国勢調査に応じるメリットは不明瞭 政府の信頼はグーグル以下?(古市憲寿)
今年の国勢調査は回答率が伸び悩んだという。そりゃそうだと思う。僕はネットで回答したのだが、途中で挫折しそうになった。
一つ目の理由は不信感から。氏名や電話番号、居住地などを入力していくわけだが、この情報を誰が見るのかよくわからない。もちろん「調査票に記入された個人情報は、厳重に守られます」などと書かれているが、いまいち信じ切れない。
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自分でも不思議なものだと思う。たとえばグーグルなどの検索サイトや、クレジットカード会社には、個人情報の塊を提供しているのだから、本当は電話番号を記入するくらい何てことがないはずだ。宅配便を送る時でさえ氏名や電話番号くらいは書く。
しかも僕は、おそらく多くの人よりも「国家」の中に知り合いが多い。彼らのほとんどは優秀であり、何か悪事を働く人だとは思えない。そもそも国勢調査で得られる情報くらいでは、悪用にも限度がある。
それで言えば、警察の恣意的なマスコミへのリークのほうが遥かに悪質だ。芸能人の逮捕の瞬間になぜかカメラが居合わせていたり、地方公務員法違反を疑われるようなケースがままある。
国勢調査を面倒に感じたもう一つの理由は「それくらいわかるでしょ」と思ってしまったから。住民基本台帳や税務情報などを組み合わせれば、国民の基本情報は把握できるだろう。
それでは職業や学歴などの情報、一時的な転居を認識できないのはわかるが、その一部は他の統計でも捕捉できる。
2020年にもなって国勢調査が実施されているのは、国家が国民の情報を一元的に把握できていないことの証とも言える。最近の政府はデジタル化に躍起で、概ね世論も歓迎しているようだ。しかしデジタル化が進んで「便利になる」ということは、国家による国民の一元管理が進行することも意味する。そこで一波乱起きるのではないか。情報提供を拒まれがちという意味で、最近の日本国はグーグルやアマゾンなどの外国企業よりも信頼が薄い。
便益の可視化も重要なのだろう。アマゾンには住所を知らせないと品物が届かないが、国勢調査に応じるメリットは不明瞭だ。
日本で国勢調査が始まったのは1920年である。実施を主導したのは、実は官僚ではなく学者たちだったようだ(佐藤正広『国勢調査』)。当時から日本には戸籍制度があり、住民管理という意味では事が足りていた。
しかし統計学者は、より精密で広範な国民のデータを欲しがった。そこで国勢調査は「文明国のあかし」であり、国民統治のためには経済を含んだ国家情勢の調査が不可欠だと、指導者に訴えたわけである。
「国勢調査に混らぬ人は死んだお方か影法師」「この調査に漏れては国民の恥です」。第1回の国勢調査が実施された際に用いられた標語だという。当時はそれが「恥」と考えられたのかもしれないが、常に監視と管理の目が気になる現代人は「影法師」になりたいと願う人のほうが多いだろう。