、江戸時代の優れた武士が明治の官僚制を準備した面は重要だと思います。ただ一部に江戸時代を過度に美化する人がいて、それはあまり賛成できないんです。食べ物は粗末だし寿命は短いし、実は鎖国じゃなかったと言うけど、全体から言うとほとんど鎖国です。とくに、学問の自由、言論の自由が閉ざされていたのは大きい。私はデモクラシーを参加の拡大・障害の除去と言っているんですが、『福翁自伝』にも、「明君賢相」が出て欲しいと書いただけで、お上を批判したとして切腹させられたという話が出てきます。そういう時代でもあったのです。

苅部:江戸時代の後半に生きていた知識人は、海外から孤立していることと、身分制の抑圧を痛感していたんですね。『文明論之概略』に書かれているように、身分制に対する不満が爆発したのが、明治維新の真の原因だったから、その運動が王政復古だけにとどまらず、廃藩置県にまで一気に突き進んだ。

編集部:本書では、明治のさまざまな制度設計や改革が驚くべき迅速さで進んでゆくスピードも強調されています。

北岡:例えば廃藩置県のプロセスを具体的に追うと、最後はほんの数日間で決めている。所々しつこいほど「何年何月何日に」と書いたのは、そのスピードを実感してほしいと思ったからです。政治っていうのは、やはりその国が直面している最も重要な課題に最も有能な人間が正面から取り組むというのでなくちゃいけないのだと思います。

 もう1つ。維新の人は、忙しい中でも大量の書簡や意見書を書いています。また、大久保没後の大久保家などでは膨大な資料を集めていて、大変化の中にあるから記録を残さなきゃいけないという強い意識があったと思います。

苅部:明治政府は早い時期から『復古記』という維新史の編纂を始めましたね。現代は、データを保存するのはずっと簡単ですが、かえって記録を大事にしないという不思議な状態になっている。

北岡:記録の改竄とか言われてますけど、私は今の政治では、官僚の萎縮が非常に残念なんです。戦前に憲法学者の佐々木惣一が書いています。大臣は天皇を輔弼するが、それは言われたことをやるだけでなく、積極的に意見を述べる、能動的なものでなくてはならない、と。

苅部:日露戦争後はリーダーの凡庸化、官僚化が進んだというご指摘もありました。それが昭和の戦争の問題にもつながりますが、官僚化の傾向はある程度やむをえないとしても、その中で政治判断の機敏さ、柔軟さを保つ。そういう知恵を継承できるようなしくみが必要ですね。

北岡:野心のある人、やる気のある人は、制度自体にチャレンジするぐらいの気持ちでやらないといけない。制度の中で作られた精神だけでやると、やはり平凡化、凡庸化は避けられないと思います。

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Foresight 2020年10月31日掲載

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